第290話 天雷
天から降り注いだ雷は、まさしく神が鳴いたかのような一撃であった。
そこにいるすべての存在を破壊せしめる人を超えたもの。それが、たった一つの存在を打ち倒すためだけに放たれた。まさしくそれは、人によって放たれた人を超えた一撃。人を超えた存在たる竜であっても、必滅を約束されていたと言ってもいい。
多くの法則をねじ曲げて落ちてくる雷を見て、そいつは笑う。その表情はまるで、懐かしい友と再会したかのよう。
光の速度で落ちてくるそれに修羅のごとき男は立ち向かい、刃を振るった。それはまるで、光というもっとも速き存在をはっきりと認識している動きであった。修羅が持つ刃と落ちてくる雷は衝突し――
雷を受け止めた修羅はそれを天へと打ち返す。それは、頭上に広がる青空を裂くかのような一撃。天へと打ち返された雷は竜のようにどこまでも上へと飛んでいき、彼方へと消えた。
「馬鹿な……」
アレクセイは、すべてをかけて放った必滅の一撃を返されたという現実を理解できなかった。
雷を天へと打ち返した男は何事もなかったかのように着地する。修羅のごとき男は、すべてをかけて放った必滅の一撃を受けてもなお無傷であった。
エリックとロートレクも、男が見せた絶技をただ呆然と眺めることしかできなかった。二人も、いま見せられた現実を真実であることを受け入れることができなかったのだろう。
「覚えた業はその身が変わっても簡単には消えんようだ。できなかったら、やられていただけのことだが」
その身に一切の傷を負うことなく雷を撃ち返した男は静かに言う。
「……かつて、雷を斬ろうとした無能がいた。来る日も来る日も、落ちてくる雷を斬り伏ようと、その身を打たれながら刃を振り続けた愚か者が」
天へと消えた雷を眺めるかのように男は言葉を続ける。
「あと一歩、というところまでいったものの、結局それは時間がそれを許してくれなかったが。遠い昔にいた、取るに足らぬ馬鹿者の話だがな」
雷を返すという人智を超えた業を見せてもなお、目の前にいる男が充分な余力を残していることは明らかであった。
「そんな馬鹿者の話はどうでもいい。続けようか、人間。お互いまだ無事なのだ。大道芸の類を見せて終わりというわけにもいくまい」
アレクセイも、エリックも、ロートレクも言葉を返すことができなかった。黙したまま、雷を返した修羅を眺めていることしかできない。
「一つだけ言っておこう。貴様らが見せたそれは、私だったからこそ返せたというだけのことだ。貴様らがすべてを賭けて放ったそれは、我々を葬るに値する一撃であった。ただ貴様らは運が悪かったというだけのことだ」
その言葉を聞き、アレクセイは納得した。
奴が言った相性がいいという言葉の真意を。こちらの能力が雷に起因するものである以上、雷を返せるのであれば、相性がいいのは当然だ。あの最大の攻撃すら無傷で返せるのなら、それ以外の攻撃を容易く捌くことができるのは必然である。
「どうした? いまので戦意を喪失したか? であれば残念だ。人の身としては相当なる強者であったというのに」
ゆっくりと男は近づいてきた。静かな死の音がこちらへと迫ってくる。
「せめてもの手向けとして、その見事な技に敬意を表し、貴様らはここで始末する。移送した結果、生きたままその尊厳を凌辱されることは私としても不本意だからな」
膝をついていたアレクセイに近づいてくる。どこからか、濃密な死の匂いが漂ってきた。抵抗しなければ。そう思ったが、身体が動かない。すべてを賭けた一撃をあのように返されてしまって心が折れたのか、それとも身体が限界を迎えたのか、どちらなのかよくわからなかった。
「…………」
アレクセイは歯を食いしばり、絞るように身体を動かして、こちらへと近づいてくる男に向かって矢を放った。
「ほう」
男は短くそう言いながら、放たれた矢をいともたやすく回避する。
「まだ折れてはいなかったか。見事だ人間。そうこなくてはな」
