第4話 映画のお誘い

 授業を終えて、バイトに出勤。

 控え室に入ると、今日も白井くんが居た。


 彼は私の姿を見つけると、目を細めて微笑んだ。


「……先輩」


 その声は優しく響いて、瞳はまっすぐに私を見つめていた。


「今日も宜しくお願いします」

「こちらこそ……お願いします」


 研修が終わる。白井くんを付きっきりで教えるのは、今日が最後になる。

 だから本当だったら、ここからは話をするような機会が減って行くはずだったのだけど。


 昨日までは、距離を置くつもりもあったのだけど……。


 ――『目を覚ましなさい』


 夢見た声が頭の中でこだまするようにずっと響いているみたいだった。

 今までのようではだめだと、心の中から警鐘が鳴らされるように。


「白井くんDVDありがとう……」


 私は貸してもらったばかりの映画のお礼を言った。


 すると白井くんは、入れ替わりで帰り支度をしている早番の子たちに視線を移してから、少しだけ私に顔を近づけて小さな声で言った。


「もう観ましたか?」

「うん、両方とも面白かったよ」


 そう、貸してくれた映画はどちらも、心に残る温かい物語だった。

 色々……思うところがありながら……最後には無心で観ることになった私の事情はともかく、白井くんのおススメは参考になるなって本当に思えた。


「あの……」

「はい」

「また……帰りに返してもいい?」


 私の台詞に、白井くんは一瞬目を丸くするようにして私を見下ろした。そのままじっと私を見つめた。


(え……何かな?)


 不思議に思っている私の前で、白井くんが花が開くような笑みを浮かべる。


「……もちろん」


 白井くんはそう言うと、嬉しそうに目を細めた。


 私はほっとして少しだけ笑顔を浮かべる。


 ずっと……出来るなら白井くんのことを避けられないかと思ってきたけれど。

 夢から醒めた後、どうしても、あの声が忘れられない。


 ――『夢を見てるように生きてたら……あんた死んじゃうわよ』


 その台詞も、何度も見る夢の意味も、何もかも分からないままなのに。

 けれど、私の逃げるような生き方を言われているような気がした。


 よく知りもしない人を避けて、面倒ごとから目を逸らして、訳も分からず色恋ごとを怖いと思ってしまう……。


 情けない私が、あんな風に言われたんじゃないかって。

 どうしてだかそう思えてしまうのだ。


「白井くんの歓迎会をやりまーす」


 社員さんが入って来て、皆の前でそう言った。


「金曜日の夜、遅番上がりの時間からだから、まぁ1~2時間くらい、電車無くなっちゃう子は少しだけの参加で構わないから来れる子は来てね」


 白井くんが社員さんにお礼を言っている。どうやら事前に知っていたみたいだ。社員さんと話し終わった後に、私をちらっと見つめた。


「先輩……金曜日は」

「うん、ハロウィンの次の日だよね。出勤日だよ。行かせてもらうね」

「ありがとうございます」


 たぶんいつもの、駅前の居酒屋での飲み会なんだろうなぁとぼんやり考えていた。







 休憩時間。

 白井くんは慣れたように、話しかけて来る女の子たちに受け答えをしていた。


 けれど……ずっと変わらない。

 白井くんは誰と居ても、おっとりと受け身で会話をする。

 少し距離を置くように。


 職場の人間関係なんだからそれはごく普通のことなんだけど、なんでそんな人が私には、積極的に声を掛けて来てくれるのかな……って余計に疑問に思ってしまう。


(う、また、答えが出ないことを、もやもや考えている気がする……)


 こういうのはダメだよなって、思いながら頭を振る。


 ……去年。


 先輩が告白をしてくれた時。

 あの時先輩は、断った後も嫌な顔を一つせず、ずっと噂になってしまった私の立場を気にしてくれていた。


 私はきっと、あの時、いろんなことが分かっていなかったんだ。

 自分が先輩の方の立場になってしまうと、考えてしまう。


 あんな風に相手を気遣って、優しい台詞を相手に向けることは、きっと簡単なことじゃないんだ。


 もしも……私が……仮に……仮にだけど……。

 本当にあるわけじゃないけど……私が白井くんに……。


 いや、私じゃなくて……!


