第27話 子供と孤児院

「つ、疲れた……」


 状況もよくわからないまま、竜夫はどういうわけか、孤児院にいる十数人の子供たちの遊び相手をさせられた。


 年末年始に帰省した時、年の離れた従兄の子供の遊び相手をしていたけれど、あれよりも遥かに疲れたと思う。従兄の子は一人だったが、こっちは十数人もいるのである。十数倍、ってことはないだろうが、それでも一人を相手にするよりも大変なのは明らかだった。


「幼稚園の先生とか児童館の人とかってすげえな……」


 こうして大人になって実際に子供と触れ合ってみてわかったのだが、保育園の先生とか、児童館の職員というのはとても大変な仕事なのだろう。そんな大変なことをやっている彼ら彼女らに敬意を表したい。


 向こうから自分を呼ぶ声が聞こえる。子供たちはまだ遊び足りないらしい。あれだけ走り回っていたのに、その声にはまったく疲れを感じさせない。


「ちょっと待ってくれ。疲れた。休憩させてくれ」


 竜夫は息を整えたのち、大声を出した。向こうの庭から「なんだよ、大人なのに体力ねえなあ」なんていう、どこか楽しそうな声が聞こえてくる。大人のほうが体力ってやつはなくなるんだ、なんてことを思ったが、楽しそうに遊んでいる子供たちに水を差してはいけないので、当然のことながらそれを口に出すことはない。


 それにしても、クルトの奴はなにをやっているのだろう? 後ろを覗き見る。そこには寂れて老朽化した建物があった。孤児院の中に入って何事かをはじめてからもう一時間以上経っているのに、まったく出てくる気配はない。


「子供……か」


 でも、子供たちと遊んでいたときは、異世界召喚というわけのわからない状況に追い込まれ、いくつも困難がいまもなお襲いかかっている現実を忘れることができた。少しだけ、心が軽くなった気がする。


 現在進行形でフリーターの自分に子供なんて、自分には生涯縁のないものだと思っていたけれど、わからないもんだ。人生ってやつはどこまでも予測がつかない。


 どうやってもとの世界に戻るか、もとの世界に戻るまで、見知らぬ世界でどうやって生きていくか、それしか考えていなかったけれど、なにか息抜きになるものを探してもいいのかもしれない。この世界にだって、なにかしら娯楽くらいあるはずだ。そこでなにか自分に合うものを見つければいい。それにいまは結構な金もある。ちょっとした趣味を見つけるのに使うのであれば問題ないだろう。


 そんなことを考えていると――


「ほら」


 後ろからそんな声が聞こえて、竜夫は振り向いた。そこには瓶を持ったクルトが立っている。どうやら、そっちの仕事も終わったらしい。


「飲めよ。子供の相手して疲れただろ」


 クルトは竜夫の前に差し出した瓶を小さく振る。竜夫は瓶に目を向けたまま、動かない。


「どうした飲まないのか? 冷えてるからうまいぞ。それとも、これが俺たちに対する借りになるとでも思ってるのか? 安心しろよ。今日あんたをここに連れてきたことはボスも知らないからな」


「……なに?」


 竜夫は眉をひそめる。


「今日の件は俺が個人的にあんたに頼んだんだ。だから、これはチェザーレファミリーに貸しにはならねえ。むしろ。個人的に付き合ってもらったんだから、俺のほうがあんたに借りを作ったことになる。それに、ボスだって飲み物を奢ったくらいで今日の貸しは帳消しなんて言うほどコスくねえよ」


「…………」


 そう言われ、竜夫は少しだけ逡巡したのち、差し出された瓶を受け取った。手に持った瓶を見る。中にはしゅわしゅわと小さく泡だった透明な液体が入っていた。変なものではなさそうなので、竜夫は瓶を呷り一気に流し込む。いままで飲んだことのない不思議な味が口の中に広がる。なにに似ているかといえば、サイダーが一番近いけれどまったく違う飲み物だ。普通に美味しい。疲れて喉が渇いていたから、砂糖とは違った甘さのある飲み物が沁み込んでいくようだった。


「うまいな」


「おお。そうか。最近出たばかりの新商品で子供に人気なんだが、口に合ってよかった」


 竜夫のつぶやきを聞いたクルトは、そう言って破顔する。


「一つ訊きたいんだが」


「なんだ?」


 竜夫の言葉を聞いたクルトは眉を上げた。


「これは、あんたが勝手にやってることなのか?」


「いいや。これはうちがやってる慈善事業さ。ただ、今日あんたを呼んだのは、俺が勝手にやったってだけさ」


「…………」


「ギャングのくせに、って思ったか? まあ俺もそう思うがね」


 竜夫の反応を見て、クルトは軽く笑う。


「実はうちのボスはああ見えて子供好きでね」


「そうなのか?」


 言い知れない重圧とカリスマを持つあの老婆が子供好きとは。まったく想像がつかなかった。


「だから、帝都にあるいくつかの孤児院を援助しててよ。俺たちは表にできないようなことで金を稼いでいるわけだから、基本的に素性は明かさずにやっているわけだが――」


「ここは違うのか?」


「ああ。ボスはこの孤児院の出身でな。ここの園長は援助しているのがうちのボスだって知ってるし、今日みたいに子供たちの様子を見に行くがてらに物資を届けにいったりしているってわけだ」


「じゃあ、ここの子供はいずれあんたらの仲間になるのか?」


「まさか。子供たちはチェザーレファミリーが援助していることは知らんし、俺はこの孤児院の援助をしている会社の社員ってことになっている。俺たちがギャングだって知ってるのは園長だけさ。俺もボスも俺たちみたいなのになるんじゃねえぞって思ってるよ。真っ当に暮らせるのなら、真っ当に暮らしたほうがいい」


