第5話 猫耳カチューシャ

 今日も、夢の中で私は空を羽ばたいている。


 ――月が、見えない。


 そんなことを、はっきりとした意識を持って思う。


 ずっと……夢の中ではぼんやりしていたのに。

 今夜は新月だから見えるはずがないんだって……今の私は思っている。


 小さな蝶型の姿をした私が見上げている空も、夢から醒めた私が見ている空も、同じ空なのかもしれない――


 ふと……思い出す。


 ――『狼があんたのこと探してたのよ』


(そうだ。探さなくちゃ……)


 吸血型と名乗っていたあの人が言っていた。狼が私を探していると。


 意識がはっきりしてくると分かって来る。


 ずっと私に構っていたあの狼は……。

 私にいつも、穏やかに話しかけて来ただけだった。

 少しの会話をしているうちに、私は寝てしまうのに。

 それすら嫌がらずに、ふかふかの寝床を提供してくれていた。


 あの狼に……きっと私を食べる意図はないんだろうな。

 だって食べてしまうつもりだったのなら、私が眠っている間にいくらでも出来たと思う。


 いつもよりも低い位置を、地上を探すように飛んでいると、見慣れた大木が見えて来た。


 最初に狼が居たのはここだったはずだ。

 辺りを見回しても見当たらないようだったけれど、私はしばらくその大木の上をくるくると飛び回っていた。


 すると――鳴き声が聞こえた。遠くから……懐かしい狼の声だった。


 しばらくすると、駆けるようにした狼が大木の根元にやって来た。

 茶色のその獣は、私を見上げて大きな声で鳴く。


 切なげに響くその声に……本当に、探してくれていたのかもしれないって思う。


(ふふ)


 嬉しくなって、私は笑ってしまう。


(良かった……また、会えたのね)


 すると狼は、ピクピクと耳を動かしながら、じっと私を見つめていた。

 そうしていつものように顔を突き出して来る。乗れと言うことなんだろう。


「……久しぶりね。狼さん」

「ああ……探したんだ、蝶型」

「まぁ……どうして?」


 そう言いながら頭の上に乗ると、狼はゆっくりと体を地面に伏せた。


「お前が……夢から醒めないからだ」

「……夢」


 そう言えば、狼も蝙蝠も、何度も同じことを言っていた気がする。目を覚ませ、と。


「夢って、この不思議な夢よね」

「……何?」

「現実と同じ月の無い空を見上げているのに、ここは森の中みたいで、人の気配がしない……不思議ね」

「現実……?」

「そう。たくさんの人がいて、ビルがある。乗り物が行き交う……騒がしい街……」

「……お前」


 狼の体がビクリと動いたかと思うと、頭の上に手をかざして来た。


(今度は手に乗れと言うことなのかな?)


 そう思いながら狼の手の上に乗ると、その手は地面に下ろされ、私は狼に見下ろされていた。


 大きな狼のその立派な顔が目の前にある。

 私なんて一口で食べられてしまう大きな口を見つめると、急にあの時沸いた恐怖心を思い出す。


「狼さん……私を食べるの?」

「食べない」


 狼は即答する。


「なんだ……そうなのね」


 私は狼の口にそっと手を当てる。狼は撫でられるままに目を細めている。


「思ったより……怖くないわ」

「……」

「ふふ。あなたになら食べられてもいいと思っているのかしら」


 クスクスと笑い出した私を、狼はじっと見つめていた。


「……蝶型」


 狼の呼びかけに、私は顔を上げる。


「なぁに?」

「お前は……夢から醒めて来ているのか?」

「それは」


 どういう意味なのかと聞こうとしたのに、急に視界がぼやけて私は意識を失って行く――








 目を覚ますとアラームが鳴っていた。大学に行く準備をする時間だ。

 ベッドの上に半身を起こし、寝ぼけまなこで自分の手を見つめる。


(ふさふさ……)


