第344話 限られた手札で

 敵は強く、こちらにできることは限られている。この状況は一体どうするべきだろうか? ジニーだったものと相対するタイラーはそれについて考えた。


「……考えれば考えるほど、笑えねえ状況だ」


 出てくるのは弱音。なにができるかといくら考えてみても、出てくる結論は一つ。ここでできるのは、持っている獲物で殴ることだけ。それ以外、できそうなことはなかった。


 単純な力比べで、人でなくなったジニーに勝てるはずもない。人という範疇を超えた彼女が持つ生物的な強度は人間を遥かに上回る。元来、非力である人間である自分に真正面での戦いで勝てる要素はないと言っていいだろう。


 それでも、諦めようという気はまったくない。死にたくないという思いは確かにあるものの、それ以上にあるのは、自分よりひと回り以上若いジニーの尊厳をわずかでも守ってやりたいというのと――


「あんなもんを見せられちまったら、諦めるなんてできるかよ」


 この町を守るための戦いで、文字通りその命を燃やし尽くしたアレクセイの遺志を尊重してやらなくてはという思いであった。


 ジニーだったものは身体から無数の触手を放ってくる。


 自身に向かってくるそれらをタイラーは飛んで回避。ぬめりとした感触が自身の身体のすぐそこを通り過ぎていく。


 触手を回避したタイラーは空を蹴ってジニーだったものへと接近。もはや人型ですらなくなったその身体へと斧を振り下ろした。


『――――』


 ジニーだったものに斧は命中したものの、身体の表面に食い込んだところでせき止められてしまう。その身体は恐ろしいほどの弾力性に富んでいた。これだけの弾力性があるとなると、生半可な打撃や斬撃ではろくに傷つけられないのは明らかだ。


 タイラーはジニーだったものの身体に食い込んだ斧を引き抜きながら、上へと離脱。その直後、ジニーだったものの全身から無数の触手が突き出された。全方位に放たれた触手は、当然のことながらこちらへと向かってくる。


 タイラーは身体を翻しながら、向かってきた触手をすり抜けるように回避していく。回避できないものは斧で弾きながら、躍るようにしてジニーだったものの攻撃を捌いていった。


 ただ殴っただけでは、彼女に有効な傷を負わせられるとは思えない。この状況を切り抜けるのであれば、極めて弾力性に富んだ身体に有効打を負わせられる攻撃手段が必須である。


 刺突攻撃では彼女の身体にもある程度有効ではないかと思ったものの、自身の武器となるものが一切ない空中でそれを実行するのは難しい。


 やはり、手段が限られているというのはとてつもなく厳しいものである。他の仲間からの援護を受けられたらよかったのだが、それも無理な状況だ。彼らも同じく、竜にさらわれ異形の姿へと改造されてしまったティガーたちと戦っている。こちらを手助けする余裕などあるはずもない。


 触手の嵐を回避したタイラーは再び距離を詰める。


 どこか、弱点となる部位はないのだろうか? 変わり果ててしまったとはいえ、元々は人間だ。どこかしら脆弱な部分はあるはずである。そこをどうにか突くことができれば、有効打を入れられるのだが――


 軟体生物のような姿となったジニーに、明らかにそれらしきものは目に入ってこない。首や頭部、関節などといった部分はどこにも見当たらない。


 いまの状況でも残っているのは目であるが、当然のことながらそれはいまの状況で的確に狙えるほどの大きさはなかった。そもそも、こちらが持っているのは斧だ。目を的確に貫通することなどできるはずもない。


 接近したタイラーは真上から斧を振り下ろす。人間でいうところの頭頂部を狙った。ジニーだったものは回避する素振りを一切見せなかった。渾身の力を以て振り下ろした斧はジニーだったものの頭頂部のあたりに命中し――


 やはり途中でせき止められてしまう。


 頭頂部は胴体より若干、その強度は劣っていたものの、その差はごくわずかであった。このような姿となったジニーに脳が残っているのか不明であったが、斧の食い込み方を考えると、そこまで達していないのは間違いなかった。


