第26話 清浄なる朝の戯れ

 スキンヘッドによって案内された先には、一台の車が停まっていた。以前も見たものと似たような型のクラシックカーである。あれに、クルトが乗っているらしい。

 スキンヘッドは車に近づき、窓を叩く。窓はすぐに開かれた。


「クルトさん、連れてきました」


 窓が開かれると同時にスキンヘッドは事務的な口調で言う。その言葉を聞いて、車の中にいるクルトは「ああ、ありがとう」と返してくる。


「それじゃあ、俺はこれで」


 失礼します、と野太い声で言ったのち一礼し、車から離れていく。どうやら、あのスキンヘッドは自分をここに案内するためだけにいたようだ。


「なにやってんだ。一緒に来てくれるんだろ? それならさっさと乗ってくれないか?」


 スキンヘッドの姿が視界から消えると、クルトは窓から顔を覗かせて竜夫の方を見ながら言う。


 竜夫は、少しだけ躊躇したのち、助手席側に回り込んで扉を開けて乗り込んだ。なにをやらされるのかは不明だが、なるようになるだろう。どうせ人殺しだってなんの感慨もなくできてしまうのだから。それでも拒否感を覚えるのであれば、断ればいい。向こうはこちらと争いたくないと言っている以上、下手なことはしてこないはずだ。


 やはり車の中に満ちている空気は自分がよく知っているものと違う。車に乗ったときに決まって感じる、あの匂いがまったく感じられない。それは、この車に使われている材質のせいなのか、それとも使われている燃料のせいなのか、それはわからないけれど。やっぱり不思議である。


「なにをさせる気だ?」


 竜夫はシートに腰を下ろし、身体を深く預け、できるだけ低い声で言う。


「そんなに怖い顔するなよ。別にたいしたことはやらねえからさ」


 クルトは相変わらず飄々とした口調で喋っていた。この様子では、ちょっと脅したくらいでは口を割らせることは不可能だろう。


「まあ、あんたにやってもらうのは荷物運びと、あとは……大人数の相手だな」


「は?」


 クルトの言っていることがよくわからず、竜夫は首を傾げた。


 大人数の相手とは一体なんだ? だが、クルトの様子を見る限り、暴力的なことをする雰囲気には見えなかった。一体この男は自分になにをさせるつもりなのだろう?


「それにしてもあんた朝早いな。いつもこんな時間に起きてるのか?」


 クルトがそう言うと同時に、差さっていたキーを回してエンジンをかける。


「ああ。夜遅い時間まで起きてる必要がないからな。それはあんただって同じだろう?」


 同じようにいまこの時間に動いているのだから、お互い様である。


「今日は特別さ。普段はもうちょっとのんびりしているよ。そもそもこっちはまっとうな会社勤めじゃねえからな」


 クルトはそう言って軽く笑った。


 この飄々とした男はギャング――犯罪組織の一員である。犯罪組織が九時五時の勤務ではないだろう。一体どのように働いているのかは不明だが、訊こうとは思わなかった。知ったところで意味もないだろう。


「あんたが早起きだろうがなんだろうがどっちでもいいさ。朝に動くのも夜に動くのも人間の勝手だからな」


 クルトがそう言うと同時に、車はゆっくりと動き出した。やはり、その駆動音はやけに小さい。


「楽にしてていいぜ。まあ、たいした距離じゃないから、すぐに着くんだけどな」


 徐々に車は速度を上げていく。帝都の街並みが流れては後ろに置き去りにされていった。車の中から見る帝都の街並みはどこか違う。見る場所が違うだけで、風景はこんなにも変わるものなのかとあらためて思った。


 背後を覗き見る。


 この世界では自分がいた世界ほど車は普及していないのか、幅広い道路を進んでいる車の数はそれほど多くなかった。


 背後から、明らかにこの車をつけている車の姿はない。どうやら、撒いたあと、こちらを見つけられていないらしい、が――


「なんだ、後ろが気になるのか?」


 真正面を見ながら、クルトが言う。


「…………」


 いま自分が何者かに尾行され、監視されていることを言うべきかどうか悩んだ。自分が追われていることはこの男にも、この男が所属する組織にも関係がない。


 だが、こうして一緒にいるときに、奴らが動き出す可能性はゼロではない。下手をすれば、関係ない人間を巻き込むことを一切躊躇せずに、行動を起こす可能性もある。


 これは、言うべきだろうか?


「もしかして、なにかに追われているのか?」


 竜夫が悩んでいる間に、クルトは言葉を発する。的確に的を得たその言葉に、竜夫はどきりとした。


「……ああ。実は昨日から、何者かにつけられている」


 向こうが当ててしまった以上、隠しておく意味はないと判断し、竜夫は正直に言った。


「そうか。それなら詳しくは聞かねえよ。あんたにはあんたの事情があるだろうしな。それを俺が気にかけても仕方ねえしよ。いまもつけられているのかい?」


「いや……いまのところはつけられていない、はずだ」


 もう一度、後ろを覗き込む。窓から見える範囲には、不審な車の姿はない。


 だが、相手は得体の知れない追跡者である。いないという確信を持つことはできなかった。


「ならいいさ。俺たちはあんたの事情に突っ込みはしないが、あんたの事情に巻き込まれるのはごめんだからな」


 飄々と、ドライな物言いをするクルト。そんなことを言う彼は、やはりギャングの一員とは思えなかった。


「そろそろ着くぞ」


 車は角を折れ、大通りから、車一台通るのがやっとな細い道に入った。


 細い道に入ると、風景が一気に変わる。どこか寂れたような、退廃的な空気が窓越しからも感じられる街並みであった。スラム街、だろうか?


