第36話 問答

 爆撃の嵐に晒された竜夫の身体は地に落ちていく。限りなく、ゆっくりと。まるで、時間の流れが遅くなったかのように。


 一撃でも人体を破壊する熱と衝撃に晒されたその身体は誰の目から見ても満身創痍。自分でも、どうして生きているのか不思議なくらいである。


 重力によって地に引き寄せられるはずの身体はまだ落ち続けている。さっきまで立っていた場所は、それほど高いところではなかったはずなのに。


 目の前に、自らを地に墜落せしめた宙に立つ男の姿が見える。彼は動かない。地に落ちていく竜夫のことをただ眺めていた。どうして追い打ちをかけてこないのだろう? 竜夫は落下しながらそんなことを考える。


 バーザル・ジョー。施設から逃げ出した竜夫を狙う刺客の一人。戦闘、そして殺しのプロ。神速を誇る全身爆弾男。こちらがあらゆる手を尽くしたにもかかわらず、それを切り抜けてきた強者。


 自分の力を過信していたわけではない。

 誰にも負けるはずがないと、驕っていたいたわけでもない。


 自分がこうして墜落しているのは明白だ。


 ただ単純に、奴は強かったのだ。竜の力を得た自分よりも。


 そりゃあそうだ。なにせこちらはわけがわからないまま力を手に入れて、まだ数日しか経っていないのだ。そんな付け焼刃も甚だしい自分が、鍛錬と経験を積んだ戦士に勝てるわけがない。


 身体はまだ宙にあった。いつまで落ちているのだろう? さっさと落ちてくれれば、楽になれるかもしれないのに。早く、この苦しみから解放されたい。


 身体中が痛い。


 どうして、こんな痛くて苦しい思いをしなければならないのだろう?


 理不尽だ、と思う。


 こんな目に遭わなければならないほど、悪いことをした覚えなんてないのに――


 でも――


 このまま地に落ちて、立ち上がらなければ、その苦痛から解放されて――


 そんな考えが、頭に過ぎったとき――


『諦めるのか?』


 声が聞こえた。その声は、低く重く厚く、身体の芯からこちらを威圧する力がある。どこかで聞いた覚えのある声だと思ったけれど、誰だかわからなかった。


「…………」


 竜夫は、答えない。


 その問いに答えてしまったら、それが現実になるような気がして答えられなかったのかもしれなかった。


 とにかく、この苦痛から逃げたかったのだ。それさえできれば、なにがどうなろうと構わなかった。


『お主は充分に戦った。なにも知らぬ素人でありながら、あそこまで戦ったのは、驚嘆に値する。勇敢であったと称えよう。全力を尽くしたことも認めよう。お主が手を抜いていたとは思わぬ。他の誰が認めなくとも、わしが認めてやる。


 だが、それでも問わせてもらおう。ここで諦めてしまうのか、と?』


 竜夫の全身に重圧を与えるかのような声で再び同じ問いかけをする。


 充分に戦ったとわかっているのなら。

 驚嘆に値すると言うのなら。

 全力を尽くしたと言葉を投げかけるのなら。

 他の誰が認めなくとも、認めてくれるのなら。


 どうしてここで諦めるのか、なんて言うのだ?


 頑張ったのだから。

 全力を尽くしたのだから。


 それでいいじゃないかと思う。


 どんなに力を尽くしても、力及ばずに敗北することなんて珍しいことじゃない。それは、いつどこで、どんな場所で、どんな出来事でも起こり得ることだ。絶対無敵の永遠の強者でない限り、それは誰にでも襲い来る。


 自分の場合、それがいまこの瞬間だったのだ。自分を狙う刺客との戦いの中でそれがやってきた。ただそれだけじゃないか。


『それも認めよう。お主の言う通り、どんな力あるものでも、敗北を知らぬ永遠の強者ではあり得ない。誰にでも、いつか敗北はやってくる。この世界を支配した、竜たちが滅んだように』


 わかっているのなら、どうして――


『では、別の問いをしよう。敗北するときとはいつだと思う?』


 それは――


『闘争における敗北には二つある。一つは死んでしまったとき、もう一つは――』


 声は一度そこで言葉を切り――


『心が折れてしまったときだ』


 その声はなによりもはっきりと断言する。


『死んでしまったのなら仕方ない。生きているのなら、死は避けられないものだ。それは、戦いにおいても同じ。死んだら終わりだ。それほど力を持っていようとそれは変えられぬ。愚かな行いによってそれが生じたわけではないのなら、責められる道理はない。ましてや、お主のように勇敢に戦ったのならば、それはなおさらだ』


「…………」


 竜夫はどこかから聞こえてくる言葉を黙ったまま聞いていた。その声には、不思議と耳を傾けたくなるなにかがあるように思えた。


『だが、心が折れて敗北するときは違う。あらゆる可能性を潰されたと、先に光が見えないと思ってしまうからそれは起こるのだ。あらゆる手を尽くしていないにもかかわらずな』


 お前は、僕がまだあらゆる手を尽くしていないと、そう言いたいのか?


