第10話 重なる想い

 一つのベッドの上に二人横たわると、どうしても目の前に彼の顔を見つめることになってしまう。


 片肘をついた彼は、枕に頭を付けた私の髪や頬を撫で続けていた。

 いつも夢の中で私が狼を撫でていたように。


 焦がれるように私を見つめるその瞳は、ずっと見ていたもののような気がする。


 夢の中で月を見上げるように私を見つめていた狼。

 求めてくれる瞳は、変わらずそこにあったのだ。


「先輩……」

「うん」


 白井くんは私の頬にそっと唇を合わせて言う。


「おやすみ……」

「……」


 男女のあんなこんながあるのかな、と思っていたけど……。


 彼の瞳を見上げると、白井くんは少しだけ困ったように微笑んだ。


「夢から醒めたばかりです……気持ちが追い付いたら、二人で考えて行きましょう」

「いいの……?」

「ええ。こうしてるだけで幸せですよ。先輩は違いますか?」

「し、幸せです……」


 言葉に出すと恥ずかしくなってきて、俯いてしまう。


「俺は待つのは得意ですから」


 その台詞に彼が言っていた番のことを思い出す。


 少しだけ気になっていたことを聞いた。


「どうして、私だったの……?」

「え?」


 だって彼は同族を待っていたはずなのに……。

 彼の気持ちを疑っているわけじゃないけど……。


 それでも自信の無い私は、不思議で仕方がない。

 彼のまっすぐに向けられていた気持ちは、私にはまるで分不相応なものに思えたからだ。


「同族の番を待ってたんだよね。私で良かったの?」

「……」


 白井くんは考えるように目線を落してから言った。


「蝙蝠にお前はロマンチストだと言われていました」

「え?」

「……俺たちはもう、向こうの世界の生き物なんかじゃない。だから……本当は番なんて、待たなくていいんです。この肉体と同化し、普通の人と番合えばいいんです。だけど俺には……運命だと思えるほどの人に出逢えるとは思えなくて……いつか遠い昔に居たと言う番に出逢えることを夢見ました」

「……」

「先輩とは違って、自覚しながら意図的に見た夢です。可愛らしくもない……」


 そう言えば蝙蝠はあの時、頑固なロマンチストって言っていたような……?


「最初は、視覚からかな」

「……うん?」

「目を奪われた。まるで心を動かす唯一のものに出会えたように、俺は……もう他のことを考えられなくなった」


 それは向こうの世界での、光をまとった私の姿のことを言っているのだろうと思う。


「でも……本当の私は……すごく普通だったでしょう?」


 彼に比べたらこんな地味な容姿の女を、本当にどうやって見つけてくれたのだろう。


「いえ……何も変わらなかった。夢の世界もここも場所はリンクしてるんです。いつも現れる場所から……近くに住んでいるのは分かっていたから、見つけるのは難しくなかった。俺は……一目で先輩に気付いた」

「……え?」

「道ですれ違ったんです。たぶんスーパーの帰りだったのでしょう。鼻歌を歌いながら、楽しそうに考えごとをしながら歩いていた」


 ……そんな油断している瞬間を見つかるなんて、かなり恥ずかしいのですけど。


「空気に溶けるように自然に、いつも楽しそうに笑っていた姿とぴたりと重なった。必死に追いかけなければ俺を視界に入れないところさえも、そっくりに」


 確かに、すれ違ったイケメンくんすら……私は気付いてなかった。


「すいません……つけました。アパートで名前を確認してから、場所から大学を推定して、人づてに情報を集めて……俺はすぐにバイトに申し込んだ。嫌になりましたか?」

「……ううん」


 もろもろの事情を考えたら……ほとんどは彼が私の為にしてくれたことなのだ。


「……ありがとう」

「いえ……」


 白井くんはそう言うと、私の頬をそっと撫でた。

 ビクリと身体が震える。私の反応を見て、白井くんは少し考えるようにしていた。


「……声が」

「え?」

「笑い声が、頭から消えなかった。あの心を震わす声を聞きたいと思うのに、先輩は中々笑わなかった」

「笑い声……?」

「そう。俺を虜にした、全身を震わせる楽器のような声」


 蝙蝠からもよく笑っていると言われたけれど……そんなに?


「現実であなたを知っても、何も変わらない人に思えた。夢見るように好きなものに心を解放して、そうすることで綺麗な心を保ちながら生きている。けれど先輩に……笑ってもらいたかった。出来るなら俺が笑わせてあげたかった。誰かのために向ける笑顔が見たいんじゃない……叶うならば、どうか俺がその存在になれるようにと、心から祈った」