 退廃的な空気に満ちた街並みの中を、車はがたがたと揺れながら進んでいく。どうやらこのあたりの道は、先ほどまでの大通りと違って舗装が行き届いていないのだろう。尻が痛い。


 一体、どこに行くのだろう? このスラム街に、一体なんの用があるのだろうか? そんな疑問を抱いたが、車はどんどんとスラム街の舗装が行き届いていない道を進んでいく。


「ついたぞ」


 クルトがそう言うと同時に車は停まった。


 一体、なにがあるのだろう? そう思って外を覗き込んでみる。車が停められているのは、低い塀に囲まれた、小さな庭がある少し大きな建物。


「先に出ていてくれ」


 クルトの言葉を聞き、竜夫は外に出る。


 ここに一体なんの用があるのだろうか? 少しだけ気になって、その庭のある建物の入口のほうに向かってみる。


 入口の横に、ミュレゼ孤児院と書かれた古いプレートがつけられていた。


 孤児院。その言葉を聞いて、クルトが自分になにをさせようとしているのか、ますますわからなくなる。一体これはどういうことなんだろう?


 そんな風に疑問に思っていると――


 エンジンを止め、車を施錠したクルトの姿が見えた。


「ここなのか?」


 竜夫はこちらに向かってくるクルトに訊く。


「ああ。トランクを開けるから手伝ってくれ。中に台車が入ってるから、それを出してくれないか?」


 クルトはトランクに鍵を差し込んで回し、扉を開く。トランクの中には、段ボールのようなもの数箱と折り畳み式の台車が入っていた。言われた通り台車を取り出す。


 折り畳まれた台車を開いてから地面に置くと、クルトがダンボール箱のようなものをその上に載せていく。計四つ。


「じゃ、それを運んで行ってくれ」


「運ぶって、ここか?」


 竜夫は孤児院を指さした。


「そうだよ。ここ以外なにか他にないだろ。 なにか疑問か?」


「……いや」


 疑問はあったが、その疑問をどう言語化していいかわからず、竜夫は言いよどんだ。断る理由もないので、竜夫は台車を押しながら、孤児院の中に進んでいく。


 孤児院の中には数人の子供の姿があった。五歳くらいから十二歳くらいまでの子供たち。敷地内に入ってきた竜夫とクルトに、子供たちの視線が移る。すると――


「あ! おじさん! また来てくれたの?」


 子供のうちの一人が、クルトに近づいてきた。十歳くらいの女の子。その様子は、怖がっているどころか、やけにフレンドリーだ。不審な大人に警戒している様子はまったくない。クルトのほうも「お前も元気してたか?」なんてことを親しげな口調で言っている。


「そっちのお兄さんは?」


「おいおい。俺はおじさんであいつはお兄さんかよ」


 少しだけ不満そうに言うクルト。


「えー、だっておじさんより若そうじゃん。それならお兄さんでしょ?」


 クルトと話す子供はやけに楽しそうに見えた。久々にあった親戚と会話しているかのようである。


「まあ、そうだけどよお……なんか釈然としねえなあ」


 ぼりぼりと頭を掻きながらクルトは言う。その姿はとてもギャングには見えなかった。


「まあいいや。園長さん呼んでくれ。これを運ばなきゃいけんからな」


「そっちのお兄さんは誰なの?」


 女の子を竜夫に視線を向けて言う。



「最近、うちの会社に入った若いのだよ。研修がてらに手伝ってもらいにきたんだ」


「へー、そうなんだ。お兄さんもよろしくね!」


 女の子は元気よく言って、お辞儀をする。それから元気よく後ろにある建物に向かって走り出した。竜夫はどう反応したらいいのかわからず、棒立ちだった。


 他の子どもたちも竜夫とクルトのもとに集まってくる。


「おじさん、今日は遊んでくれるの?」


 子供の一人が言う。先ほどの女の子と同じくらいの男の子だ。


「俺は時間があったらな。今日はそっちの兄ちゃんが遊んでくれるからよ。相手してやってくれ」


「ほんと! わーい」


 他に集まってきた子供たちも一緒に喜んでいる。随分と嬉しそうだった。


 女の子が走っていってからしばらくすると、建物から小走りで女性が出てくる。三十歳くらいと思われる女性だった。


「園長さん、元気でやってるかい?」


 クルトがそう言うと、女性は「おかげさまで」と優しげな声で答える。


「そちらは新しい人?」


「まあな。俺だけじゃガキの相手ができねえから、来てもらったんだ」


「そうなんですか。ありがとうございます」


 園長の女性は竜夫の方を向いて頭を下げる。


「じゃ、さっさとこれを中に運んじまおう」


 クルトは竜夫の方を見て、「行くぞ」と言う。竜夫は台車を押しながら、建物の方へと進んでいく。


 建物の中に入ると、また子供たちの姿が見えた。


 子供たちはクルトの姿を見ると、それぞれ一様に嬉しそうな反応を見せていた。子供たちは、どんどんと集まってくる。


「おら、そんなに来たら動けねえだろうが。ほら、こっちの兄ちゃんが相手になってくれるから、そっちに行ってくれ」


 クルトがそう言うと、「わーい」と楽しそうにしながら台車を押す竜夫のまわりに集まってくる。


「それは俺が運ぶから、あんたは子供たちと遊んでてくれ」


 頼んだぜ、と言って竜夫から台車を引きはがす。


 台車から引きはがされた竜夫に、子供たちが集まってくる。竜夫は、どうしたらいいのかまったくわからず、動くことができなかった。


「兄ちゃん、遊んでくれるんだろ? 一緒に来てよ。俺が遊びを教えてやるからさ」


 集まってきた男の子はそう言って、竜夫の手を引っ張った。


 竜夫は、状況が理解できないまま、子供たちの群れによって外に流されていった。

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