第9話 告白

 ワンルームの私の部屋はそんなに広くない。


 いつもはベッドの前に置いたミニテーブルで、敷いたラグの上に座ってご飯を食べている。


 白井くんにはラグの上に適当に座ってもらう。

 お茶を用意してからミニテーブルの上に置く。時計を見ると11時を過ぎていた。


「あの……」

「……はい」


 アパートは声が響きやすいから小声でもいいかな?と聞くと、白井くんは少し考えるようにしてから私に体を近づけて座り直した。


「あの……」


 折角来てもらったのだから早く本題を話した方が良いと思うのだけど……いざとなると、そもそも微塵も存在しない勇気がどこかに行ってしまったような気持ちになる。


 こんな夜遅くに、用事もないのに呼び止めた……なんてすごく失礼なことになってしまいそうだ。


「……DVD?たくさんありますね」


 白井くんは私の本棚を見て言った。


「うん。テレビ放送焼いたのも多いけど。お金……無いし」

「俺もですよ」

「このアパート、BSアンテナ来てるから嬉しいんだ」

「ああ、良いですね。午〇ローと、深夜映画と、BSの合わせたら、TVだけでも見切れないくらいですよね」

「うん……バイトでお金貯めて最初に買ったの、テレビ録画用のBlu-rayレコーダーなんだよね」

「分かりますよ」


 気まずさを誤魔化すような会話を、白井くんはいつものように楽しそうにしてくれた。

 それにホッとした私は、このまま、言ってしまえるような気持ちになっていた。


「あのね」

「はい」

「映画の帰り……白井くん、私に言ってくれたじゃない?」

「はい?」


 あれはショッピングモールの帰り道のベンチで。私を真っすぐに見つめながら彼は言ってくれたのだ。


「付き合ってくださいって」

「……」


 あの時は分からなかったけれど、今なら分かる。


「恋愛すると、夢から醒めやすいの?」

「……え?なんで、ちがっ違います」


 大きな声を出しそうになった彼ははっとしたように声を落す。


「……夢を見やすい時期があるんです」

「時期?」

「小学校高学年から二十歳くらいまでの間ですね」


 説明を聞くと、子供から大人に向かう成長期に、二つの魂を持つ者たちは一人の人間として魂を同化していく過程で、古い魂の記憶が呼び起こされるように夢を見るのだと言う。


「もう一つの世界に入り込むことは、すごく癒されるんです。現実なんてどうでもいいと、この世界にだけ居たいと……思ってしまうほどに。だけどそれではダメなんです。もう異界の魂は、人に成れないと生き残っていけない」


 成長期に見る夢。


「私はこっちに出て来てから夢を見出した気がする」

「人に寄って夢を見出す理由は様々なのですが……先輩は、もう長く見ることのなかった消えた種族のようでした。先輩は長い時を経て、なんらかの理由で古い魂が呼び起こされたんではないでしょうか」

「夢を全く見ないこともあるの?」

「ええ、見る必要のない……今では同化しきっている者の方が多いそうです」

「どうして私は見出したんだろう……?」


 そう呟いて見るけれど……その答えを私は知っている気がした。

 ずっと世界を閉ざして生きていた私。


「……先輩」


 すぐ目の前に白井くんの顔があって、まっすぐに私を見つめて彼は言う。


「蝶型の種族はもう長い間見てなかったから……出会えない同種を探して彷徨っているように見えました」

「……」

「古い魂の記憶に引きずられたものは、夢の世界を訳も分からず彷徨ってしまう……例えばそれは、魂に刻まれた本能から無意識に同族の番を探し求めるように……。けれどもう同種などいないから、決して番には出会えず、孤独の中で……死んで行く。それを自覚することもなく」