「……」

「俺の心も身体も……茉莉にしか震えない。他の誰かでは変われない、たった一人の女性なんです」


 白井くんの言葉は私の心に沁み込むように響いて来る。

 それはもしかしたら、私の心の中にも、同じ気持ちが存在しているからなのかもしれない。


 追い掛けて来てくれたから、私は恋を初めたんじゃない。

 それだけならとっくに、今まで告白してくれた誰かと付き合っていたと思う。


 白井くんを知って、心が動かされて、そうして……彼の体温に……私の体が驚く程反応した瞬間に、たぶんはっきりと自覚したのだ。


 私は……男の子として……彼を意識して、求めているって。


「狼さんに初めて触れたとき……気持ちが良かったの」

「……うん」


 毛の感触を思い出したら……笑い声をあげてしまった。すると白井くんが私の頭を撫でてから、頬にそっとキスをする。


「……それで茉莉?」

「……あっあの……っデートした日……白井くんと頭が触れ合って……気持ちが良いって思って……」

「……」

「どこか、狼と触れたときと似てた。安心して……幸福感に包まれた……」

「狼と一緒?」

「ううん。もっと、心臓が飛び出そうだった。……たぶん、白井くんと一緒。白井くんにしか……こんなに心が動かされたことがなくて、他の人ではダメなの……」

「……デートの日?」

「うん。自覚してなかった気持ちに、あの日に……気付いたんだと思う」


 白井くんの瞳をまっすぐに見つめて、言う。


「あなたが、好きだって」


 言葉にすることで、なぜだか心が楽になって行く気がした。

 ずっと閉じ込めていたものが、羽を生やして飛んでいくみたいに。


「好きです……茉莉」


 白井くんが返事をくれる。狼モードの時彼が私を呼ぶ名前で。


「……駿(スグル)」

「……え?」


 名簿で彼の名前を知っていた。白井駿くん。

 名前を呼んだのは今が初めてだった。


 狼でも、白井くんでもなく、私は今――恋人の名前を口にしていた。


「駿くんが、好きです」


 私の言葉に、白井くんは息を呑むようにして私を見つめた。そして、うん、と小さな声で頷いてから、はにかむようなとても嬉しそうな笑顔を返してくれた。








 夢を見た。


 それはいつもの夢。暗い森の中を私は……飛んでいなかった。

 ふかふかのベッドの上で寝ている。


 茶色の柔らかな寝床は、身動きせずに安からな眠りの場所を提供してくれている。


 夢の中で私たちは、何も話さなかった。

 ただ少し照れたように寄り添いながら、一緒に眠っていた――。


 一緒のベッドの中で、二人で一緒に見た初めての夢の中。









 翌朝目を覚ますと、いつもの自分の部屋のベッドの横に、綺麗な横顔を見つける。

 びっくりして息を呑む。


(――……)


 茶色の髪が顔に掛かっている。

 瞼が閉じられていると、薄茶の睫毛がその辺の女の子より長くて、一見すると美少女のようだ。


 けれど、首筋から見え隠れする筋肉が、間違いなく男の子の体つきであることを教えてくれている。


(……うわっ)