 感触が残っている気がした。

 温かくて気持ちのいい……私を包み込む、触るとほっとするあの毛並みが忘れられない。

 そう今日も私は、夢の内容をしっかりと覚えていた。









 大学に行き、午前の授業が終わると、スマホに実家から着信が入っていた。

 カフェテリアに向かう途中の中庭で折り返し電話を掛ける。


「お母さん?」

「久しぶりね。元気にしてるの?」


 私の実家は、隣の県にあるとは言え外れも外れで、大学まで通学しようとすると片道三時間掛かってしまう。通学は難しいので、バイトで生活費を稼ぐことを条件に、一人暮らしをさせて貰えたのだ。


「ご飯ちゃんと食べてるの?」 

「うん。自炊してるよ、大丈夫」

「明日荷物送るつもりだけど受け取れる?」

「あ?本当?うん。いつもありがとう」


 心配性のお母さんは、時々、もらいものの野菜やお菓子などをまとめて送ってくれることがあった。


「お姉ちゃんが帰って来たから、お姉ちゃんからのお土産も入れて置いたわ」

「そうなんだ。珍しいね」


 お姉ちゃんは結婚して遠方に住んでいる。最近はもう稀にしか実家には帰って来ないはずだ。


「あ、お姉ちゃんが代わってって」

「うん?」


 ガチャガチャと音がしてから、姉の声が鳴り響いて来た。


「茉莉?」

「うん。お姉ちゃん久しぶり」

「どう?最近」

「忙しいけど、大丈夫だよ」

「違うわよ、彼氏できたの?」

「ぶっ」


 突然の話題に思わず噴出す。

 恥ずかしくて辺りを見回したけど、近くに誰もいないみたい……良かった。


「あんたいつもぽやぽやしてるから、心配なのよ」

「ぽや……?」

「いーい?若いうちに経験積んどかないと、男を見る目が養えないの。まさか初めて付き合った子と生涯一緒にいるなんて思ってないでしょう?何度も何度も、失敗を繰り返して、お互いに、より良い関係を築き上げるようになっていくものなの。世間を知らない若い男女がいきなりそんな境地に辿り着ける訳ないでしょう?トライアンドエラー……あれ?トライアルアンドエラー?とにかく試行錯誤なの!何度も何度も、繰り返さないとダメなのよ……ううっ」

「お姉ちゃん……大丈夫?」


 まさか昼間から呑んでるとは思わないけれど、テンションが高すぎて引いてしまう。


(……お義兄さんと、なんかあったのね)


 お姉ちゃんが結婚したお義兄さんは、少しクールなところがあって、理論的で口数は少ない。

 感情的なお姉ちゃんとは、たまに喧嘩もしてるみたい。

 急に実家に帰って来たなんて、やっぱりお義兄さんと何か、あったよねぇ……。


「私のことは……良いけど、どうなの?」

「うん……?」


 どうと言われると、まだ、全然分からないけれど。


「デートしたいって思う子は、出来た……よ」

「えっそう……」


 意外だったらしく、姉は大きく息を吸い込むようにしてから、ふふっと笑った。


「そんなこと言うのも初めてね」

「うん……」


 確かに男の子に興味をあるそぶりをしたのはこれが初めてだ。


 お姉ちゃんはことあるごとに、女子力を欠いた私に大人の女の助言をくれようとしていた。

 だからさっきみたいなお姉ちゃんの台詞を聞くのは初めてではなかったけれど……。

 私の方の気持ちが変わって来ているのを感じていた。


 今まではピンと来なかったのに、さっきはちゃんと心から聞いた気がする。


 試行錯誤かぁ。

 経験なんて、積んだことが一度もない。


 そんなこと考えたこともないし、もちろんしたこともない。

 そんなことをしたいと思えた人すらいない。


 だけど……。

 大事なことなんだろうなってそれは感じる。


「ありがとうおねえちゃん」

「ん。頑張ってね」

「うん」


 5つ年上の姉は口うるさいこともあるけれど、妹を心配してくれているが故だ。

 母も、そして父も、離れてから時々しか話していなくても、私を気に掛けてくれている。


 通いたい大学に通い、未来は自分の努力や運次第。私はきっととても恵まれているんだろう。


(ぽやぽや……)