 それはとても滑稽で、哀しい姿に見えたことだろう。


 番。狼の言っていた言葉を思い出す。彼も番を待っていた。


「同化していくものの多くは、成長して、恋や絆を知り……この世界に強い執着を持てれば夢を見なくなるようです」


 だから白井くんが彷徨う蝶に、現実の恋を教えてあげようとしたのか。


「白井くんは……同族の番を待っているんだよね」

「……え?」

「白井くんは夢から醒めてるの?」

「俺は……醒めてます。二つの魂を……客観的に受け止められるようになれれば、向こうの世界には引きずられません」

「そう……」


 私はどうなんだろう。


「……先輩?」


 顔を上げると、少し困ったような表情をした白井くんが私を見ていた。


「私はもう大丈夫なのかな?」

「ああ……」


 白井くんは少しだけ、微笑んで言った。


「目覚めていても、はっきりと覚えて理解している……先輩は、きっと大丈夫です」

「そっか。良かった……白井くんのおかげだね」


 それなら、もうこれからを心配することも、彼を煩わせることもないんだ。


 あの世界で、彼以外の狼をたくさん見たな、と思い出す。

 きっと仲間も多くいる。


 どうか彼が……早く、探している人に出逢えますように。


「あのっね」


 私は顔を上げて、睨むように白井くんを見つめる。

 白井くんが一瞬たじろいだ。


「私は」


 それでも私は、もう夢を見ているのではないのだという証しを残しておきたい。


「私は白井くんが好き。大好きです」

「…………」


 呆然としたように白井くんが私を見つめている。


「白井くんが、私を好きではないことも分かってる。でも、私を助けてくれようとしたあなたの優しさが、すごく嬉しかった……」


 語っているうちに涙が滲んで来てしまう。


「一緒にいて楽しくて、誰といるよりも安心した。男の人を意識したのは生まれて初めてだった。私を……夢から醒ましてくれたのは、白井くんでした」


 それでも私は笑顔で言う。


「ありがとう。感謝してます」


 涙が零れないようにとぎゅっと唇を噛むと、白井くんの指が私の頬に触れる。


「……先輩」


 目が合うと白井くんは、そう言ってから少し考えるようにした。


「茉莉……さん」


 躊躇うように、私の名前を初めて口にした。


「俺は、言いました。好きです、付き合ってくださいと」

「……」


 それは映画の帰り道に、確かに私に言ってくれた台詞だ。


「あの時俺は、焦っていました。誰かが茉莉さんの目を覚まそうとしてると……。俺だけを見てもらいたかった。目を覚ましてくれるなら誰でもいいなんて思っていなかった。俺は……俺を見つめてもらいたい。出会った日から、茉莉さんの心しか求めていない」


 それはまるで夢を見ているような台詞で、夢から醒めた私は……また現実で、新しい夢を見ているように思えた。


「ゆめ……?」


 つい口にしてしまうと、白井くんが笑う。


「夢はもう、醒めてますよ……」


 白井くんがそっと手を伸ばして来て、私の手を握った。

 大きな手は間違いなく男の子のもので、女の子みたいな顔立ちをしているのに、もう女の子のようだなんてどこからも感じられなかった。


「茉莉……」


 白井くんは呼び捨てで私を呼ぶと、ゆっくりと私に顔を近づけて来る。

 そうしてまた、こつんと頭を重ねる。


「俺は……俺です。俺は……ただのバイトの後輩じゃないし、番を求めてるだけの狼でもない。けど、どっちも持ってる……普通ではないかもしれないけど、俺はただの男として、茉莉に恋に落ちた」


