第332話 おぞましきモノ
いま、魔人というべき存在と対峙している。人型ではあるものの、完全に人間ではないなにかと化した完全に別種の存在。これを見て、元が人間であったことはもちろん、アンドレイであったとわかる人間はまずいないだろう。それぐらい、彼は原型を留めていなかった。
「…………」
アンドレイだったものを改めて直視し、ウィリアムは言葉を失うことしかできなかった。いま戦っている相手が、このようなおぞましい行いすらも可能とする事実を直視することになったからなのかもしれない。
結果的に自分の仲間がこのような姿になってしまったことを知らないままでいたアレクセイは幸せだったのかもしれない――そう思ったものの、聡明なあいつであれば、さらわれたティガーたちが悲惨な目に遭っていたことくらいは予想していただろう。わかっていながらそれを口にしなかったことくらいやっていてもおかしくはなかった。
どちらにせよ、いまとなってはアレクセイと言葉を交わすことができない以上、実際に彼がどう思っていたのかは知る由もない。
だが、仲間がこうなったことを見過ごすような奴でないのは間違いなかった。アレクセイなら、もう助けることができないとわかっていたのなら、仲間であっても容赦なく殺す判断をしていたはずだ。
「……俺が、あいつのようにうまくできるとは限らないが――」
こうやってアレクセイの遺志を継ぐ立場となってしまった以上、やれるかどうかわからなかったとしても、やるしかなかった。やれなければ自分たちの未来は閉ざされる。蘇った竜どもは、人間など取るに足らない存在だと思っているのだ。ここで打破できなければ、仮にここを生き延びることができたとしても、この先どうなるかは言うまでもない。奴隷か実験動物になるだけである。
「空中ってのが厄介だな。こっちの能力がどうしても制限されちまう」
こちらが持っているのは樹木を操る力だ。樹木というものが地に根を生やす者である以上、地上から遠く離れた空という場所では必然的に制限されてしまう。
この町でティガーたちをさらっていた竜を撃退した能力であればここでも使うことは可能だが――あれをこちらの思うように制御する術はまだなかった。下手をすれば、この町を壊滅させた異形の大樹をもう一度創り出すことになりかねない。
無論、それ使わざるを得ない状況になってしまったのなら、迷わず使うべきであるが――危険なものである以上、使わずに済むのであればそれに越したことはないだろう。その判断は難しいところである。
『――――』
アンドレイはうめき声とも叫び声ともつかない異音を上げ、腕と一体化するような形となった十字槍を振り上げて、突き下ろしてくる。あのような異形となったアンドレイの攻撃は、人だった頃よりもその力は遥かに大きくなっていたものの、大振りであった。回避することはそれほど難しくない。
ウィリアムは突き下ろしを前に飛び込むようにして回避し、距離を詰める。隔てるものがない空という場所で長物を振り回されるのは驚異ではあるものの、間合いの内側に入ればその恐ろしさは緩和される。手で触れられる距離まで接近して、樹木を突き出させて攻撃。
しかしそれは、硬い感触とともに弾かれる。完全に変異したアンドレイの皮膚はとてつもない硬度を誇っていた。ここまで近接してこれである。生半可な攻撃では彼を覆う甲殻を貫けるとは思えなかった。
突き出された樹木によって後ろに押し込まれたアンドレイはさらに後ろへと飛んで距離を取る。十字槍と一体化した腕を大きく振り回した。暴風のごとき一閃。先ほどと同じく大振りであるため、これも回避すること自体はそれほど難しくないが――
こちらの攻撃では容易に傷つけられない防御力を誇り、それを存分に利用して力任せの攻撃を繰り返されるのは驚異である。それをこちらが受ければ一撃で致命傷となりかねないのだ。その攻撃の対処にはそれなりの集中力を要する。そして、人間はどこまでいっても有限の存在だ。集中力も体力も、いつまでも続かない。である以上、いつか必ず敵の攻撃に対処できなくなるときが訪れる。
なによりこちらは空を飛んでいること自体がある種の裏技めいたものなのだ。集中力や体力が切れるよりも先に、空を飛んでいられなくなる可能性も充分にあり得た。なんとしても、タツオたちが『棺』へと辿り着くまでは戦っていなければならないが――
いつ訪れるかわからないが、いつか必ず訪れるものというのはとてつもなく恐ろしい。それは戦いにおいてそれは大きな足かせとなる。その足かせのせいで絶対に失敗してはならない状況で失敗をしてしまう可能性は大いにあり得た。
それが頭に過ぎるだけで、嫌な汗が滲んでくる。こういった経験ははじめてではなかったものの、いつになっても慣れることはない。
他の仲間たちも、元ティガーたちと戦いを繰り広げていた。他の仲間からの手助けは望めない。なんとかして、いま対峙しているアンドレイだけは自分で処理しなければならないが――
ティガーとして相当の経験と実績を持つアンドレイを相手にしてどこまでやれるだろう? こちらの能力は、正面切っての戦いを得意とするものではない。グスタフやロベルトがいるからこそ、その力を十全に発揮するものである。
そこまで考えたところで、こうやって一対一で正面から戦うのはいつぶりだろうかということに思い至った。ここ何年かは、このような決闘めいた状況になった覚えはない。
振り回された十字槍を回避したウィリアムは、樹木を放ち、アンドレイをからめとった。
『――――』
樹木をまきつかれたアンドレイは大声を発して暴れ回る。その力は尋常ならざるものであった。このままではこちらが振り回されると判断したウィリアムは放った樹木を切断。その直後、アンドレイはからみついていた樹木を力任せに振り払って一歩前に踏み出し、突きを放つ。それは、人間離れした威力を誇っていた。分厚い鉄板があったとしても、防ぎきれるかどうかわからないほどの威力。そんなものを下手に受けようとすれば、どうなるかは言うまでもない。
ウィリアムはそれを飛び越えるようにして回避。回避する方向に制限がないことだけは空中における戦闘の利点と言えるだろう。
アンドレイの上を取ったウィリアムは、太い樹木を生み出してそれを力任せに叩きつける。樹木で貫くことができなくても、打撃ならあるいはと判断してのことだ。
力任せに叩きつけた樹木はアンドレイに命中。そのまま下方向へと叩き落とした。
だが、異形と化したアンドレイはそれに耐え、踏みとどまったのちに大きくこちらに向かって飛び出し、再び突きを放ってきた。圧倒的な威力はあるものの、大振りな一撃。
軌道を逸らすようにしてウィリアムは、アンドレイの突きをかわした。そのまま距離を取り、アンドレイに目を向けた。
先ほど叩きつけた樹木は直撃していたはずだったが、目に見えるような負傷はしていなかった。硬い甲殻に包まれたあの身体には、打撃もそれほど有効ではないのだろう。やはり、傷つけることすら簡単ではないようだ。
しかし、アンドレイにせめてもの救いを与えるのであれば、これもどうにかしなければならない。これは絶対条件である。
どうにかして、彼に傷を負わせることができる手段はないものか。そう考えたところで、いま自分が持っている手札が変わるわけではなかった。
「相変わらず、厳しい……な」
ウィリアムはアレクセイに注視したままそう呟いた。向こうもこちらの様子を窺っているのか、攻撃を仕掛けてこない。
人間だったものとの戦いは、静かにその歯車を加速させていく。
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