『そうだ。確かにあの男は強い。それは否定せん。しかし、おぬしがおよそ考えうるあらゆる手を尽くし、その奴がそれを乗り越えてきたわけではないだろう? まだ講じておらぬ、手があるはずだ。そこに、奴を突破する光がある。心が折れて許されるの名、そうなったときだけだ』


 お前は、死ぬまで戦えと言うのか?


『違う。逃げるのも立派な手段の一つだ。戦いというのは、ただその瞬間に優位であればいいものではない。戦いにおける勝利とは、最後に立っていることだ。であるならば、逃げたことによってその先に勝ちを見出せるのなら、それは立派な戦術である。戦術的逃走を認めぬのは、戦いを知らぬ愚者に他ならない』


 逃げてもいいと?


『それにより最終的な勝利をつかめるのなら大いに結構。おぬしがどのような戦術を取ろうと、それを止めさせ、他の戦術を強要する権利はわしにはない』


 こちらを威圧するような重さのある声がそんなことを言うのは意外だと思った。


『最後に一つ、おぬしに呪いをかけさせてもらおう』


 その言葉を聞いた瞬間、とてつもなく嫌なものが過ぎった。


『おぬしの油断により、一つ命が失われた。それは、どれほど言葉を費やしても否定できぬ事実である。わかっておろう?』


 その言葉を聞いて、竜夫は心臓を鷲づかみにされたかのような痛みを覚えた。


『戦えるものの油断によって、戦う覚悟のないものが死ぬ。それは、戦うものにとっては大きな罰の一つだ。おぬしはその罰を犯してしまった』


 やめろ、そう思ったけれど、同時に事実であることも理解していた。理解せざるを得なかった。


『であるならば、おぬしはなにがあろうとも、敗北を重ねようとも、あの男に勝たなければならん。覚悟のないものを巻き込んでしまったことを恥じるのであれば』


 自分の選択によっては、骨すらも残らずに蒸発してしまった彼を守れたかもしれないと思うと、心から後悔せざるを得なかった。


『目の色が変わったな。それでいい。おぬしに諦めは似合わない。いままでそうしてきたように、足掻き続けるのが似合っている。


 では、時間だ。さらば』


 その言葉が聞こえると同時に――


 竜夫の限りなく遅くなった時間がもとに戻る。



 落ち続けていた竜夫は空中で姿勢を立て直し、墜落する寸前で地面に着地。それから上を見る。


「ほう。てっきり心が折れたように見えたが、違ったようだ。俺の目もまだまだだな」


 変わらず宙に浮かんでいるバーザルは竜夫を見下ろしながら言う。相変わらず、一切の油断はないのにもかかわらず、余裕に満ちていた。


「生憎、諦めが悪いものでね」


「ほう。それならば、折れるまで叩き続けるのみ」


 バーザルは宙を蹴った。自分の数倍ある巨体が高速で上方向から迫ってくるというのは、否が応でもこちらを圧迫する。


 だが、来るとわかっていればなんとかなる。


 竜夫は両手に銃を創り出し、後ろに飛ぶと同時に引き金を引く。竜夫が放ったのは、とにかく大量の弾丸をまき散らすためだけを考えた散弾。ほかは一切考慮していないため、威力も弱く、射程も短く、命中精度もすこぶる悪いが、そんなの知ったことではない。そもそもこれで奴を仕留めるつもりなどないのだ。狙いは別のところにある。


 当然、威力の弱い大量の弾丸をまき散らしただけでは、頑強なバーザルが傷つくはずもない。バーザルは首だけは竜夫の胴ほどもある腕で防御し、爆発物とともに竜夫が一瞬前までいた位置に激突。同時に大爆発が巻き起こる。その範囲はすさまじく、後ろに飛んでも竜夫の身体に熱と衝撃が襲う。だが、後ろに飛んでいたため、熱と衝撃を受けたのは最小限で済んだ。これならば、まだ問題ない。


 竜夫はもう一度後ろに飛びながら同じ弾丸を放つ。大量の弾丸をばら撒くことだけを考えたそれは、確かにバーザルに命中したが――


 やはり、傷つけることは叶わない。それどころか、放たれた弾丸はバーザルの身体にめり込んだだけだ。


「目くらましのつもりか! 二度は効かん!」


 再び巨体が竜夫に迫りくる。その速度は、相変わらず速い。


 竜夫は創り出した銃を捨て、今度はナイフを創り出して、後ろにステップしながらそれを投擲する。とりあえず、胴体のどこかに命中する軌道であればいい。


「ふん!」


 竜夫が投擲したナイフは、バーザルの子供の手首くらいある太い指によって防がれる。あれだけでかい図体をしているにもかかわらず実に器用で繊細な動きをする男だ。


「やっぱり……」


 竜夫はぼそりと呟いた。


 よし。いまので見えてきたぞ。奴を突破する手段が。


 だとしても、うまくいくかどうかは未知数だ。とにかく、こちらの手を感づかれないことが重要だ。


 機会を窺おう。


 なに。あいつだって言ってたじゃないか。いずれ勝ちを拾えるのであれば、逃げるのだって立派な手段であると。


 戦いは、まだ続く。

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