 そう語る白井くんの吐息が私の顔に掛かって。

 どうしようもなく心臓がばくばくといっていた。


 全身が、震えるように熱いのを感じる。


 あの告白が本物だったのなら。

 私は失恋したわけじゃなくて……。


「茉莉……好きです。付き合ってください」

「……はい」


 はじまった私の恋は、叶うことが出来るのだ。


 私も、大好き……と言いきる前に、私の口は食べられるように、狼の口に塞がれてしまった。


 昨日……心の痛みに、生きていると感じられた気がしたけれど、今はこの熱さに同じことを感じられる気がした。


「蝶型……」

「え?」

「食べるのは、こういう意味なんだ」


 それはいつか夢の中で狼が言っていたこと。


 ――『早く逢いたいと、触れたいと、食べてしまいたいと思う』


「あっ……あれ、私のこと……えっ!?」

「ふっ……今更」


 白井くんが笑う。狼の白井くんと、後輩の白井くんがどんどん重なっていく。全然違う印象の二人に思えていたのに、今は違和感なく同じ人に思えていた。


「逢いたいと……」

「……え?」

「触れたいと……?」

「言葉に出されると恥ずかしいですが」


 白井くんがさっき外でしたように頬を染めていく。


「……私も」

「はい」

「ずっと、触れたかった」


 ほんの少し頭が触れ合っただけで、私の全身が別の生き物になったように反応する。

 あの気持ちが良い……温かいものにもっと触れたいと、もしかしたら私は、心の底の部分では彼の正体が分かっていたのかもしれない。


「……触れて良いですよ」

「良いの……?」

「はい」


 そっと手を伸ばして彼の頭を撫でると、彼は気持ちが良さそうに目を細める。

 それはいつか見た狼の表情を思い出させるものだった。


 彼のほんの些細な表情にも、心を掴まれてしまう。

 私は彼を……とても強く求めていた。


「もう、目が覚めてたんだと思う」


 もしかしたら意識していなくても、白井くんに出会った時にはすでに。


「男の人として……こんなに意識したのは白井くんが初めてだよ」

「……茉莉」


 白井くんはもう一度、私を食べてしまう。


 こんな風な欲求を、彼はずっと前から私にしてくれていたのだ。

 そうして私もきっと彼と同じように……彼を求めている。


 恋人が出来るってこういうことなのかな。


 初めての恋は、叶うだけでも、考えなくちゃいけないことばかりだったけれど。


 お互いが同じように……異性として惹かれ合い、求めあう。

 こんなにも好きになった人から、同じように好きになってもらえる……。


 まるで奇跡のようなこの瞬間を、みんなは知っているのかな。


「……茉莉……考えごとしてます?」

「あ……えっと」


 頭に熱が上がり過ぎてぼやっとしてしまっていたようだ。

 トロンとした瞳の私に、白井くんが心配そうに声を掛ける。


「……そろそろ寝た方がいいです。先輩」


 急に先輩、と呼び方を変えた白井くんは、私の頭を撫でた後に、鞄を手にする。

 明日もお互いにバイトがある。白井くんは学校もあるかもしれない。そろそろ寝た方が良い時間だろう。


 白井くんが立ち上がる姿を見ていると、胸に喪失感が沸き上がった。


(また一人になる――)


 今までずっと、深夜の静かな部屋の中で、私は物音を立てないように気を遣って生活していた。

 眠れない夜にも、ヘッドホンをしながら映画を観ていた。

 暗い部屋の中にはテレビの光だけ。


 私は……ああ、寂しかったんだ。


 急にそのことに気付いていく。

 夢の中に逃げ込んでしまうくらい……私の心は寂しいって叫んでいたのに、それに気付くことすらなかった。


(本能で番を求めるって……そっか、恋人を……私は無意識に探していたのかな)


 白井くんの気持ちと、熱と、抱き締められる安心感を知ってしった今、初めてそれに気付くことが出来た。


「寂しいな……」


 ポロリと口にすると、白井くんが驚いたように私を見下ろす。


「一緒に居たいな」


 これは我儘なのかな。一人の部屋に……あの孤独感の中にまた戻りたくないと、思ってしまった。


「……それは」


 白井くんは真顔で、ちらりと真横のベッドに視線を移した。


 狭い部屋の中には寝床は一つしかない。

 そうしてそのまま黙り込んだ。


「……」

「……」


 何を考えているのか、恥ずかしながら少し想像も出来てしまう。

 けれどこの沈黙の方が辛い。


「泊っても……いいんですか?」

「うん……」

「…………」


 ゆっくりとラグの上に座り直した白井くんは、少し考えるような時間を置いてから言った。


「俺を、試している……とか」

「……いいえ」


 不思議なことを聞かれた。

 何を試したらいいんだろう。


「……狼は、獲物を狙ってますが」

「……うん」

「…………」


 また沈黙が訪れた。

 もしかして悩ませる表現をしてしまったのかもしれない。


 私は考えながら、彼に伝える。


「あなたになら……食べられてもいいと、思っているのかも、知れません……」


 この台詞いつ言ったんだっけ。

 もしかして無自覚に、すごい台詞を言っていたのではないだろうか。


 白井くんは、少し考えるようにして……たぶん夢の中の私の台詞を思い出してから、笑い出した。


「そんな意味だとは思ってなかったです」

「……私も」


 二人して顔を見合わせて笑ってしまう。

 白井くんが私の手を握り直して言う。


「……先輩、寂しかったんですか?」

「うん……枯れた心の孤独な女子大生だったの」

「……俺も、ですよ」


 白井くんはとてもそんな人には見えなかったけれど、狼に毎日出逢えていたのは、もしかしたら白井くんの心にも似たようなものがあったのかもしれない。


「……帰る?」

「……どうしようかな。泊る……準備をしたいのですけど……」


 準備?……あっ準備!?