 姉の言葉を思い出す。

 ぼんやりとしていても、こうして生きて来れる。

 でもそれは、しあわせ者の私が、守られて来たからなのかな。


 家族と、友達と、そして……学生であるこのいくらか気楽な身分。


 気付かないうちにたくさん気遣われてる。親しい人からだけじゃなくて、告白してくれた先輩からも。きっと、未だ気付いていない誰かからも。


 それはきっと、面倒なことや嫌なことからちょっとくらい目を逸らしても、生きて行けるくらい……。


(卒業したらどうなるのかな)


 これからはきっと就活が忙しくなって、大学が終わったら、自分の力で生きて行く。

 そんな未来は、もう生々しく迫って来ている。


 社会の中で、自分の行動が自分に返ってくる未来を考えると……まだ、少しぼんやりとしてしまう。

 その時、私は誰かの隣にいるのかな……。


(……。さて……ご飯食べないと)


 また考えても仕方がないことを考えていた。


 安い学食は、一日で一番がっつりご飯を食べる時間だ。もしかしたら皐月ちゃんにも会えるかもしれない。








 夕方バイトに出勤すると、今日は白井くんは来ていなかった。

 というのも、昨日で研修期間が終わったから、シフトが別々になったのだ。


 明日は二人とも休みだから……たまたま出掛けられることになったけれど、明後日は私は休みだけど彼は出勤。


 ずっとこうして彼の研修が終わる日を待ってたはずなのに、今はそれを少し寂しく思う。


 控え室には、どこで買って来たのか、仮装衣装が置いてあった。

 マントのようなものや、猫耳のようなもの、カボチャの髪飾りなどなど。

 全身をコスプレすると言うよりも、制服の上にちょこっとつける位のもの。こういうのは別に怖くない。


「今年もやるんですね」


 皐月ちゃんの台詞に、社員さんが答えてくれる。


「うん、好きなもの持って行って良いわよ。今日から明後日までね」

「はい」


 去年もハロウィン当日は仮装衣装が用意されていたのだけど、去年とは違うものだから新しく用意したのかもしれない。店長、マメだ。


 一番地味で目立たなそうな猫耳カチューシャを手に取ると、頭にかぶってみる。


「うーん?」

「ん、かわいいわね」


 ハロウィンだと言うのに、黒猫仕様ではなく茶色の猫耳だ。茶髪の女の子たちを意識して買ってきたのかも知れない。


 皐月ちゃんは、魔女のとんがり帽子をかぶる。


「どうかな?」

「かわいい!」


 自分の猫耳はピンと来ないけれど、大人っぽい皐月ちゃんがそれをかぶると本物の魔女みたいに見えてとても可愛らしい。


 皐月ちゃんは少し照れるように視線を伏せた。

 どうやら綺麗とは言われ慣れているみたいなんだけど、可愛いと言われると途端にこうして恥じらうのだ。


(皐月ちゃんはこんなに可愛いのに、あんまり言われないのかな)


 片手で帽子を持ってモジモジしている姿は、守ってあげたくなるくらい可愛いのに。


 他の女の子たちもきゃっきゃ言いながら選んでいるので、邪魔をしないようにさっさと脇にどく。


 すると皐月ちゃんが「後で休憩の時に一緒に写真撮ろう」と小声で話しかけてくれた。








 バイトが終わりロッカーで着替えていると、皐月ちゃんがトイレに行っている間に、ロッカールームには私といつも白井くんに積極的に話しかけている女子たちが残された。


 ちらりと私を盗み見て来る彼女たちの視線が痛い。


(……上手く、付き合って行きたいんだけどな)


 先輩の件があったときはともかく、後から入った子もいる。最初からギスギスした関係だったわけじゃない。


 彼女たちのグループは良く一緒に遊びに出掛けているみたいなんだけど、私は誘われても断ることが多かった。

 実家暮らしの子たちと違って、バイト代はほとんど生活費で消えていくし、飲み会や遊びの誘いを断っているうちにだんだんと誘いもなくなり疎遠になって来てしまった。


(でもそれって、そもそも……私の人付き合いの苦手さが生んだことだよね)