 クルトは少し遠くを見ながら、なにかを思い出すように言う。


「さっきも言ったがこれは慈善事業なのさ。儲けも採算もまったく考えていない。自己満足の趣味の領域さ」


 そう言ったクルトは胸ポケットから煙草を取り出した。


「だがどうしてこんなことを? ギャングだって結局のところ営利組織だろう」


「まあ、その通りだが、あんただって儲けもなんも考えずにやりたいことくらい一つくらいあるだろ? うちのボスはそれがこれなのさ」


 クルトはライターのようなものを取り出し、煙草に火を点ける。


「いまでこそこの大陸情勢は安定しているが、ボスが子供の頃は竜の遺産を巡った戦争が大陸全土で続いていてかなり混乱していたらしい。うちのボスも戦争によって孤児になった一人だ。そんな過去があるからこそ、自分みたいに理不尽に親を失った子供たちをなんとかしたいと思っているんじゃないか」


 火を点けた煙草を口に咥え、紫煙を吸ったのち吐く。


「ま、ボスはそれについて話したりしねえから、よくわかんねえけどよ。自分と同じような境遇の子供たちに真っ当な人生を歩ませたい。そう思っているんじゃねえかな。犯罪で生計を立ててるギャングがすることじゃないと言われたらそれまでだがね」


 クルトは煙を吐きながらそう言って軽く笑った。


「じゃあ、どうして僕をここに連れてきたんだ?」


「単純だよ。うちはギャングだからな。いるのは子供の前に出せないような見た目の奴ばかりでね。あんたなら子供の前に出しても大丈夫そうだったしな。それに――」


 そこで一度言葉を切って、煙草を吸い、煙を吐く。


「なんだか随分と切羽詰まっているような気がしてな。今日みたいに子供と触れ合わせれば気が紛れるかと思ったんだよ。あんた、なにかとんでもなく大きなことをやろうとしているんだろ?」


 飄々とした口調で、的確なことを言うクルト。


 どうやら、クルトはこちらが陥っている状況を察していたらしい。ギャングの幹部だけあって、観察力が優れているのだろう。


 いや、もしかしたらいまの自分を誰の目から見ても、切羽詰まっているのがわかるのかもしれない。だとすると、少しだけ恥ずかしいなと思う。


「あんたがなにをやろうとしているかは聞かねえよ。興味がないといえば嘘になるけど、それを訊くのは野暮ってもんだろ」


 そう言って、クルトは笑みを見せる。やはりそれは、ギャングの一員には似つかないものだった。


「あんた……ギャングっぽくないな」


「よく言われる。だから、俺はこうやってこの孤児院に行って、様子を見に行ったり、物資を届けたりしているわけだが」


「嫌じゃないのか?」


「別に。毎日元気すぎる子供たちと触れ合うってなったら、億劫になるときもあるだろうが、俺が相手するのはたまにだしな。むしろ、それなりに楽しいし、気晴らしになることのほうが多い」


「そういうもの、なのか?」


「そういうもんだよ。あんたもたまには肩の力を抜きなってことさ。ずっと力を入れ過ぎていると、疲れちまうぜ」


 クルトの言葉を聞きながら、竜夫は瓶を呷って透明の液体を流し込んだ、そのとき――


「……!」


 感じられたのは、自分に向けられる何者かの視線。今度のは遠くからだ。こいつらは、一体どこに――


 竜夫はあたりを見回した。当然のことながら、自分を監視するような『何者か』の姿は見えない。


「どうした?」


 急に様子が変わった竜夫を見て、クルトは目を鋭くして問いかけてくる。


「やっぱり、尾行されているのか?」


 こちらの様子を察したクルトは、またしても的確な言葉を言う。


「……ああ」


 竜夫は正直に答えた。当てられてしまった以上、隠しておく意味はない。


「だが、姿はまったく見えない。あんたと会う前にまいたはずだったんだが――」


 どうして見つかったのだろう? この街のどこに行っても見つけられるようなネットワークがあるのか、それとも――


「ガルジアの連中か?」


「いや……違うと思う。アルバを殺されたことに対する報復なら、尾行なんてせずに手を出してくるはずだ」


「心当たりは?」


「…………」


 竜夫はなんと答えたらいいかわからず、押し黙った。


「だから、僕にはあまり関わらないほうがいい。もしかしたら厄介ごとに巻き込んでしまうかもしれない」


 遅いかもしれないけれど、と竜夫は小さく言った。


「ここにいたら、子供たちを巻き込んでしまうかもしれない。だから、僕はここを離れる。今日はありがとう」


 竜夫はそう言って、空になった瓶を置いて立ち上がった。それから歩き出す。クルトは、なにも言わず、引き留めることもしなかった。


「あれ、兄ちゃん。帰っちゃうの?」


 敷地の外に出るために庭を横切ろうとすると、先ほどまで一緒に遊んでいた子供たちがこちらに近づいてくる。


「ああ。ちょっと用事ができちゃってさ」


「そっか。それなら仕方ないね。また来てくれる?」


 子供たちはそれぞれ満面の笑みと期待をその顔に浮かべている。


「……うん。落ち着いたらまた来るよ」


 そう言うのは少しだけ心が痛かった。嘘をついていると思ってしまったから。


「それじゃあね! 兄ちゃん」


 大きく手を振る子供たちを一瞥してから、竜夫は歩いていく。狭い孤児院の庭の外にはすぐに辿り着いた。


 歩きながら、この孤児院にまた来ることはあるのだろうかと考えた。しかし、それについて考えようと思っても、どこかから感じられる視線が邪魔をしてくる。


 苛立ちを感じながら、竜夫は寂れた街の中を進んでいった。

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