「コンビニに行って来てもいいですか?」

「うん……」


 私の返事に白井くんは微笑むと、私の額にちゅっと音を立ててキスをしてから玄関を出て行った。


 聞き慣れない音に、顔に熱が集まる。


 一人になった部屋の中で……もしかしたら大胆なことを言ってしまったのではないかとやっと気づく。


 もしかしなくても、私は今日はかなり酔っぱらっていて……だいぶ醒めて来ているとは言え、気持ちが普段より大きくなっている。


 いつもなら言えないような……わがままが言えてしまうくらい。

 寂しいって。側に居て欲しいって。


 そんなことを誰にも言ったことがなかったのに。


 実家を出て二年目。

 一人で暮らすことにも、忙しい毎日にも不満なんてなかったのに。

 この部屋の中で、無自覚に貯め続けていた寂しさを、恋人が出来て初めて自覚する。


 私はきっと気付くことすら出来なかった寂しさを埋めるように夢の中を彷徨っていた。


 白井くんは……まるで私の心を映してくれる鏡みたいだなって思う。


 彼の瞳を前にして、次々と知らなかった感情を知っていく。彼を通じて、私は知らなかった私に出会う。それはまるで世界を広げていくみたいに。


 そして彼の瞳に映る自分を知りたいのと同じくらい……まるで別の環境で育った男の子を、自分のことのように感じたいと思う。

 知りたいと思う。


 私も、彼の心の鏡になれればいいのにな。

 彼の心が広がっていけるように。


 そしてそれは出来るなら、彼の瞳を曇らせないで居られる、歪みのない鏡で居られたらいいのになって思う。







 しばらくすると、白井くんが戻って来た。

 もう12時近く。


 白井くんは小さな声で「帰りました」と言うと、また私の横にちょこんと座った。


「泊りの意味……分かってない、とか、ないですよね?」

「う、うん……」


 緊張しながら返事をすると、なぜだか白井くんはぷっと笑う。


「な、なぁに?」

「いえ……本当に……いいですか?」

「うん」

「シャワーは」

「あ」


 すっかり忘れていた。


「一緒に……?」


 何が一緒なんだか、白井くんがそう言ってきたので、その台詞で初めて私は二人で入るという可能性があることに思い至った。


 慌てて首を振った。きっと顔も赤い。白井くんがまた盛大に笑った。


「先輩、入ってください」

「ん」


 返事もぎこちなく、着替えを出すと風呂場に向かう。体を洗いながらこの後のことを考えてみたのだけれど、経験値が乏しすぎてなにも思いつかなかった。


 シャワーを終えて部屋に戻ると、白井くんはスマホをいじっていた。


「ちょっと、山田先輩から連絡来てて」

「先輩?」

「大丈夫です」


 私は白井くんにもシャワーを勧めて、その間になんとなく部屋を綺麗にする。

 そうしてさっきから地味に気になっているのだけど、テーブルの上に置かれたコンビニの袋……いくつかものが入っているようなのだけど、何が入っているのだろう。


 自分のスマホも通知が来ていたので見てみると、皐月ちゃんからだった。


『大丈夫?』

『うん……ありがとう。たぶん、上手く行ったの。明日話すね』

『了解』


 他には通知は来ていなかったけれど、そう言えば山田先輩は何の用事だったのだろう。


「……上がりました」


 白井くんがTシャツとトランクス姿で出て来た。


 湿った細身の体に吸い付くような下着姿だった。

 茶色の髪が濡れていて、照明に照らされて少しだけ光って見える。


 ……はっ!!

 そうだよ、服着て出てないよね。そんなことまで考えていなかった私はもうここから半端なく動揺する。


「さっきコンビニで買った……やつです」


 そんなものまで買っていたのかと驚く。気軽に泊ってなんて言ったらいけなかったのかもかもしれない。


「あの……今日大丈夫だった?迷惑じゃない?」

「……まさか」


 白井くんは少しだけ笑ってから……ベッドの上に座っている私の隣に座った。


 はっ無意識にここに座っていたのは……誘っていた訳では……きっとないと思うのだけど……。


「……茉莉」


 また、呼び方が変わる。

 もしかしたらこの呼び方は……彼が狼モードに入った時に発動するのかもしれない。


「なんで笑ってるの……?」

「え?」


 無意識に私はくすくすと笑っていたらしい。


「俺を誘うと……食べられてしまいますよ」


 どうして笑うことが誘うことになることが分からなかったけれど、彼は目を細めて私を見つめた。

 濡れたようなその瞳に漂う色気に、私はまた心拍数を跳ね上げる。


「ずっと……手に入れたかった……茉莉」


 白井くんは私の体をゆっくりとベッドの上に横たわらせ……。






 ――けれどその晩、彼は狼にならなかった。

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