 仮に、とある職場の……M先輩(女)が後輩のSくん(男)を好きになって告白したとして……そして振られたとしたら……。


 相手を避けることもなく、笑顔を向け続けることが、出来るのかな。


 好きな人が出来たこともないから、はっきりとは分からないけど。

 でも、きっと難しいことなんじゃないかなって思う……。


 私は……そんなことを、考えたこともなかったんだ。


 あの時私は、先輩のことだって良く知らずにただ断っただけだった。

 なのに必要以上に気を遣わせて……それすら気付いていなかったような気がする。


(幼いって言われても仕方がない気がする……)


 夢の中の言葉が心に響いたのは、きっと、私の中に思うところがあるからだ。


(でも……)


 今になってこんなことを考えるのは、白井くんに出会ったから。

 彼に出会わなかったら、きっと、今こんなことを考え出さなかったと思う。


(だから……)


 出来るなら今度は、ただ目を逸らすようなことはしたくないなって思うのだ。









 バイトが終わって駅のホームに辿り着くと、この間と同じように白井くんはホームの椅子に座っていた。

 前と違うのは、空を見上げていないこと。


 気になってふと空を見上げると、今日も月が出ていない。今日あたりはもしかしたら新月かもしれない。


「白井くん」

「……先輩」


 白井くんは立ち上がると私の前に歩いて来て、そうしてニコニコと見つめる。女の子みたいな顔立ちの彼が嬉しそうに微笑むと、少しだけ普段より幼く見える。


 ちょっと、可愛いな、と思う。

 他の人には懐かないのに、私にだけ懐いてくれたような気持ちになる。


 ん?懐く……?私何考えてるんだろ、まるで犬に例えているみたいだ。


 だって目の前にいるのは、背の高いカッコいい男の子だ。黒いシャツを羽織った彼の茶色の髪が風になびくとまるで何かが輝いたみたいに見えて、ホームを歩いているOLのお姉さんたちがチラチラとこちらを窺っている。


「待っててくれてありがとう」

「いえ……」

「これ、ありがとう」


 手渡すと、彼は微笑んでからリュックの中にしまった。


「どうでした?」

「うん……恋愛物の方はもともと好きなやつでね、もう一度観たかったから貸してくれて嬉しかった」

「……そうですか?」


 あれ?語尾に疑問符がついてるような。


 不思議に思っていると、白井くんが続けて言った。


「恋愛物好きですか?」

「うん、好きだよ、よく観るよ」

「そうですか……恋愛も観るんですね」

「え?」

「……今後の参考にしようと思って」

「あ……うん……」


 またおススメを教えてくれるのかな?


