第108話 前門の虎、後門の狼

 竜夫の目の前に立ち塞がるのは四人の男たち。恐らく、彼らはいずれも相当の戦闘力を持っていると思われる。その強さは、ウィリアムたちと同等レベルであると考えて差し支えないはずだ。


 目の前にいるアレクセイたちの目には、こちらの姿など映っていない。その目はまるで、どこか遠くにあるものを見ているかのようだ。


 ウィリアムたちと同等。その強さはかなりのものだ。彼らと肩を並べ、共闘した竜夫にはその強さは充分に理解できた。しかも、それが四人。相当な実力差があっても、四対一ではまず勝ち目がないというのに。その事実は、はっきりいってシャレにならない。目を背けたくなる。


 だが、逃げるわけにはいかない。いや、逃げられる状況ではないのだ。退路はすでにどこにもない。この部屋は霧で遮られている。


 さらにいうなら、自分の背後は敵を突破するために広範囲にわたって炎上させたせいで、この広々とした空間ですら分断されている状況だ。下手に退けば、背後にある炎で焼かれることになる。なにをどうやったところで、前に進むよりほかに道はない。


 背後からは、猛烈な熱と薬品のような匂いが感じられた。リチャードがぶちまけたあの瓶の中には、なんらかの可燃物、もしくは炎上を爆発的に促進させるものが入っていたのだろう。


 だとすると、このまま長期戦になるのはこちらもやばいかもしれない。自分の背後で燃えさかる炎がこのまま拡大しないとは限らないからだ。可燃物による炎は、通常よりも消火が困難である。入口を遮る霧によってこの場からの脱出を不可能にしている状況で、この炎上がこの空間全体に拡大するようなことになれば、この場にいる全員、焼け死ぬか窒息死するだろう。そうなってしまったら、元も子もない。


「ほんと、どこまでも嫌になる状況だ」


 竜夫は小さくぼやいた。その言葉に、返してくれる者は誰もいない。


「でもまあ、こうなってしまった以上、やるしかない。できなきゃ生きて帰れないんだから」


 炎を背にした竜夫は一歩踏み出す。踏み出すと同時に、前に立ちふさがるアレクセイたちが反応する。当然のことながら、彼らはこの先に進もうとする自分を見逃してくれる様子はなさそうだ。戦いは避けられない。


「僕としても、殺さないようにっていうウィリアムさんの意思は尊重したいところだけど――果たしてやれるのか」


 これに関しては、生き残るための必須事項ではない。アレクセイたちを殺さないようにして、こちらが死んでしまっては意味がないとウィリアム自身もそう言っている。この仕事は命の危険があるわけだし、アレクセイたちも殺される覚悟くらいは多少なりともできているはずだから、殺された恨みで化けて出てくるようなことはないと思うが――


「それでも、失敗をしたとはいえ、悪いことはしていない彼らを殺すのは、あまり寝覚めがよくないな」


 竜夫はさらに前に踏み出す。すると、アレクセイたちの空気が変わった。虚空のような目で、こちらを見ている。やはり、この先を押し通るのなら、彼らとの戦闘は避けられそうにない。


 覚悟を決めろ。


 相当の戦闘力を持つ四人を相手にすることに。


 逃げることはできないという現実を直視しろ。


 そうしなければ、ここから生きては帰れない。


「あんたたちに恨みはないけど――こっちだって死にたくないんだ。痛い目を見ることになっても、あんたらのうち誰かが死ぬことになっても、恨まないでくれ。それは、なにかの罠に引っかかってそうなった、あんたらの責任だ」


 竜夫は右手の刃と、左手の銃を持ち直す。


「できる限りの最善は尽くそう。ウィリアムさんたちもそう思っているだろうし、僕もそうしたいと思っている。だからといって、なにもかもできるようになるわけじゃない。僕もウィリアムさんたちも、もちろんあんたらにだってできることには限りがあるんだ。だからあんたたちだって、罠にかかちまったんだろう?」


 こちらの言葉に対し、彼らは答えることはない。


 それでも、竜夫は言葉を続けた。


「自分たちがやることを正当化するわけじゃない。恨むなら恨めばいい。誰かに恨まれる覚悟くらい、僕にはとっくにできている」


 竜夫は右手に持った刃を操った。操られている彼らをできる限り殺さないように、刃を潰す。


 左手の銃に込められた弾丸を、非殺傷のものへ。


 さらに前へと踏み出す。アレクセイたちとの距離は、十メートルを切った。アレクセイたちはなおも機械のように無機質な目をこちらへと向けている。いつ動き出してもおかしくない状況であった。


