第14話 警察から逃げろ

 人ごみの中を疾走しながら竜夫は考える。


 あの傷男は何者だ? あの男が見せた身体能力は明らかに普通の人間ではなかった。あれは、あの男だけの例外なのか、それとも――


 いや、いまは考えていても仕方ない。騒ぎになって警察が現れてしまった以上、あの場からできるだけ離れるのが先決だ。なんとしても捕まるわけにはいかない。どんな事情があったにせよ、自分が逃亡中の身であることに変わりないのだから。


 竜夫は足早に歩みつつ背後を見る。


 後ろには人の波があった。自分を追ってくる人間の姿はない。それを見て、少しだけ安心する。


 どうやら、警察は撒けたようだ。しかし――


 あの傷男が、これで諦めるとは思えなかった。昨日、ちょっとした騒ぎを起こしただけに自分をすぐ探し出したくらいだ。あの男が所属している組織は、この帝都でそれなりのネットワークがあるのは間違いない。そう考えると、簡単に逃げられるとは思えなかった。下手をすると、今後もずっと狙われ続けるかもしれない。それを避けるにはどうするか。ただ奴をぶちのめしただけではそれが実現するとはどうしても思えなかった。となると――


 竜夫の中に浮かび上がったのは、「殺す」という言葉。平然と、躊躇することなくそんなことを考えている自分を自覚して、竜夫はぞっとする。


 なにを考えているのだ。確かにあの男は生半可な手段では撃退できないのは間違いない。だからといって、殺すだなんて――


 そう思っても、殺そうと思っている自分には一切の嫌悪感も躊躇もない。どういうわけなのかはわからないが、本当にやろうと思えば殺せるに違いないと思えてならなかった。


 やはり、自分はどうかなってしまったのか? 竜の力を得て、この見知らぬ世界でも生存できる力を手に入れたのは事実だ。だが、その代わりに人として大事な部分が変異してしまったのではないか? そう思えてならなかった。そうでなければ、人を傷つけることに躊躇を覚えないようになるとは思えない。やはり、生き残るためとはいえ、竜の力など受け入れるべきではなかったのだろうか?


 いや、そんなことはない。竜夫は首を振って断言する。


 竜の力がなかったら、自分は路頭に迷って野垂れ死ぬ以外の道はなかったのだ。こうして帝都まで辿り着くことなく、あのなにもない平野で強盗団に殺されていただろう。そうであるならば、竜の力を手に入れたことが、間違いだったとは思えない。自分は、いまできる最善の選択をしたはずだ。


「最善の選択をした結果がこれか……」


 竜夫は一人呟く。当然、その呟きになにか反応を返してくれる者は誰もいない。


 自分が変わってしまったにせよ、そうでないにせよ、この異世界では自分一人しか頼れる者がいない以上、戦わずには生きていられないのだ。


 どうしてこんなことになったのだろう、と竜夫は思った。何故わけもわからない理由で異世界に召喚されて、こんなことをやっているのか? これなら、まだ漫画みたいに魔王を倒すために召喚されたというほうが納得できる。自分は、一体なんのために召喚された? いまになって考えてみても、それはまったくわからなかった。


「おらぁ! どこいった!」


 背後からそんな怒鳴り声が聞こえてきて、一瞬身体が硬直する。あの傷男の声に違いなかった。聞こえた声の大きさからして、それほど距離は離れていない。


 だが、自分の姿を視認しているわけではなさそうだ。であるならば、ここからすぐに離れるのが先決だ。また騒ぎになって、警察を呼ばれてしまったら面倒なことになる。


 竜夫は一瞬背後を確認し、近場の小道に入り込む。小道に入ると、人の姿が一気に少なくなった。


 これでひとまず奴らを撒けたか? そう思っていると――


 目の前から二人の人間がやってくる。若い男二人組だった。真正面からやってくる二人組の様子は明らかにおかしい。目頭をぴくぴくと痙攣させていた。異常なほど目が充血している。口は半開きになって涎を垂らし、知性が感じられないその様子はまるで狂犬病にでもかかっているかのようだった。


 二人組は竜夫を視認すると、二人組の片割れが地面を蹴って一気に近づいてくる。顔に刺青を入れた男だった。刺青が仕掛けてきたのは身を屈めた鋭いタックル。竜夫は反射的に体勢を整えたものの、反応が遅れて回避することができず、刺青の肩が鳩尾に突き刺さる。


「この……」


 竜夫はタックルを仕掛けてきた刺青をなんとか受け止め、刺青の腹に膝を叩きこんで動きを一瞬止めたのち、ズボンの裾をつかんで一気に後ろに投げ捨てた。視界の隅で刺青が宙を舞うのが見えた。だが、刺青は先ほど竜夫がやったように空中で姿勢を整えたのち、獣のように四つ足で着地する。


 刺青を投げ捨てた直後、視界が覆いつくされた。もう一人の男が宙に飛び上がり、竜夫に対し急襲を仕掛けてきていた。ボールのように身体を丸め、回転しながら竜夫に突撃してくる。やはりその動きも獣じみていて、人間とはかけ離れていた。


 空中からボールのように飛んできた男を竜夫は横に飛んで回避する。飛んだ男はそのまま地面に激突。それから背後を覗き見る。刺青が再び竜夫に向かってタックルを仕掛けようとしていた。竜夫は姿勢を整え、こちらに向かってくる刺青に合わせて自分もタックルを仕掛ける。


 竜夫の肩に、刺青の顔面の感触が伝わった。手応えのある一撃。カウンターで顔面の肩を叩きこまれた刺青は獣のようなうめき声を上げたのち動かなくなる。


 刺青を倒したことを確認した竜夫は、先ほど地面に激突した飛んだ男に視線を向けた。飛んだ男は顔面を強打したらしく、顔中から出血していた。しかし、怯んでいる様子はまるでない。飛んだ男は獣のような唸り声を上げながら、竜夫に向かってくる。


 向かってくる男に対して竜夫は一歩踏み込んで拳を放つ。竜夫の拳は引き寄せられるかのように飛んだ男の顔面に突き刺さった。鼻の軟骨を砕く感触が拳に伝わる。顔面を打ち抜かれた男は、冗談みたいに後ろに弾け飛んだ。背後にあった建物に衝突したのち、飛んだ男は動かなくなった。


 二人の男を倒した竜夫は、考える。


 こいつらは何者だ? この二人組も明らかに普通ではなかった。身体能力もおかしかったが、それ以上に――


「あ、いましたこっちです!」


 倒した二人組を調べようとした矢先、横からそんな声が聞こえてくる。それを聞いた竜夫はすぐに思考を打ち切って横を見た。大通りの方から、人をかき分けてこちらに近づいてくるのが見えた。


「くそっ!」


 竜夫は吐き捨て、再び走り出す。


 一体なにが起こっている? どうしてこんなことになったんだ?


 竜夫は自分の運命を呪いながら、路地裏を進んでいった。

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