「もう一つの方は、哀しいけど……すごく良かったよ」


 二枚目に観た、海外のヒューマンドラマ映画は、孤独に亡くなった人たちを見送る公務員の話だった。誰に看取られることもなく亡くなった人たちを誠実に見送る男の話しだ。


「……どう思いました?」

「え?」

「……人知れず亡くなることを」

「哀しいけど……」


 でも……。


「形に残らなくても、ひっそりと通じていた想いが、温かかったよ」

「……」


 私の台詞に、なぜだか白井くんは一瞬痛ましいものを見るように顔をしかめ、それはまるで泣きそうな表情に思えた。


「……白井くん?」

「電車が来ましたよ」


 私の呼びかけは、電車の音に消されてしまう。

 前を向いた白井くんの表情は見えない。


 車内に乗り込むと、いつもと変わらず穏やかな表情をした白井くんが私を見下ろしていた。


「……また貸しますね」

「……うん」


 私はもう断らなかった。


「……私も貸して良いの?」

「はい。嬉しいです」


 白井くんはにっこりと返事をしてくれる。


 映画の話を出来るのは嬉しい。

 こうして一緒に居ても、楽しいし、嫌な思いもしないし、気も楽。


 ……もしかしたら友達になれるのかもしれない。


 けれど、それ以上のことは良く分からない。それに、これまでの会話だって、職場の先輩と後輩で交わす、ありふれた会話だけのようにも思える。


 避けるのを止めようと思ってみたところで、知人の域を出ているようにも思えないし、白井くんのことはまだ全然分からない。


「……先輩新作は、観ますか?」

「新作?」

「映画館で」


 映画の話題を振られると私は元気よく答えてしまう。


「うん!もともと好きだけど、最近は映画館でしか感じられない体感型のが多いから、そういうのはちょっと高いけど、たまに張り切って行くんだ」

「映画館だけ……っていうと、4DXとか、ああいうのですか?」

「そうそう。3Dとか、匂いとか水とか、あと爆音上映も嫌いじゃないよ……」

「アトラクションみたいなやつですね」

「うん。あれもあれで楽しいよね」

「そうですか……俺、全然行った事なくて」

「そうなんだ?」


 確かに劇場も絞られてくるし、近場に観れるところがなかったら、中々足を運べないかも。


 そう思っていると、白井くんは少し考えるようにしてから、私を見つめて微笑んだ。


「行ってみたいのでご一緒してもらえませんか?」

「え?」

「付いて来てもらうので……俺のおごりです。一人で映画観ても詰まらないので」


 私が白井くんの映画に……付いて行く?


(付き添いが必要な年齢では、もちろんない……)


 笑顔の彼を見上げながら、私は言葉を絞り出した。


「……それ、は」

「はい?」

「二人……で?」


 私の台詞に白井くんはじっと私の表情を窺う。


「二人でと思いましたが……他の方も誘いますか?」


 私は考える。

 二人きりの意図で、おごりで誘ってくれたのは、普通よりお高い映画。


 ただの友人へのお誘いなわけがなくて。

 きっと普通に考えるならば、男と女のお誘いなのだと……私でも分かってしまう。


 でも私は――。


「……行く」

「え?」


 誘ってくれたはずの白井くんは、なぜか驚くように私を見つめた。


「映画、白井くんと、行きます……」


 どうして私を、とか、聞きたいことはいっぱいあった。

 だって、なんで誘ってくれたのか、理由すら分からない。


 けれど……今の私はまだ、それを聞けるほどにもこの人と仲良くなっていなくて。

 そして自分の気持ちも、何も、まだ分かっていない気がした。


「……次の休みは……」


 掠れるような声で白井くんが言う。


「明後日……お休みです」

「……学校がありますよね?」

「水曜日は午前中で終わるから、午後は空いているけど……」

「じゃあ、水曜日に」

「え、白井くんの学校は?」

「大丈夫です」


 白井くんがきっぱりと言い切ると、大丈夫なのかと聞くことも出来なくなってしまう。


「じゃあ、水曜日……先輩の学校に、迎えに行きます」


 む、迎え?と思っていると、彼はポケットからスマホを取り出して、連絡先を聞いて来た。

 なんだかんだとまだ連絡先を交換していなかったので、SNSのアカウントと電話番号を交換する。


「連絡しますね」


 そう言うと彼は微笑んでから電車を降りて行く。

 ドアが閉まると白井くんは満面の笑顔を私に向けた。


 嬉しそうな表情で、何度も手を振っていた。その姿がどんどんと小さくなっていく。


(……!)


 一瞬、子犬がしっぽを振っているようなイメージが湧きおこり、胸がきゅんとする。


(何を考えているのか、分からない子だと思っていたのに……)


 少し頬を染め微笑む姿は、まるでデートのOKをもらって、嬉しそうにしてる男の子みたいだった。


(はぁっ……)


 緊張していたみたい。ため息が漏れる。


 ――これでいいのかなぁ。


 訳も分からず避けるのは止めたいと思ったけれど……でもそれは、彼だったからだと思う。


 嫌ならとっくに断っている。

 私はたぶん……彼が気になってる。


 時折見せる切なげな表情が……

 私にだけ見せる親し気な笑顔が、心に残る。


 考えていると恥ずかしくなって、両手を顔に当ててしまう。


(考えないようにしていただけで。私は、本当は、ずっと……)


 彼は一体どんな人なんだろうって気になって仕方がなかったのかも知れない。

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