第301話 前へ

 大空を飛ぶ竜はまさしく圧倒的であった。


 それには、こちらが死力を尽くしてもわずかにも押し返すことができなかった異形の大樹を圧倒しうる力を有していた。あれが、竜の真の力なのだろう。これならば、と思えるものであったが――


 竜と化した大成は四度目となる力の大放出を行う。前にある木の根が一気に枯れるようにして死に絶えていく。それは頼もしいものであるが、下手をすればこちらにもただならぬ悪影響を及ぼすものであった。なにしろ、彼らの力は竜に仇を為す力なのだから。


 だが、それでも前に進まなければならない。前へと出て、異形の大樹の本体へとさらに近づく。ずいぶんと近づいたような気がするが、その距離はまだ遠い。異形の大樹から放たれる力と、竜と化した大成が放った力が混ざり合った空間はとてつもない混沌に満ちていた。


 ティガーたちもどんどんと前進していく。恐らく、限定的に竜の力を持つ彼らにも、大成の力の影響は及んでいるだろう。それでもなお彼らは動き続けている。この町を襲う脅威を取り払うために。


 異形の大樹の根が空へと向かって放たれる。それはいままでとは違い、明らかに大空を飛ぶ竜と化した大成を狙っていた。あの大樹に意思があるのかどうかは不明だが、彼のことを脅威であると認識したのだろう。


 異形の大樹のリソースが空へと向けられたため、地上は若干ではあるが手薄となった。無論、すべてが空に向かっているわけではない。変わらず地上でも勢力を伸ばしているが、その勢いは明らかに弱まっていた。恐らく、真の力を発揮した呪いの力も相当の影響を及ぼしているのだろう。


 勢力を広げようとする木の根を払い除け、斬り落とし、さらに前へと進む。空のほうにリソースが大きく注がれても、元来として大規模な存在である異形の大樹による勢力の拡大は未だにすさまじい。少しでも油断すれば、簡単に押し返されてしまうだろう。


 上空では異形の大樹が伸ばす木の根と竜と化した大成が理外の闘争を繰り広げていた。異形の大樹は脅威を排除するために、その攻勢をさらに強めている。だが、異形の大樹が持つリソースの多くが注がれてもなお、大空を飛ぶ竜と化した大成はそれを容易に打ち払っていた。その身を駆使し、次々と異形の大樹による攻撃を払い除けている。


 しかし、竜と化した大成がいかに強大な力を発揮していたとしても、耐久戦となればこちらの敗北は確実だ。彼がいつまであの状態を保てるかどうかも不明である。竜と化した大成がいまの状態を維持できなくなったら、戦況は一気に押し返されるだろう。早く、あの大樹の核を破壊し、この町の脅威を取り払わなければならない。


 異形の大樹まであと五十メートルほどのところまで接近。竜の力を駆使して最短距離で駆け抜ければ数秒とかからない距離。だが、異形の大樹の木の根が跋扈するこの場において、その距離はとてつもなく分厚いものであった。


『見えました!』


 そこでアースラの声が響く。


『異形の大樹の中心の近い部分に、核となっている部分があります。恐らくあれが、ウィリアム殿が敵を倒すために放ったという種でしょう。あれさえどうにかできれば、あの異形の大樹を排除できるはずです』


『中心に近い部分か……そうなると――』


 あの巨大な大樹の分厚い幹を同時に排除できなければ、その奥にある核の破壊は不可能である。ここからでも見える異形の大樹はとてつもなく大きい。表面から核のある部分まで軽く数メートル近くはあるだろう。


『わかった。俺たちがその核を破壊できるかやってみる。そのまま破壊できればそれでいいが、確実にできるとは限らないだろう。そうなったら、お前らに任せるしかないが――』


 竜と化した大成のその言葉は、どこか不安を想起させるものであった。やはり、彼にも相当の負担がかかっているのだろう。


『でもまあ、あと一回ぐらいはなんとかできる。しっかりやらないとな』


 上空での攻防はさらに苛烈なものと化していた。異形の大樹も自身の防衛のために必死なのだろう。自分たちの生存のために、ただそこにあろうとしているものを排除するのは傲慢なことなのかもしれない。そう思ったが、こちらにだって守りたいものがある。ただそこにあるだけで災害のごとき被害をまき散らすものを存在させるわけにはいかないのだ。


 地上を駆ける竜夫とティガーたちは異形の大樹へとさらに近づく。近づけば近づくほど、その異形なる力が濃くなっていった。普通の人間であれば、そこにいるだけで昏倒してしまうだろう。それくらい、その力は濃密で、有害なものであった。


 近づいたことにより、異形の大樹の攻勢もさらに強まる。大成の力で相当弱体化しているはずだが、それでもなお強大であった。それは、この異形の大樹が形成されるに至ったその力の大元となった存在がいかに強大であったかを思い知らされる。


 竜夫は留まることなく攻勢を仕掛けてくる異形の大樹の根を刃で斬り、払い、爆弾で破壊して前へと進んでいく。


 ティガーたちもなんとか前進を続けながら、自身に迫る脅威を排除し続けている。こちらとは違い限定的な力しかないとは思えないほどの気迫と強さが感じられた。それだけ、この町は彼らにとって大事なものなのだろう。彼らの気迫を見るたびに、こちらもやらなくてはという思いがこみ上げてくる。


 異形の大樹まであと三十メートル。もはやそこは樹海のような空間となっていた。ただ違うのは、これがすべてを呑み込む異形そのものであることだろう。その場にいるだけで、あたりに満ちる異形によって蝕まれる空間。はやく、なんとかしなければならなかった。


 上空では異形の大樹と竜と化した大成の苛烈な空中戦が繰り広げられている。異形の大樹も、竜と化した大成も己が存在を賭けて想像を絶する闘争を繰り広げていた。

それはあまりにもすさまじく、思わず目を奪われてしまうもの。だが、異形に呑まれたこの場でそんなことはしていられない。少しでも油断すれば、これに呑み込まれてしまうだろう。


 空を駆る竜と化した大成は異形の大樹の攻勢により、大きな力を発揮するための機会をなかなか得られていないようであった。恐らく彼も、相当の消耗をしているだろう。できることならこちらも援護をすべきであるが――


 だが、それを簡単にさせてくれるほど、地上の攻勢は緩くない。異形の大樹を退けつつ、その場に留まるだけでも全速力で走ることを強要される。それはまさしく赤の女王。走り続けなければ、その場にいることすら許されない魔の空間。


 せっかくここまで来て、やられるわけにはいかなかった。なんとか耐えなければ。ここで諦めてしまったらどうなる? すべてが台無しだ。守りたかったものも、守れなくなるのだけは――


 絶対に許してはならないと思った。


 すべてが異形と化した魔の空間の中で竜夫はなおも前へ進もうとする。


 こうなったら、自分も竜に変身すべきだろうか? そうなればこの異形の空間を切り抜けられる力を得られるはずであるが――


 しかし、竜に変身するためのわずかな隙すらも異形の大樹は許してくれなかった。竜に変身するために少しでもその手を弱めてしまったら、その間に呑まれてしまう可能性があった。とはいっても、このままここで、全速力で駆け続けるわけにも――


 くそ、少しでも猶予さえできれば――


 なんとかできるのに。そう思ったが、都合よくそのようなことにはなってくれなかった。


 すべてが異形に呑まれつつある空間での戦いは、まだ止まらない。

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