 なにも、白井くんのことだけが原因じゃない。


 ――『あんたいつもぽやぽやしてるから、心配なのよ』


 姉の言葉を思い出す。

 あれは、恋人を作ることだけを言っているわけじゃないんだろうなって。


「明日白井くんと同じシフトなの」

「そうなんだ?」

「なんかね、同じ大学の子に聞いたんだけど、彼女いないらしいんだよね」

「へぇ、意外だね」

「うん……」


 聞こえて来てしまう彼女たちの会話を気にしないようにしていると、ふと視線を感じる。女の子の一人が私を見ていた。


「草壁さん」

「……はい!?」


 突然名前を呼ばれ返事をすると、女の子が微笑む。

 茶色に染めた長い髪にパーマをあて、細身の体に流行りの形のワンピースを着ている。このグループの子たちは、洋服にもお金を掛けてるおしゃれな子たちばかりだった。


「白井くんから何か聞いてません?」

「なにか……?」

「趣味とか、好きな子のタイプとか、なんでも」

「えっと、ずっと、研修をしてただけなので……」


 DVDを借りたりはしていたけれど、あれだけでは趣味が分かったとは言い難い。


 私の返事に女の子たちはクスクスと笑う。


「そっか、草壁さんならそうだよね」

「ふふ」

「最初から私たちに研修担当させてくれたらよかったのに」

「ねぇ」


 ……皐月ちゃんといるときに社員さんからこっそり聞いたところによると、面倒が起こらないように真面目そうな子に頼んだのだと言っていた。


「お疲れ様です……草壁さん」

「お疲れ様です」


 ロッカーから出て行く女の子の一人が私を振り返って言う。


「邪魔、しないでくださいね」


 言い捨てて、パタリとドアが締まって行く。


 入れ替わりで入って来た皐月ちゃんが、息を呑むようにして締まったドアを見つめていた。


「……何?追いかける?」

「……ううん」


 深く深くため息をついた。ただ怖い。瞳に込められた悪意をそのままにぶつけられたのだ。


「どうしよう皐月ちゃん……」 

「え?」

「私……どうしよう」

「茉莉?」


 すがり付くように皐月ちゃんに抱き付くと、皐月ちゃんはヨシヨシと言いながら背中を撫でてくれた。









 たまには晩御飯でも食べて行こうと誘われ、店の近くのファミレスに寄った。皐月ちゃんに白井くんとのデートの約束の話をするととても驚かれた。


「いつの間に……?」

「き、昨日です」

「昨日……白井、行動力あるんだね。意外に」

「意外?」

「こう、勝手なイメージだけど、来るもの拒まずだけど、自分から行かなそうな人かなって」

「うん……」


 いつも微笑んでいる彼からは、本音をどこかに隠しながらも、魅力的な笑みで女の子たちを夢中にさせている人のような印象を受ける。


「でも茉莉が……OKすると思わなかった」

「うん……私もすると思わなかった」


 私の返事に皐月ちゃんが面白そうに笑う。つられて私も笑ってしまった。


「楽しんで来て」

「うん」


 皐月ちゃんは明太子パスタを、私はイタリアンな名前の付いたドリアを食べながら、ちょっとだけ明日の相談をする。


「何着て行ったらいいんだろう」

「茉莉には初デートよね?普通は可愛らしいワンピースとかが良いと思うけど」

「ワンピース持ってない……」

「そうよね。この間買ったスカートに、たまに着てる白い上着はどうかな?」

「うん、そうしようかな」


 さすが皐月ちゃん。私のクローゼットの中身を把握している。


「……ねぇ、茉莉」

「うん」

「気乗りしないのに無理してる?」

「……ううん」


 皐月ちゃんの言葉に、自分の心を感じ取るようにして考える。


「まだ……全然、なんにも分からないけど……でも、気になるんだ」


 気が付くと白井くんのことを考えている。それだけは確かなのだ。


「男の子が気になるのは……初めてだと思う」


 ふとした時の彼の表情が心に残る。

 自分の中に何が芽生えていて、何を感じているのか、まだはっきりとしないけれど。


「さっきの……女の子たちにも、何を言ったらいいのか分からなかったけど……」


