第253話 テントの中で

 大きなテント内は、ここがテントであることを忘れさせるくらいしっかりとした作りになっていた。かつて自分がいた世界の駐屯地よりもまともと言っていいぐらいである。


 中には多くの姿があった。人種、年齢もともに様々で非常に多様だ。ここでなら、自分のような人間がいたとしてもそれほど目立ちはしないだろう。それがいいかどうかは不明であるが。


『まずはどうする?』


 大成はブラドーに問いかけた。


『アテがない以上、とりあえず誰かに訊いてみるのが無難であろう。そこらでたむろしている奴らではなく、まずはあっちだろう』


 ブラドーが示したほうにはカウンター席があった。都合のいいことに、一つだけ席が空いている。はじめに話をしてみる相手としては無難であろう。


 大成はテントの中を進み、その空いているカウンター席へ腰を下ろした。


「……見ない顔だ。あんた、ここに来たのははじめてだな」


 席に座ると同時に、カウンターの奥にいる男が話しかけてきた。顔に大きな傷のある大男であった。


「ああ。少し話を訊きたくてね。ここにはティガーが集まっているんだろう?」


「ああ、そうだ。だが、話を訊くのなら飲み物の一つくらい頼んでいけ。それが礼儀ってもんだからな。それさえしてくれりゃあ、好きにしてくれて構わん。わかっているとは思うが、俺たちや他の客の迷惑にならん程度にだが」


 男の言葉を聞き、「確かにそうだ」と大成は納得する。


「それじゃあ、なにか適当なものを一つ。このへんの飲み物には詳しくないからな」


 大成がそう言うと、男は「そうか。少し待ってろ」とぶっきらぼうな調子で言葉を返してくる。いくつかの液体をシェイカーに入れ振ったのち、その中に入っている液体をグラスへと注ぎ、それを大成の前へと差し出した。淡いピンク色の液体。恐らくなんらかのカクテルだろう。


「いくらだ?」


 大成がそう問うと、男は三本指を立てた。大成は言われた通りの金額をカウンターに置く。


「まいど」


 それだけ言った大成が置いた金を受け取ったのち、男は他のことを始める。こちらに対し、必要以上に関わるつもりはないようだ。


 とりあえず、差し出された淡いピンク色のカクテルが入っているグラスを手に取り、ひと口流し込んでみる。チェリーっぽい味わいのカクテルだった。甘酸っぱく、それでいて酒らしいしっかりとした苦みも感じられる。飲みやすいが、意外とアルコール度数は高そうだ。この程度なら一気に飲み干しても問題ないだろうが、状況が状況だ。万が一ということもあり得る。ゆっくりと飲むことにしよう。


「……口に合ったか?」


 カクテルをひと口飲んだ大成に男が話しかけてくる。


「ああ。こういう酒を飲む機会なんてなかったからな。悪くない」


 かつていた世界での酒と言えば、終わりが見えぬ戦いから逃避するために手っ取り早く酔える質の悪いまずいものばかりだった。こうやってゆっくりと酒を楽しむことは、怪物の出現によって失われてしまったのだろう。


「ところで一つ訊きたいんだが」


 大成はカクテルの入ったグラスを置き、男へと話しかけた。


「なんだ?」


「ティガーの行方不明事件について話を訊きたいんだが、誰か詳しい奴はいないか?」


 大成がそう言うと、それを聞いた男の気配がわずかに変化するのが感じられた。三白眼がこちらへと向けられる。大成はすぐさま身構えたものの――


「あんたが、アレクセイが言っていた奴か?」


 男の問いかけに対し、大成は「なにか問題でも?」と返す。


「いや、別にそういうわけじゃない。奴が他人の力を借りるなんて珍しいことだから、どんなのか気になっただけだ。まさか、こんな若造だとは」


「あいつ、随分と有名なんだな」


「ああ。奴らは、この町を拠点にして活動しているティガーの中じゃ、一二を争う実力者だからな。世間的にはウィリアムたちのほうが有名だが、あいつらだって実力も実績も劣るものじゃない」


 ここでもそう言われるということは、やはりアレクセイという男は相当のものなのだろう。


「アレクセイから、ティガーの行方不明事件について嗅ぎ回ってる異国人がいたらできる限り協力しろと言われている。俺としても、ティガーたちがいなくなっちまったらいまみたいに景気よく商売ができんからな。しっかりと協力させてもらうつもりだ。無論、商売に支障をきたさない程度ではあるが」


 大成は男の言葉を聞きながらカクテルの入ったグラスを取り、もうひと口流し込んだ。甘酸っぱさと苦みが非常にいいバランスをしており、思わず一気に飲みたくなってしまうほどの美味さだ。


「じゃああんた、この事件についてなにか知ってるか?」


「俺は聞きかじった程度のことしか知らんが――アレクセイたちと同じく仲間が行方不明になった奴らがいる。手がかりを探しているのなら、そいつらから話を訊くほうがいいだろう」


 男はそう言ったのち、「おい、タイラー! あんたらの客だ」と喧騒に包まれたこのテントの中でもよく通る声を張り上げる。すると、すぐに別の男がこちらへと近づいてくる。モヒカン頭の男であった。


「奴はタイラー。この町で活動しているティガーの一人だ。さっきも言ったが、仲間の一人が行方不明になっている。俺よりも事件について知っているはずだ」


 男から紹介され、タイラーは「アレクセイから話は訊いている。よろしく頼む」と見た目とは裏腹に気さくな調子で返してくる。


「斎賀大成という。こちらこそよろしく」


 大成がそう言うと、タイラーは少しだけ驚いた調子を見せた。


「どうかしたか?」


「いや、気にしないでくれ。以前、あんたと似た響きの名前をした奴と仕事をしたことがあったからな」


「…………」


 もしかしたらそれは、氷室竜夫ではないかと思ったが、いまここで突っ込む必要もあるまいと判断し、それ以上はなにも言わなかった。そんなことよりも、いまやるべきことは他にある。


「まあ、ここよりも静かなところで話をしたほうがいいだろう。奥の個室を貸してくれないか?」


 タイラーがそう言うと、男は「構わんが、手短にな」とだけ返した。


「それじゃあ、ついてきてくれ」


 タイラーがそう言い、テントの奥へと向かって歩き出す。


 大成も、歩き出したタイラーの後に続いて、テントの奥へと向かっていった。

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