第3話 目覚めたときに見る夢は

(へぇ……こういう映画を観る人なんだ)


 朝日の差し込む部屋の中で、白井くんが渡してくれたDVDの入っている紙袋を開けた。


 昨夜は帰宅すると寝落ちするようにぱたりと意識を失ってしまい、今朝起きてシャワーを浴びてから、朝食のパンをかじりながらここにいたる。


 白井くんが貸してくれた映画は、古い白黒の恋愛映画と、数年前にミニシアターで公開していた外国のヒューマンドラマの映画だった。


(うん……楽しい)


 映画だけじゃなくて、本だって音楽だってそうなのだけど、その人が好きなものを厳選して教えてくれたときに、その人自身が少し分かって行けるような不思議な感覚がして、すごくとっても嬉しい。


(貸してもらえなかったけど、持って帰ったホラー映画もどんな内容なのか気になるなぁ……)


 そこまで考えてから、私はフリーズするようにして、昨日の台詞も思い出してしまった。


 ――「俺は、先輩と、二人で観たいと思ってます」


(あれは……あれは一体……)


 男の子と付き合ったこともなければ、まともに好きになった人もいなかった私に、男女の心の機微を汲み取ったり、言葉の裏を読み取ることなど不可能だ。


(だからそのまま、考えてしまうと……)


 ……デートに誘っているみたいだと思う。

 そんなことありえるのだろうか。知り合ってから、ほとんど仕事の話しかしていないのに。


「……考えても、無駄だ……」


 声に出して言ってしまう。

 そうなのだ、いくら考えたって私には分からない。

 恋愛音痴が極まっているのだから。


「映画、観よ」


 今日は日曜日。久々に学校もバイトも用事もない、ダラダラ過ごせる日だった。


 カフェオレを入れたマグカップと、スナック菓子をテーブルに置く。

 いつもならこれだけで、心行くまで映画を堪能できる幸せな時間を過ごせるはずなのだけど……。


 再生を始めても、なんでだろう。全然頭に入って来ない。


 TV画面では、小柄で可憐な往年の人気女優が、愛する男を前に小さな嘘を重ねているところだった。嘘、と言っても、とても可愛らしいものなのだ。語る偽りの言葉は、本当は駆け引きとも言えない純粋なもので、世慣れた男性の側に居たいがゆえに自分を遊び人に見せるために必死に作る嘘なのだ。


 なんであらすじを知っているかと言うと、小さな頃に一度観たことがあるから。

 もう一度観たいと思っていたから、貸してくれて嬉しかった。


(なのに……全然頭に入ってこない……)


 油断すると、白井くんの言葉が頭をめぐる。


 ――『俺は、先輩と、二人で観たいと思ってます』


「ふっわ……!!」


 ハッキリと音声と映像付きで思い出してしまい、クッションを抱きしめながら思わず叫んでしまう。


 なんなんだ。なんなんだ。一体なんだったんだ。

 彼は私に一体なんであんなことを言ったんだ。


 考えないようにすればするほど、明確に思い出して行ってしまう。


「だって……」


 知り合って、一週間……ただ、先輩と後輩として接していただけ。この間一緒に帰るまでは、仕事の話以外だってほとんどしてなかったのに。


 ま、まさか……。

 たいして知りもしない相手に興味を持つとき、それは――


(見た目に興味を持った……?)


 無意識に机の上に置きっぱなしの卓上ミラーを覗き込んでしまったけれど、ぱっとしなければ、女子力を欠いた容姿の女が映っていた。


(自分で言うのもなんだけど、それはないよね……)


 皐月ちゃんならそんなこともあるかもしれないけれど。

 じゃあ、本当に映画の話がしたいだけなのかな。

 友達になろう、的な意味だったのかも。

 そう思ったらだんだんそんな気がして来てしまう。


(そっか、映画友達になりたいってこと、か)


 そうは言っても、ただの友達になっただけでも、まわりの女の子たちの目は厳しいだろうし、バイト先でいざこざが起こるのも面倒臭いなと思う。


「はぁ……」


 このところずっと胃が痛い気がする。


 白井くんは悪い人じゃない。話が出来るのは楽しいし、もしかしたら友達にだってなれるのかもしれない。だけど、それにはいろんなことが邪魔をしている気がする。


(私は気にしすぎで、自意識も過剰なのかな……)


 年頃の女の子たちとのあれこれとか、男の子との上手な付き合い方とか、そういうのがとっても苦手なのだ。

 ましてや、まだよく知りもしない男の子のことなんて、もっと分からない。


「……」


 考えても分からないことを考え過ぎても仕方がないってことは分かる。


 借りた恋愛映画は、最後の別れのシーンまで、純粋な嘘をつき通す可憐な女の子の姿が描かれていた。









 いつの間にか眠っていた。


 夢を見ていた。

 よく思い出せないのだけれど、私は毎夜のようにこの夢を見ている気がする。


 私は空を飛んでいる。

 背中には羽が生えていて、私はとてもとても小さい。

 光の粉を撒き散らしながら、何かを探して彷徨っている。


「ちょっと!ちょっとちょっとあんた!」


 けれど今日、とても騒がしい声が私を呼び止めた。


 それは珍しいこと。私を呼び止める存在なんてほとんどいないのだから。

 ほとんど……?