 ぼんやりと生きて来た私は、まだ彼女たちのように、恋に目を覚まして生きていないのかもしれない。


「ちゃんと……行きたくて、OKしたよ」

「……そう」


 皐月ちゃんはなんだか嬉しそうな顔をして笑った。


 そうして休憩時間に撮ってくれた私が猫耳カチューシャを着けた写真を送ってくれた。

 白井くんに送ってみるといいよ、と言われる。なんで?と聞くと、皐月ちゃんはちょっと考えてから、反応が見てみたいからと言って笑っていた。










 帰宅すると、白井くんからSNSにメッセージが届いていた。明日の授業が終わる時間の確認だ。


 12時半には校門に行けるけど、最寄り駅でも、映画館のある駅でも良いと伝える。

 すると返信が来て、12時半に校門で待っているとのこと。

 皐月ちゃんに言われたことを思い出し、返事と一緒に猫耳カチューシャの写真を送ると、急に電話が掛かって来た。


「……先輩」

「白井くん?」

「今少しだけ、良いですか?」

「……うん」


 時間は11時半。

 アパートなので大きな声では話せないけれど、少しなら平気だろう。


「今日、シフト……山田さんとか、盛岡さんとか、入ってました?」

「ん?入ってないよ、今日は女の子が多くて」

「そうですか……」


 山田さんと森岡さんは私の先輩にあたる男の人たちだ。


「……今日、バイト行けば良かった」

「え、なんで?」

「……仮装、一緒にしたかったです」

「私はもうハロウィンまでに出勤ないけど、白井くんは明後日出来ると思うよ」

「……」


 白井くんは思ったよりも、イベントごとが好きなタイプの人なのかな。そうだよね。モテそうだし、パリピでもおかしくない。


「明日……楽しみにしてますね」

「うん……私も。誘ってくれてありがとう」

「いえ……それじゃ」

「おやすみなさい」

「……おやすみなさい、先輩」


 電話を切った後も、スマホをしばらく見つめてしまった。


 結局なんで電話を掛けて来てくれたのか分からなかったけど、自分を気に掛けてくれる人と、一日の終わりにおやすみと言い合えるのは良いなと思う。









 夢を見た。

 私は心置きなく、温かなふわふわのベッドの上で寝ている。

 しゃべるベッドは、嫌がることもなく、私を横たわらせてくれている。


 あんまり気持ちが良いから、もっと寝ていたくて、空が明るくなって来ても起きない私を、狼は気にして言ってくれた。


「先輩……起きる時間です」









 目を覚ましたとき、心臓がバクバクと鳴っていた。


(――え?)


 いつもの夢だった。けれど、いつも通りじゃなかった。

 夢の中の狼が、白井くんの声で、私を先輩と呼んでいた。


 ベッドの上に体を起こし、カーテンの隙間から差し込む朝日を見つめながら……考える。


(まさか……夢に見るほど白井くんのことを好きになっている?)


 毎日見る夢のこともよく分からなかったけれど、白井くんまで夢に出て来てしまうとは。


(え……まさかあの夢は私の願望なのかな……)


 狼に……食べられてしまいたいって……でもその狼は、狼は……。

 職場の、とってももてるカッコイイイケメン。


 そこまで考えてぞっとする。

 だって、おかしな夢が続く説明がついてしまう。毎日、私はただ自分の願望を夢見ていただけなのだ。


(しかも――)


 あの野生的な狼は、柔和な笑みを浮かべる白井くんとは、雰囲気も口調も全然違う。

 もしかして私は、野性的な『彼』を心のどこかでは求めて――いる?


「ええ……っ!!」


 大きな声を上げてしまった自分にびっくりする。

 そしてはっとして口を押える。

 明け方の騒音筒抜けアパートで出して良い声じゃない。


「……起きよう」


 そう言って頭を振る。


 目を覚まさなくちゃいけない。おかしな妄想をしている場合じゃない。だって私は今日やっと――生まれて初めて異性とデートをするくらいの、色恋沙汰のど素人なのだから。

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