矢を放ったアレクセイは後ろへと飛び、距離を取った。軋む身体を奮い立たせ、立ち上がる。
アレクセイが立ち上がったのを見て、エリックとロートレクも立ち上がった。だが、時間を稼ぐために相当の無理をした彼らの動きは見る影もない。この状況になってもなお、心が折れていなかっただけ充分だろう。
だが、どうすればいい? 奴はすべてを賭けたあの一撃をもってしても倒すことができなかったのだ。あれで倒せなかった以上、他の手段で傷つけられるとは思えなかった。このまま戦ったところで――
『聞こえていますか?』
その瞬間、どこからともなく声が響いてきた。先ほどの雷によって周囲は全壊し、自分たち以外、誰の姿もない。一体どこから? そう思った。
『突然のところ申し訳ありません。私はアースラと言います。こちらでできる限り、住民の避難誘導が終わったので、こうやって接触をさせていただいたのですが――』
エリックとロートレクも目を白黒させていた。こちらと同じくこの声が聞こえているのだろう。
『……あの若造たちの仲間か?』
奴らにこちらが把握していない協力者がいたとしても不思議ではない。
『ええ、そうです。縁あって、タツオ殿とタイセイ殿に協力をしている者です。随分とお疲れのようですが――まだ戦う気力は残っていますか?』
『なんとかな。まだ動けるが、どこまでできるかはわからん』
自分はもちろん、時間を稼いでいたエリックとロートレクはそれ以上に消耗しているだろう。なにしろあの一撃にすべてを賭けていたのだ。余力などないに等しい。
『で、突然なんの用だ? 俺たちを笑いにでも来たのか?』
『まさか。そのようなつもりはまったくありません。もしかして、何故私が接触してきたのかわかりませんか?』
その言葉はやけに胡散臭いものであったが、追及する余裕などなかった。
『俺たちに協力するってことか?』
この声の主が、本当にタツオとタイセイの仲間であるのなら、それ以外考えられないが――
『ええ、その通りです。他の方々のところも覗いてみたのですが、あなた方のところが一番分が悪そうだったので』
『…………』
その言葉は癪に障るものであったが、同時に事実でもあった。奴とこちらの能力はあまりにもかみ合い過ぎている。
信用するべきかどうか悩んだものの、あれが返されてしまった以上、このまま戦ったところで勝ち目はないに等しい。この状況を打破しうるのであれば、使えるものは使う以外選択肢はなかった。
『ところで、お前はさっき住民の避難誘導が終わったと言っていたな? それは本当か?』
『ええ。少しばかり手荒な手段になってしまいましたが、最善を尽くしました。いまこの町には、戦っているあなた方と竜どもしかおりません。無論、助けられなかった方もおりますが』
『そうか、ならいい』
こいつがどのような手段を使って住民を避難させたのかは気になるところであったが、それを追及している場合ではない。
『お前の話に乗ってやる。俺たちに協力しろ』
ここで騙されたところで、死ぬのが早くなるだけのことだ。いまやるべきなのは――
あの修羅のごとき男を倒すことだけだ。
『ありがとうございます。私にできるのはあなた方を手助けすることだけなので、倒せるかどうかはあなた方次第ですが――できることはさせていただきましょう。それでいいですか?』
『御託はいい。とにかく手伝え。こっちはもう色々と限界なんだ』
アレクセイの言葉を聞き、声は『わかりました。できる限りのことはさせていただきます』と返してくる。
あの若造どもの仲間を自称するこいつがなにをするのかはわからない。だが、他に頼れるものがない以上、生き延びるためにはどんなものでも使わなければならなかった。
とにかく、やるしかない。
そう考えたところで、アレクセイはひと息つき――
立ちはだかる修羅のごとき男に向かって再び矢を放った。
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