第25話 見えない脅威

 店を出て、しばらく街を歩いたところで、自分を見つめているような何者かの視線が感じられた。竜夫は足を止め、あたりを見回す。


 だが、いまは早朝である。だから、人の姿はほとんど見られない。なのに、べっとりと舐め回されているかのような視線が確かに感じられた。しかも、今回は昨日感じられたものよりも遥かに強いように思える。近くになにか、自分を見つめているものがいる。そう思えるのに怪しげな姿はまったく見えなかった。たまに人と行き交うものの、その人々からは自分を監視するようなものはまったく感じられない。一体、なにがどうなっている?


 今日も何者かの視線が感じられたということは、昨日のそれは気のせいではなかったのだろう。自分のことを監視しているのは、やはり脱走したあの施設の者だろうか? それ以外に狙われるような心当たりはない。


 しかし、それならば気になることがある。あの施設の刺客であったのなら、どうして行動を起こしてこないのだろう? 基本的にこちらはずっと一人で行動している。狙うチャンスはいくらでもあったはずだ。こちらのことを警戒しているのか、それとも街の中だから動いていないだけなのか――


 考えてみたけれど、やっぱりよくわからない。この異世界に来てから、わからないことばかりだと思った。


 こう狙われているとなると、下手に他の人物と接触したとき、その人を巻き込んでしまうことがあり得る。自分に対し、あのような扱いをしてきた奴らが、まわりにいる関係ない人々対して配慮をするとは思えなかった。そうなるとやはり、自分の力だけで、あの施設を見つけるしかないのだろうか?


 それとも、いま自分を監視している何者かの脅威を排除するかである。できることなら、未知の脅威はできるだけ排除したいところだが――


 敵の姿が見えないことには、それも叶わない。まずはどうにかして、いまもなお監視している何者かを見つけなければならないだろう。


 どうする、と竜夫は歩きながら考える。


 竜夫は足を止め、後ろを振り返った。やはりそこには誰に姿もない。


 もう今度は前を見る。前からも人の姿が見えないことを確認し、竜夫は一気に地面を蹴って近くの住宅の壁を一気に駆け上がり、その上に着地する。


 住宅の上に着地してすぐに動き出し、隣の住宅の上に飛ぶ。そのまま三つほど住宅の上を飛び歩いたところで足を止め、まわりを確認する。


 先ほどまで近くで感じられていたはずの視線が消えていた。追いかけてきていないのか、それとも追ってこられなかったのか。どちらなのかはわからない。


 だが、なんらかの理由により住宅の上まで追跡できなかったことは確かだ。追跡されていると感じられたときは、こうやって撒くのがいいのかもしれない。


 とはいっても、住宅の上を堂々と歩くのは目立ちすぎる。早朝や深夜であれば、こんなことをしてもそれほど目につかないかもしれないが、それ以外では目立つのは明らかだ。逃亡中の身である以上、人の目につく行為を続けるのは危険すぎる。すでに狙われている可能性がある以上、敵を増やすかねない行動はやめておくほうがいいだろう。


 竜夫は念のため、いくつか住宅の上を飛んで移動してから、下に誰もいないのを確認してから飛び降りる。十数メートルの高さから飛び降りたにもかかわらず、見えない力によって落下制御されているかのように軽やかに着地した。


 そこまでやったところで、当たり前のようにアクションゲームに出てくる主人公のようなことをやっている自分に気づいて、少しだけおかしくなった。もはや、自分が人間にはできないはずの行為をしても驚かなくなっている。人間は慣れる生き物であることをあらためて実感した。こんなことができるようになってしまって、もとの世界に戻ったとき、自分はいままで通りの生活ができるのだろうか? 少しだけ不安になる。


 地面に着地してからは、近場から何者かの視線は感じられなかった。どうやら、一度住宅の上にかけ上がって移動したことで、そいつを撒くことができたようだ。


 しかし、敵を見つけ、排除できていない以上、脅威が去ったわけではない。無事あの施設の情報が手に入ったとしても、この脅威を排除できないのなら、その状態のまま向かうのは危険だろう。挟撃される可能性がある。


 暑さは感じていなかったのに、背中に嫌な汗が滲んできた。いつどこから、どこで狙われているかわからない不安が自分の足もとから侵食しているような気がした。力を得たとしても、認識できないところから来る脅威は恐ろしい。そう思った。


 街を進んでいく。


 時おりまわりを確認する。一度撒いてからは、まだ視線は感じられていない。


 だが、この広大な帝都で自分を見つけ出した以上、そいつらに再び見つかるのは時間の問題だと思えた。


 やはり、安心してあの施設に向かうのであれば、いま追跡している何者かを見つけ出し、排除するべきだろう。どうやってそいつをあぶり出すか。その手段を、なんとしても見つけなければならない。


 そんなことを考えながら歩いていると――


「あんたがタツオさんかい?」


 いきなり声をかけられて、立ち止まる。正面には、スキンヘッドの若い男の姿があった。竜夫は敵かと思って身構えたものの、敵であったのならこんな風に声をかけてこないだろう。竜夫はそう判断し、スキンヘッドに向かって「ああ」と答えた。


「クルトさんがあなたのお力を借りたいそうです」


 スキンヘッドは低い声で言う。


「…………」


 クルトというあの飄々とした男は、口にはしなかったものの、アンリであるボスの命令を直接受けて動いていた以上、チェザーレファミリーではそれなりの立場――恐らく幹部クラスだろう。その男が再び接触してきたということは――


「目的はなんだ?」


 竜夫はスキンヘッドに目を向けながら言った。だが、スキンヘッドは睨むようにこちらを見て、「それについて、俺は聞かされていないので、答えることはできない」と返してくる。


「もし、協力してくれるのであれば、俺についてきてください。クルトさんのところまで案内します」


「断ったら?」


 竜夫は即座に返した。


「いえ、それに関してクルトさんは『向こうが断るのであれば無理に従わせる必要はない』と言っていました」


「…………」


 無理に従わせるつもりはない。その言葉が引っかかった。あの飄々とした男は一体なにを考えているのだろう?


 なにをさせられるのか、それについて引っかかるものの、この帝都においてそれなりの影響力を持つチェザーレファミリーに恩を売っておくのは、頼れるものが少なすぎる自分にとって都合がいいと思えた。面倒ごとであったのなら、そのぶん金をふんだくってやればいい。どうせ金はいくらあっても困ることはないのだ。自分と争うのは本意ではないというのが真実であったのなら、そのあたり多少踏み込んでいっても大丈夫だろう。


「わかった。力を貸そう」


 竜夫がそう言うと、スキンヘッドは低い声で「わかりました。では、ついてきてください」と睨みを聞かせながら言う。


 竜夫はまわりを見る。まだ、自分を監視する視線は感じられない。


「どうかしましたか?」


 まわりを気にする竜夫を見て、スキンヘッドがそう問いかけてくる。


「……いや、なんでもない」


 竜夫は少しだけ躊躇したのち、そう答えた。自分が何者かに追われていることは言わないほうがいいだろう。ただでさえやっかいなことが、こじれることになりかねない。


「……わかりました。それでは案内します」


 スキンヘッドは小さく礼をし、踵を返して歩き出した。竜夫は、まわりを気にしつつもスキンヘッドのあとをついていった。

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