第18話 命のやり取り
傷男の懐に入り込んだ竜夫は、接近した時の勢いと全身の力を利用して拳を放つ。狙うのは、傷男の脇腹。接近した時の勢いを生かしつつ、全身を巻き込んだ拳は、尋常であったのなら一撃で先頭不能に陥るだろう。下手をすれば内臓が破壊されて死ぬかもしれない。
だが、この相手は躊躇などしていられる相手ではない。殺さないように、なんて悠長なことをやっていたら、こちらが殺されてしまうかもしれないのだ。
殺すつもりでやる。殺したって構わない。竜夫にはもうすでに迷いはなかった。
それに、相手は間違いなくこちらを殺しても構わないと思っているはずだ。
なら躊躇などする必要はどこにあるだろう? 迷いなく言える。そんな必要などない。相手が殺しても構わないと思っているのなら、こちらだって殺しても構わないではないか。それが、物事の道理ってものだろう?
一切の躊躇なく放たれた一撃は傷男の脇腹に吸い込まれるようにして当たった。拳に柔らかい感触が広がる。手応えのある一撃。
「やるじゃねえか……」
竜夫は顔を上げる。傷男は相変わらず楽しそうで、残虐な笑みを浮かべていた。いまの渾身の一撃を受けたにもかかわらず、顔すら歪めていない。
傷男はパンチを放った竜夫の手首をつかみ上げる。竜夫は腕を振り払おうとするが、傷男のつかむ力は圧倒的で、振り払うことができない。
「おらぁ! さっきのお返しだっ!」
大声でそう言った傷男は頭を大きく振りかぶり、竜夫の顔面に向かってぶちかました。傷男の額によって潰された竜夫の鼻がいびつな音を立て、目の前に星が散乱する。竜夫は怯んだ後ろによろめいた。
しかし、頭突きを放った傷男は先ほどつかんだ竜夫の手首を放していない。よろめこうとした竜夫を無理矢理引き上げ、空いている手で拳を放つ。
「ぐっ……」
傷男の拳は竜夫の脇腹に突き刺さった。突き刺さった拳は受けた部分だけでなく、全身を揺るがすほどの重い一撃であった。
それでも、傷男はつかんだ手を放さない。奴は、ここから逃がすつもりはないらしい。
上等だ。逃げるつもりがないのならこちらとしても都合がいい。徹底的にやってやる。
竜夫は足に力を入れる。つま先に力を入れ、そのまま自分の足を振り上げた。狙うのは、傷男の股間。男なら誰もが持つ急所を狙う。
一切の容赦なく放たれた足は竜夫の腕をつかんで動きが制限されていた傷男の股間を打ち抜いた。足の甲に腹とは違った、柔らかい感触が広がる。
「がっ……」
傷男もこれには耐えかねたのか、股間を蹴られると同時によろめき、つかんでいた力が弱くなる。弱くなった隙をついて、竜夫は傷男の手を振り払った。どうやら、異世界であっても男の股間は一番の急所らしい。
股間を蹴られて怯んだ隙を竜夫は逃さなかった。一歩踏み込み、全身を巻き込むようにして拳を放つ。狙うのは傷男の顎。斜め下からのアッパー。一撃で意識を刈り取る。それが狙いだ。
よろめいた傷男は、まだ動かない。カウンターを狙ってくる様子も、防御姿勢を取る様子もなかった。
いける。竜夫はそう確信した。竜夫の放った拳は、吸い込まれるようにして傷男の顎に向かっていく。
よろめいていた傷男は、わずかに動き出した。それから何故か、傷男は自分の顔に触れる。それと同時に、竜夫の拳は傷男の顎に当たり――
「なっ……」
傷男の顎を打ち抜いた竜夫の拳には巨大な岩を殴ったかのような感触が広がった。拳は弾かれ、じんという痛みが走って、一歩後ろによろめいた。
なにが起こった? 竜夫は自分の目の前で起こったあり得ない出来事に困惑する。異様なほど硬いものを殴った竜夫の拳は血が滲んでいた。それはまるで、痛覚以外すべて消失したかのよう。
竜夫は痛みに堪えながら、傷男の顔を見る。傷男の顎の近くには、小さな針が突き刺さっているのは見えた。
「俺の力は他の生物を操るだけだと思ったか?」
傷男はにたにたと笑いながら、拳を抑えている竜夫に近づいてくる。
「俺の力は生物を操る力でな。ただ、誰かの身体を強くして理性を失わせて襲わせるだけじゃねえ。もっと色んなことができる。自分に針をさせば、自分の身体だって操ることができんだよ」
傷男は顎に突き刺さった針を抜いて、放り投げる。
「おらどうだ? 拳を砕かれた感覚は? 言ってみろよ?」
傷男はどこかから針を取り出し、再び自分に突き刺した。
「それにしても、俺の玉を潰してくれるとはどうしてくれるんだ? 拳が潰された程度で済むと思うなよ!」
竜夫は体勢を整える前に、傷男は跳ねるようにして動き出した。その動きはまるで身体が流体になったかのようにしなやかだった。流体のようなしなやかさを以て振るわれた傷男の腕が竜夫の脇腹に突き刺さる。
「ぐ……」