 急に恥ずかしくなる。


 一晩掛けて、私が知ったことと言ったら……。


 夢の中の人格は、もしかしたらその人の根底にある、核になるようなものなのかなって。

 なんでそんなことを思ったのかと言ったら。


 言ったら……。


 狼さんの大きな口で何度も食べられたのを思い浮かべながら、首を振る。


 とにもかくにも。白井くんの人格の根本は、あの狼さんにあるのだ。間違いないのだ。うん。 


「おはよう……茉莉」

「おはよう……」


 私がもぞもぞしていたら、白井くんを起こしてしまった。少しだけ目を細めるようにして白井くんが私を見つめている。


「茉莉……すぐに寝てたね」

「そうだった?」

「ああ。獣の前ですやすやと寝る……茉莉の本質だ」


 なんだか私と同じようなことを白井くんが言っている。


「獣の前で寝たら危ないよね……?」


 我ながら自分が心配になってしまう。

 私の台詞に白井くんが笑う。


「俺の前以外で眠ったら駄目ですよ?」

「……うん」


 私の返事に満足したように微笑んでから、彼はついっと、指の腹で私の頬を撫でた。


 私を見つめる瞳には熱がこもっているのを感じる。


「次に眠っていたら、襲いますよ」


 楽しそうにそう言う台詞は冗談では無さそう……。


「……襲われたくなったら、眠ってます」


 だから私も、冗談ではない返事をする。


 白井くんが目を丸くする。

 私は照れ臭くて布団で顔を隠す。


 笑い声が聞こえてきた。布団をめくられて、そうして今日も朝から狼の口に食べられてしまう。


「愛してる」


 先日まで恋も知らなかった私に愛を囁いてくれるのは、諦めないで私を探してくれた人。


 狼なのに、狼にならないでいてくれた人。


 触れあった時間が、お互いを見つめ合うひとときが、昨日よりも目の前の大事な人のことを教えてくれる。


 そしてこれから、もっともっと仲が良くなって行く。時間を掛けて。


 恋愛初心者の私の、大好きな人との生活は始まったばかり。

 世の中の恋人たちの普通の営みすら、これから知っていく。


 愛する人と生きること。


 それは全部、目覚めなければ、知ることの出来なかったもの。








 なんと、ショップの店員さん雪さんは、蝙蝠さんなのだと言う。

 言われて見れば、外見も口調もそっくりだ。

 雪さんは、夢の世界とこっちの世界で外見の異なる私たちと違って、夢の世界と現実が一致している人のように思えた。


「そういうやつもいるんだ。何もみんなが……内面と外面が違うわけでもない」

「そうなんだね」


 白井くんも、付き合っていると段々と口調が崩れて来て、狼さんに近づいて来ているような気がした。




 アルバイトは私たちは二人して辞めることにした。

 実はあの翌日、私はロッカールームで、女の子たちを前につき合い始めたことを宣言したのだ。


 何人かには殺させそうな目で睨まれたけれど、結局彼女たちは何も言わずに私を無視することに決めたようだった。

 少ししたらそんな女の子も一人辞めてしまった。


 そうしてギスギスした空気の中、付き合うことで職場に迷惑が掛かるならばと、辞めることを決めた。


 次の人たちが入ってから引継ぎをして円満に辞める予定を、社員さんと話し合って決めてから、新しい仕事を探していると雪さんが声を掛けてくれた。


「うちの系列で良かったら紹介するわよ?」


 雪さんは親族の経営しているアパレルの店で働いているそうなのだけど、女性向けの店舗を紹介してくれた。


 そしてバイトを辞める日には、山田先輩が心配そうに声を掛けてくれた。


「幸せにね……」


 辞めていくアルバイトに向ける言葉にしては大層なものに思えたけれど、お礼を言う。


 社員さんたちとか、気にかけてくれてたり仲良くしていた人たちだけで送別会をしてくれた。最後まで、気にしなくていいから残りなさいとか、戻って来ていいのよ、と言ってくれてありがたかったけれど……新しいバイトを探しているうちに私の中に芽生えた気持ちにも気付いていた。学生の内に、知らないことや新しいことを、もっとやっておきたいって。そうして私たちはお礼を言いながらお別れをした。









 クリスマスには、私は皐月ちゃんと一緒にうちでケーキパーティをしようと約束をしていた。

 それは去年からの約束だったから、もちろん皐月ちゃん優先で考えていたら、皐月ちゃんの方から「だったら、白井も、その友達も呼んだら?」と言ってくれた。


 クリスマスイブの日、うちに集まったメンバーは、手作りのケーキとか、買って来てもらった鶏肉のおいしいのとか、シャンパンを飲んだりして楽しんだ。


 不思議なことに雪さんが一番楽しそうにしていた。


「あんたの友達……目覚めたうさぎちゃんなのね。ふふ可愛い」


 なんだか獲物を狙う野獣の目を見た気がしたけれど、気のせいなんだろうか。

 皐月ちゃんの本能が荒ぶらなければいいけれど……。


 そう思って見守っていると、皐月ちゃんは、自分の毒舌に付いて来てくれる雪さんと思いの外楽しそうに話をしていた。








 お正月が終わるころ、白井くんは私の実家に挨拶に来てくれた。

 事前に伝えてあったし、感じが良くてカッコイイ白井くんはうちの家族にすぐに気に入られてしまった。


 その日お昼やお茶を一緒した後に彼を駅まで送って行くと、彼は言った。


「……家族は、夢を見ていなそうだね」


 雪さんもだけど、白井くんも、そういうことが少し分かるのだと言う。


「遺伝、するのかな?」

「もう血に沁み込んでいるから……ある日、子孫が突然夢を見出すこともあるかもしれない。茉莉のように」


 いつか未来、私たちの子供が、何も知らずに夢に引きずられる可能性があるのだと言う。


 ……ん?

 今なんて思ったっけ、私。


 私たちの……子供?


「……」


 顔をドカンと爆発させるように赤面していると、白井くんがなんでもないことのように言った。


「俺たちの子供なら……きっと大丈夫だ」


 私たちはまだ大学も卒業出来ていない。白井くんは一個下。

 就職して結婚するまでも長いのに、彼は当たり前のようにそう言った。


「大丈夫なように、育て、語り継ごう」

「……うん」


 そうして私も、肯定することが当たり前のように答えてしまう。


「……白井くんのご両親は?」

「うちの家系は、みんな向こうの世界を知ってる。今度、紹介するよ」

「うん」


 いつか、お姉ちゃんが言っていた。


 男女の関係は試行錯誤なんだって。


 失敗を繰り返して、お互いに、より良い関係を築き上げるようになっていくものなのよって。


 願わくば、私はそれを、白井くんとしていきたいなって思う。

 失敗をしても、許し合える関係を築きたいな。


 どうしたらいいのか、経験の浅い私には何も想像つかないけれど、きっと、受け入れたり受け止めてもらったり、一人で生きて来た世界を広げるように、二人で生きることを考えることなんだろうと思う。


「ずっと、一緒に居たいな」

「……俺も、です」


 私の言葉に、白井くんが返事をしてくれる。


 下の名前で呼んで欲しいと言う彼に、私はまだ恥ずかしくて、人前で呼べずにいた。


 こんなにも恋愛初心者の私が、未来のことを考えるなんておこがましいのかもしれないけれど、それでも私は、この何よりも安心する繋いだ手が、10年先も何十年も先も、同じ場所にあって欲しいなって、その為になら、いくらでも頑張れるって、思うのだ。




END

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