第74話 新たなる任務
「来たか」
ケルビンが特殊作戦室に入るなり、奥の椅子に腰かけて重苦しい表情をした自分の上司であり、ここのトップでもあるヨハン・スチュアートの姿が目に入る。
「非番のところ申し訳ないが、緊急の仕事だ」
ヨハンは机に両肘を立て、刃物のように鋭い目を向けている。ケルビンは、すぐさま彼が発している重く鋭い空気を感じ取り、非番自分を呼び出す必要のあることが起こったのだと判断する。
「いえ、別に構いません。そういう仕事であるとは重々理解していますから」
急に呼び出されることくらい、スラムでゴミを漁るような最低な生活に比べればたいしたことではない。
「そうか。ならいい。お前はあの三人がやられたことは知っているな?」
あの三人とは言うまでもなく、自分の同僚でもあり先輩でもあった彼らのことだ。数日前に、アーレム地区の軍施設から脱走した被験者の始末に行った腕利きの暗殺者たち。バーザル、ガイアン、ヴィオラ。あの三人が脱走した被験者にやられたと聞いたとき、ケルビンは冗談だと思ったほどだ。
「ええ。一応は。はじめは質の悪い冗談かと思いましたが」
彼らの後輩でもあるケルビンはあの三人の実力は重々承知している。自分と同じく竜の力を持つ彼らは、たった一人で一個大隊にも等しい戦力だ。その三人はやられたとなったら、非番の自分を呼び出す程度には非常事態だと言えるだろう。
「質の悪い冗談のようだが、事実だ。お前が非番の間、こちらはあの三人の死体を回収した。三人とも、我々と同じく表沙汰にはできない汚い仕事を生業としているから、軍の中でも一部しか知られていないがね」
普段、ほとんど表情の変わることのないヨハンの声色が少しだけ苦々しいものとなっていた。この特殊作戦室の中でも指折りの実力者が一気に三人もやられたとなったら、そうなってしまうのも無理はないだろう。自分もヨハンと同じ立場であったのなら、同じように思うはずだ。
「ということは、俺にあの三人の後任を? 引き継ぐのは構いませんが、あの三人で駄目だったのなら――」
ケルビンも昨日今日にこの仕事を始めたわけではないから、それなりの力があることは自負している。だが、あの三人はこの特殊作戦室の最大戦力と言ってもいい存在だ。その三人が一気にかかって駄目だったのなら、自分一人がこの仕事を引き継いだところでどうにかできるとは思えなかった。そもそも、こちらは一人である。それだけを考えても戦力は三分の一だ。他に自分と一緒にチームを組んで仕事をする者の姿もない。
「いや、この仕事はお前が適任だ。なにしろ脱走した被験者というのは、我々と同じく竜の力を保有しているからな」
「どういう、ことですか?」
ヨハンの言葉を聞き、ケルビンは困惑に襲われた。何故、軍の施設にいた被験者が竜の力など持っているのだろう? 竜の力は、軍がすべてを保有しているはずだ。ただの被験者が、その力をかすめ取ることなどできるはずもない。竜の力がどこに保管されているのかは、軍の中でも最重要機密事項だ。一般の兵士はもちろん、目の前で話しているヨハンですらそれについては知らされていないだろう。一体どういうことなのか。
「これは公表されていないが、そもそもその被験者を助けたのが、この世界に最後に残った竜だ。そいつが、自ら助けた被験者に力を譲渡したようだ」
「それは――」
二週間ほど前の明け方、帝都郊外の上空を竜が翔け、彼方へと消えていったというのは、多くの新聞で写真つきで大々的に報じられた話である。まさか、その竜が脱走した被験者だったとでもいうのだろうか?
「残念だが、お前が考えている通りだ。これもまた質の悪い冗談のようだがね。先日帝都の空を飛んでいた竜というのは、その脱走した被験者だ」
ヨハンはまるで見てきたかのようにはっきりと断言する。上司である彼はこのような場で冗談を言うような男ではない。それも恐らく、はっきりと確証のある話なのだろう。
ケルビンはヨハンのほうへと目を向けた。ヨハンは相変わらず重く鋭い表情のまま、机に両肘をついて口もとのあたりに手を寄せている。やはり、このような場で、三文小説のような与太話をするようには見えなかった。
「ですが、どこに軍が管理していない竜の力が――」
「実を言うと、たった一つだけ、我々が管理してないものがある。これも公開されていない情報だがね。かつて、我々と袂を分かった最後の竜がいる。アーレムの施設を襲撃し、被験者を助けたのはそいつだ」
「…………」
はじめて聞く話だ。一般的な見識として、この世界にはすでに竜は存在していない。かつていた竜たちが残した摩訶不思議かつ便利な文明の遺産だけを残し、ある時代を境に姿を消したのだ。その話は、初等教育でも習う話である。
「残念だが、これ以上の詳しい話は機密事項になる。私の口からは話せないし、お前もこれ以上、知ることは不可能だ。任務上、必要でなければ、現段階ではこれ以上の情報は開示されない」
ヨハンははっきりと断定する。これ以上粘ったところで、この男はこれ以上の情報は明かしてはくれないだろう。
それに、所属しているのが表沙汰にはできない汚い仕事を請け負う部隊であってもここは軍という組織である。上軍である以上、上官の命令は絶対だ。ここで仕事を断ることはできない。
そしてなにより、相手が自分と同じく竜の力を持っているのなら、その始末を請け負うのは自分が適任であるのも事実だ。自分に与えられた竜の力は、竜に害を為す呪われたものなのだから。
「わかりました。任務を受けるにあたって、現段階で俺に明かせられる被験者の情報はありますか?」
「ああ。任務を受けるにあたって必要となりうる情報はすでにお前の部屋に送ってある。あとで確認しておくといい。それほど多くの情報はないがね。存分に使え」
「わかりました。では、これより任務を開始します」
ケルビンはそう言って敬礼をする。
「それでは、失礼いたします」
ケルビンは一礼し、踵を返そうとした、そのとき――
何故かヨハンが自分に向けている視線が気になった。
「……どうかいたしましたか?」
「……いや、なんでもない。今回も危険な任務になるが、最善を尽くしてくれ」
ヨハンがそう言ったときには、先ほど自分に向けていた奇妙な視線は消えてなくなっていた。いつも通り、怜悧で重圧感のある視線に戻っている。
「では、失礼いたします」
もう一度ケルビンは敬礼し、踵を返して扉へと進む。
『哀れんでいるつもりか』
部屋の外に出たところで、ブラドーが吐き捨てるような声を響かせる。
「どういうことだ?」
ケルビンはそう問いかけたものの、ブラドーはすぐに「いや、なんでもない。忘れてくれ」とだけ言った。
同居者も上司もなにやら妙だ。これも、軍が管理していない竜の力のせいだろうか? なんてことを思った。
「ところでブラドー。いいのか? これから俺は、あんたの力を使って、あんたの同胞の力を得た奴を殺すことになるんだが」
『別に構いやしねえよ。相手が同胞だろうが知ったことか。そいつらのせいで俺は散々な目に遭ったんだからな』
呪うような声で、ケルビンの中にいる、竜に仇なす呪われた血を持つ竜ブラドー吐き捨てた。
どうやら、今回の仕事も一筋縄ではいかないらしい。ケルビンは歩きながら、そんなことを考えながら、自らの自室へと戻っていった。
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