第359話 撤退戦

 前から大量の敵が迫り、消耗している状態で、できる限りそれらを抑えつつ、自身を守りながら退かなければならないというのはなかなかに厳しいものであった。


「さすがに……これはきついな」


 ロベルトはそう呟き、迫ってくる黒い人型の影のような存在を焼き払う。


 唯一救いなのは、あの人影のような存在の戦闘能力が高くないことだ。一体あたりの戦闘能力は雑魚と言ってもいい。ティガーどころか、銃で武装した普通の人間でも倒せるほどである。


 だが、それが膨大な数となってくれば話は違う。どれだけ個の力が優れていたとしても、圧倒的な物量の前にはなすすべがない。恐らく、敵もそれをわかっているのだろう。


 前で戦っているグスタフたちを援護しながら、なんとか退いているものの――これだけの大軍となるといつまで耐えられるかわからない。とはいっても、なりふり構わず後退するのも危険であった。少なくとも、カルラの町から援軍が来てからでないと、より状況が悪化することになる。


 あの影は『棺』から落ちてきたなにかから出現した。であれば、『棺』から落ちてきたあれがなんらかの要になっている可能性が高いが――そこに到達するにはあの大軍を抜けていかなければ不可能だ。いくら雑魚でしかないとはいえ、真正面から突破するのはあまりにも無謀すぎる。恐らく、こちらが万全の状態であってもそれを成し遂げられるとも思えなかった。


 いまのところ、なんとか耐えられているが、それも時間の問題だ。この状況が続けば、いずれ戦線は崩壊する。これだけの軍勢がカルラの町になだれ込むことになったらどうなるかなど容易に想像できた。それだけでもなんとか避けなければならないが――


 影の軍勢は、その数を活かして徐々にこちらを押し込んでいる。倒しても倒しても減っている様子はない。もともとの数が多いうえに、倒した先から補充されているのだろう。いまやっていることは、川の水を小さな匙で掬って枯らそうとしているのに等しいのだろう。なんとか状況を立て直したいところであるが――


 前で戦うグスタフたちは奮闘を続けているものの、状況はまったく変わっていなかった。いや、数に押されてこちらがどんどん消耗していることを考えると、徐々に悪くなっていると言えるだろう。


 敵を押しとどめつつ後退をしているため、カルラの町からまだ離れている。このままでは、カルラの町に辿り着く前にこちらが消耗しきる可能性が高い。


 そのうえ、今回は圧倒的な戦力を持つタツオもタイセイいない状況だ。彼らはもう目的地である『棺』への突入を果たしているのだから。二人を抜きにして、この状況をなんとかしなければならなかった。


 絶望的な状況であったが、諦めるという気はまったくない。竜たちが人間をどのような存在であると思っているのか知っているからなのかもしれなかった。諦めたとしても同じようなことになるのであれば、誇りをもって抵抗するほうがいい。


 くそ。カルラの町からの援軍はまだか? 自分たちだけでこの数の軍勢を押しとどめることは困難だ。


 そこまで考えたところで、嫌な考えが頭を過ぎる。


 カルラの町にいるティガーたちに自分たちが見捨てられた可能性だ。なにより、状況が状況である。そのようなことが起こってもおかしくはなかったが――


 ロベルトは頭を振ってそれを否定する。


 町にいるはずの彼らは絶対に助けに来てくれるはずだ。降伏をしたところで、人間という存在を取るに足らないものとしか思っていない竜どもが見逃してくれるはずもないのだから。それは、直接戦った自分たち以外の者であっても知っているはずだ。


 前で戦うエリックがわずかに体勢を崩されるのが見えた。ロベルトは彼のまわりにいる敵に攻撃し、体勢を立て直す時間を作成。


『……助かった』


『気にするな。お互い様だ』


 ロベルトによって立て直す猶予を与えられたエリックを含め、前衛にいる者たちは後ろへと飛んだ。それに合わせて後衛である自分たちも後退。カルラの町はまだ遠い。


 まだか。これ以上この状況が続くと本格的に危険領域に入り込むことになる。そろそろ来てくれないと困るのだが――


『おらぁ! 来てやったぞてめえら。よくやりやがった!』


 突如、声が響き渡る。


『かなりの数って聞いたからよ。派手にぶっ放しにやってきたぜ。死にたくねえならどきな!』


 その声が響いた直後、背後から車が走ってくる。大型の資材などを運搬する際に使用する大型車だ。二十台近くある大型車が、かなりの速度でこちらへと迫ってきた。


『竜だかなんだか知らねえが、人間を舐めんじゃねえ! 景気よく一発ぶちかましてやるぜ!』


 その声と共に、前衛にいるグスタフたちも急いで離脱した。暴走しているといってもいい大型車とすれ違う。大型車はなおも加速し、そのまま影の軍勢へと突っ込んで――


 その瞬間、すべての音が消え去った。


 影の軍勢へと突っ込んでいった二十台近い大型車が次々と大爆発をしていったのだ。その圧倒的な衝撃によってここで戦っていた全員が大きく吹き飛ばされる。


「……っ」


 突如巻き起こった爆発と衝撃によって視界がぐらぐらと揺れる。


 その直後、あたりに独特の匂いが漂っていた。それは、酸化竜石が燃焼したときの匂い。極めて不安定でちょっとした衝撃や火種で引火し、大爆発するそれは主に燃料として使用されている。竜の遺跡に潜る者たちにとっては慣れ親しんだ匂いの一つである。恐らく、あの大型車に大量に詰め込んでいたのだろう。そうでなければ、あれほどの威力にはなり得ない。


「よくやったな。敵が大量に出てきたっていうから派手にぶちかましてやったんだが、どうだ?」


 空中から着地した大男がロベルトへと話しかけてくる。


「助かったのは間違いないが――危なすぎるだろ。俺たちまで巻き込まれたどうするつもりだったんだ? オーヴァン」


「はっはっは。お前らならそれくらいやっても大丈夫かと思ってな」


 オーヴァンは豪快に笑いながらそう言った。大量の酸化竜石を積み込んで自爆特攻を行った者とは思えないほどの明るさだ。


「見たところ、全員生きてるみたいだな。よかったよかった。俺も命賭ける甲斐があったってもんだ。早く行くぞ。籠城するなら、町まで退いた方がいいからな」


 大爆発によって巻き上げられた粉塵によって、大量にいた影の軍勢がどうなったのか目視できなかったが、恐らく全滅していないだろう。


「歩きになるが、そこは勘弁してくれ。全速力で走ればすぐ着くだろ。気合い入れろよ」


 オーヴァンの命知らずの特効によって猶予は作られた。退くのであれば、いましかない。


『そっちは大丈夫か?』


 ロベルトは前衛にいた仲間たちへと話しかける。すぐさま言葉それぞれに肯定が返ってきた。


 あれでどれだけの時間が稼げたか不明だが、行けるところまで行くとしよう。オーヴァンの言う通り、籠城するなら町でやったほうがいい。


 全員の無事を確認したのち、ロベルトたちはオーヴァンたちとともに後退を開始した。

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