動きのしなやかさとは裏腹に、突き刺さった拳は拳であるとは思えないほどの硬さを誇っていた。それはまるで小さな鉄球をぶつけられたかのようである。重く、鋭い痛みが竜夫の脇腹に広がる。めきり、という自分の骨が砕かれる音も耳に入った。さらにもう一歩後ろによろめく。
「おいおい。こんなもんか? まだやれんだろ? それとも降参か?」
へらへらとこちらを嘲るような笑みを見せる傷男。
「ま、降参したところで、終わらねえけどな。俺がお前を死ぬまで一方的に痛めつけるだけだ。どうする? 俺はどっちでも構わねえぜ?」
傷男は余裕の笑みを見せて言う。
傷男もそれなりのダメージを受けているはずなのに、それはまるで感じられなかった。自分に突き刺している針で身体を操って、痛覚を麻痺させているのかもしれない。
「…………」
当然、竜夫は降参する気などなかった。竜夫はじんじんと痛む拳を気にかけながらも、構え直す。
先ほどのように、殴ったこちらにダメージを与えるくらい硬化できるとなると、素手での勝負は分が悪すぎる。
降参しても死ぬまで痛めつけると言っている以上、こちらが傷男の脅威から逃れるには、奴を殺すしかない。
殺す手段はある。
自分が手に入れた力の性質を知ったいまでは、殺す手段は事欠かない。
だが、あの男を殺すには、自分の力を十全に発揮できる状態にする必要がある。
こちらに攻撃手段があることを知られてしまえば、奴もそれに対応してくるだろう。
そうなる前に、倒す。反撃を与える余地もなく、奴を殺す。
それが、この場を乗り越える十全の策はこれしかない。
「なんだ? こねえのか?」
傷男は相変わらず余裕だった。自分が負けるとは一切思っていないのだろう。これだけの力を持っていたのなら、そう思っても仕方ない。
「なんだよ、そっちこそ来ないわけ? もしかしてビビってんの?」
「あ?」
傷男は眉を上げ、威嚇するような声を出す。
「あんたあれか。それだけの力を持っておきながら、ちょっとばかり反撃されると急にイキがれなくなる残念な奴ってわけ? なかなか笑えるね。いままであんたは弱い者いじめばっかりしてきたわけだ」
できるだけ、相手を愚弄する口調で言う。
「ま、弱い奴がより弱い奴を苛めるってのはまあ世の中の真理みたいなものだし、別におかしなことでもないけどね」
「てめえ……」
傷男はきりと歯を軋らせる。
「ま、来ないっていうのなら見逃してやってもいいぜ。なんていってもあんた、弱いものいじめしかできない残念な奴だもんな。僕には、それくらいの度量はある。どうだ? 見逃してほしいか?」
傷男はぎらついた目を向ける。竜夫の言葉によって、苛立っているのは明らかだった。もうひと押しだ。
「ま、その代わり負け犬らしく僕には金輪際手を出してこないでほしいね。負け犬に近くで吠えられてもうざったいし。というか、見逃してもらったのにかみついてくるとか恥知らず過ぎるよね。僕にはそんなことできないなあ。もしかしてお兄さん、そういう恥知らずなタイプ?」
「舐めてんじゃねえぞこのクソガキがぁ!」
傷男は怒鳴り声を上げ、数本の針を取り出して自分の身体に突き刺す。目に見える体格には変化がまったくないのに、二回りは大きくなったような気がした。
「ふざけたこと言いやがって! 死ぬよりも後悔させてやる! どうなるかわかってんだろうなあ!」
傷男は少しだけ姿勢を落としてタックルを仕掛けてくる。その速度はまるで弾丸。竜夫は動かない。
傷男はさらに近づく。あと三歩。竜夫は、自分の力を確認する。問題ない。できるはずだと自分に言い聞かせる。
傷男はもう一歩踏み込んでくる。もう一瞬の猶予もなく、傷男の身体は竜夫に突き刺さるだろう。
ここだ。
そう判断した竜夫は、自らの手に銃を創り出し、それを向かってくる傷男に発砲する。
「あ……?」
至近距離で腹を打ち抜かれた傷男は放たれた弾丸によって一瞬だけ動きを止める。竜夫はその隙を逃さず、もう一つの手で刃を創り出し――
それを、傷男の喉もとに突き刺した。殴る時とは違う、肉を貫く、不気味な感触が手に伝わってくる。
竜夫は間髪入れず、喉もとに突き刺したそれを横に一気に振り払う。首を半分両断された傷男は冗談みたいに血を噴き上げながら頽れていく。
あたりが朱に染まった。
竜夫は前を見る。
そこには、先ほどまで動いていたはずの傷男が大量の血を流しながら倒れていた。ぴくりとも動かない。首をあのように切り裂かれて生きているとは思えなかった。恐らく即死しただろう。その顔には、なにが起こったのか理解できていない、という表情が浮かんでいた。
竜夫はそれを見て、ああ自分は本当にあの男を殺してしまったのだ、と思った。それ以上の感想はまったくない。自分の中にある感情は異様なほど空虚だった。
どうやら自分は本当に、人殺しすらも躊躇なくできるようになってしまったらしい。
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