「それじゃいくぜ。できることなら、抵抗しないでここを通してくれ。そのほうがあんたらだって得だろう?」


 竜夫がそう言うと同時に、アレクセイたちの仲間の一人が動き出した。動き出したのは、大柄で色黒の男。その動きは巨体に似合わず、とてつもなく敏捷であった。一瞬で、竜夫に接近する。


 しかし、この異世界に来てから、多くの戦いの経験を積んできたいまの竜夫にとって、その程度で驚くことはない。高速で踏み込んできた大柄の男を、右手に持った斬れない刃で迎撃。竜夫の刃が、なにかと衝突し、せき止められる。色黒の大柄な男は、その腕に青色の手甲がはめられていた。


「…………」


 黙したまま、色黒の大柄な男は全身の力を使って竜夫の刃を押し返そうとする。竜夫はわずかに身体を引いて、前に押し返そうとしていた男の態勢を崩した。


 その隙をついて、竜夫は翻りながら前へと出る。


 だが、二歩ほど踏み出したところで、背後から悪寒を感じた。竜夫は背後を見る。その瞬間、自身の背後から放たれたのは青白い光。竜夫はとっさに身体を引いたものの、完全に回避することは叶わなかった。そこには、手甲を嵌めた腕を上げてボクサーのように構えている男の姿があった。


「……っ」


 色黒の男の手には遠距離から攻撃するものはなにもない。あるのは両腕に嵌められた頑丈そうな手甲だけだ。


 一体なにをしてきた? そう思ったものの、こちらを排除せんと襲いかかる男は、それを考えさせるような時間など与えてくれない。前に踏み出した竜夫に向かって踏み込み、コンパクトなフックを放った。竜夫はその一撃を、手に持った刃を振って弾く。手甲と刃がぶつかる音が響き渡った。


 色黒の男の攻撃を弾いた次の瞬間、背後から気配が感じられ、竜夫はそちらに視線を向ける。そこにいたのは、巨大な十字槍を持つ痩せた男の姿が見えた。身の丈を遥かに越えた十字槍を腰だめに構え、こちらへと突進してくる。その姿は、雷光のように鋭い。片手では防ぎきれないと判断した竜夫は銃を消し、両手で刃を持つ。相手の突進に合わせ、刃を振るう。当然のことながら、勢いをつけた突進は完全には防ぎきれない。十字槍によって自身の身体を貫かれることは防いだものの、斜め後ろへ一メートルほど弾き飛ばされた。


 その隙を突くように、今度は色黒の男が接近。手甲を嵌めた腕によるジャブが放たれる。


 自身の顔面に向かって放たれた大砲のようなジャブを刃で防いだ。


 しかし、敵の拳がこちらの刃に触れた瞬間にとてつもない衝撃が感じられた。その予想外の衝撃に、竜夫の動きはわずかに止まった。


 そこに追撃を行ってきたのは、十字槍を持つ痩せた男。こちらの間合いの外から槍を振り下ろしてくる。竜夫は横に飛び込んでそれをなんとか回避。そのまま前転して、体勢を立て直しつつ、立ち塞がる四人を視野に入れた。


 一体、なにが起こった? そう思いながら、竜夫は自身に攻撃を仕掛けてきた色黒の男へと目を向ける。彼の手に嵌められた手甲はばちばちと音を立てながら青白い光を放っていた。


「……電気」


 竜夫はぼそりと呟く。


 先ほど感じられたあの衝撃は、間違いなくあれによるものだ。その前に、踏み出したあと背後から放たれた謎の攻撃も手甲が纏っている電気によるものだろう。どうやら、ただの手甲ではないらしい。


「泣けてくるね、本当に」


 そんな言葉を漏らしたが、前に立ちふさがるアレクセイたちは手を引く様子はまるでなかった。


 竜夫は、アレクセイたちの奥にある道を見た。それは十五メートルほど先の場所にある。それは近くに見えるのに、果てしなく遠くにあるように思えた。


 しかし、弱音など吐いていられない。ウィリアムたちを、タイラーたちを、そして操られたアレクセイたちを救うためには、あの先に進むよりほかに道はないのだから。


 この場にいるすべてを救うための戦いは、まだ終わらない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る