 やはり、ただ殴っているだけでは埒が明かない。一気に仕留められる手段が必要だ。だが、空中では多くの手段が封じられている。くそ。一体どうすればいい? このまま長引けば、敗北は必至だ。アレクセイのためにも、ジニーのためにも、ここで敗北するわけにはいかなかった。それは、自分がいまここで最低限果たすべき義務である。


 タイラーの一撃をなんなく防いだジニーだったものは、再び無数の触手を放ってきた。それらは的確にこちらを狙ってきている。丸太のような太さがある触手を受けようとするのは極めて危険であった。一発や二発なら受けられるかもしれないが、それ以上は不可能だろう。


 タイラーは大きく横に富んで、自身を狙ってきた無数の触手から難を逃れる。だが、一度回避されただけではジニーだったものは止まらない。身体の別の部位から触手を放ってくる。人型ですらなくなったジニーは、どのような状態でも、どのような部位からも攻撃ができるのだ。それは、人であることをやめて発生した大きな利点の一つ。


 タイラーはさらに大きく飛び、触手の追撃を回避した。いくつかの触手がすぐそこを通り抜けていき、皮膚にぬめりとした感触が残る。


 くそ。このままではいずれやられてしまうだろう。こちらの体力は有限であり、そのうえ空を飛んでいられるのも限られている。空を飛んでいられるのがいつまでなのかは不明だが、それが必ず訪れ、なおかつそう遠くない時間なのは間違いなかった。すぐにでも決着をつけるべきであるが――


 有効打を与えうる手段がなければ、自身の敗北以外で決着をつけられるはずもない。いまの状況でできる手段はないのか? なおも放たれる触手の嵐を回避しながら、それを考える。


 いま自分に残っているものはなんだ? 力自体は残っている。ただ、それを自在にできる外的環境がないだけだ。残っている力さえ使うことができたのなら――


 そこまで考えたところで、気づく。


 先の戦いで追い詰められた自分たちが道を切り開くために、アレクセイがやったことについて。


 あいつは、自身が持てるすべてを燃やし尽くして、可能性を見出した。それと似たようなことをやれば、極めて強靭な彼女すらも打ち倒すことができるのではないか?


 アレクセイのように、そのすべてを使い切らなくてもいい。いま持てるだけのすべてを込めれば、この状況すらも突破できるのではないか?


 無論、それは極めて危険だ。これで倒し切れなかったら、戦えるだけの余力は残っていないだろう。そうなれば敗北は確実である。ここで倒し切れなかったら、他の仲間たちはもちろん、場合によってはカルラにいる住民たちにもその危険が及ぶだろう。


 だとしても、いま自分にできることはこれしか残されていなかった。敗北するのなら、だらだらとするより潔くやられたほうがいい。そのほうが、少しでも誇りがあるように思えた。


 さらに数発の触手を避けたところで、タイラーは切り返して、ジニーだったものへと向かっていく。


 いま持てるだけの力を絞り出し、そのすべてを一撃に込める。ここで終わっても構わないという覚悟を以て。なおも放たれる触手を最低限の動作で回避しつつ――


 タイラーは、ジニーだったものへと接近。


「――――」


 そのすべてを手に持つ斧に込めて――


 それを振り下ろした。なんとも言い難い弾力性のある感触が両手を支配し――


 さらなる力を込める。弾力性のある感触が音を立てながら切れていく。


『――――』


 ジニーだったものは断末魔のように聞こえる異音を発した。タイラーの持てる力すべてを賭けて放ったその一撃によって、身体の半分以上を両断され――


 その動きを止め、力なく地面へと落ちていく。


「……やってやったぞ」

 そう呟き、落ちていくジニーだったものへと目を向ける。落ちていくジニーだったものから、『ありがとう』という言葉が聞こえたような気がした。


「少し、疲れたな」


 その力を使い切ったタイラーも、ジニーだったものと同じく、地面へと落下していった。

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