 そう考えて首を傾げる。

 そうだ、いつも鳴き声で私を呼び寄せていた、温かな存在があったような気がするけれど。


「やっと止まった!なんで蝙蝠のアタシがひらひら飛んでるあんたに追いつけないのよ!」


 振り向くと、真っ黒な色をした何かが目の前を飛んできた。

 鳥のようでいてそうじゃない……きっと、台詞通りの蝙蝠なんだろう。


 羽ばたきながらそれは言った。


「ずっと探してたのよ!ちょっと話を聞きなさい」


 その言葉は私に向けられているようだった。


「蝙蝠……さん?」


 蝙蝠を実際に見たことはなく、けれど、知っている知識からそうなのだろうと思う。


 ……見たことがない?

 私は何かを考える度に、自分の中の何かに引っかかるような気がする。


「あんたねぇ……」


 その蝙蝠は、そう言った瞬間ぷしゅんと音を立てるようにして姿を消した。すると蝙蝠よりもずっと大きな黒い塊が現れた。


 その塊は、黒いマントに包まれていた。


 バシっと空気を切るような音と共にマントを広げると、人の形が目の前に現れた。黒く長い髪をした青年。カールを巻いた長い髪が揺れている。ほっそりとした美しい顔立ちをしていた。


「あたしは吸血型よ。あんたは蝶型でしょ?」


 ……蝶型。


「……そう呼ばれたことがあった気がするわ」


 この言葉を聞くとなぜだか心の中が温かくなる。どうしてなのだろう。


「あー、もう、あんたそんな感じなのね。『夢』から覚めないのね」

「……夢?」


 吸血型、と名乗るその人は、もうっ!と呟き頬を膨らませるようにすると、空の上で胡坐をかくようにして座り込んだ。


「狼があんたのこと探してたのよ。あの醒めた奴が必死に探してるんだもの。私も気になって探しちゃったじゃない。そしたら、何も覚えてない子だなんて」


 この人の言っていることは分からない。


「……狼?」


 けれど、その言葉は胸をじわりと温かくさせる。


「そう狼よ。割り切ってるようでいて直情型の!思ってることなんでも口にしちゃう、短気な子!どうせあの子が考えなしで言った言葉であんたを怖がらせたんでしょうけど……あの子怖い子じゃないから、会いに行ってあげてよ」

「……会いに行く?」

「そう。覚えてない?あんたを必死に探してる、茶色の狼」

「茶色の……狼」


 それは、とても温かくて、優しい存在だった気がする。


「知ってる気がするわ」

「そう……良かった」


 その人はほっとするような表情をしてから、初めて破顔するように笑った。


「いーい?会いに行く前に、あたしからの忠告よ」

「……忠告?」


 赤い目をしたその人は、私をじっと見つめて真面目な表情で言う。


「夢を見てるように生きてたら……あんた死んじゃうわよ」


 死――


 その言葉とともに、その人は空気に溶けるように姿を消すと闇と同化した。


「目を覚ましなさい」


 声がどこからともなく響いて来る。


「感じなさい。受け入れなさい。目の前を見つめなさい」


 闇から響いて来る声は、反響するように私の全身を震わせて、恐怖心を植えつける。

 震えるように体を抱きしめて、ここから逃げないといけないと怯える。


 けれど……。


「可哀想だわ……だってあんた、ただ幼いだけなんでしょう……?」


 最後の声はとても優し気に響いて来たから、私は驚きで身動きが取れなくなった。











 ――夢を見ていた。

 今日ははっきりと、それを覚えていた。


『あんた、ただ幼いだけなんでしょう……?』


 生々しく聞いたばかりの台詞を思い出すことが出来る。

 夢なのに……不思議なほどはっきりと。


「……え?」


 一瞬ここがどこだか分からなくなり、慌てて身を起こす。いつもの自分の部屋で、映画を見ているうちに眠ってしまったみたい。時計を確認すると、朝の四時だ。


「夢を、見てた……のよね?」


 心臓がばくばくと鳴っている。

 まるで目の前で本当にあったことのように、夢の記憶を鮮明に思い出せたからだ。


 だって、だって、だって……。


(あの夢は初めてじゃない)


 もうずっと繰り返し見ている、同じ世界の夢だと思う。

 私は小さな蝶型をしていて、光の粉を撒き散らしながら空を飛んでいるのだ。


 時々不思議な生き物に出会う。

 けれど、話しかけて来たのは、二つの生き物だけだ。


 吸血型、と言っていた蝙蝠……と、そして茶色の……ふさふさした毛を持つ大きな狼だ。


 『私』を体の上に乗せてベッド代わりに眠らせてくれる、変な狼。


「……え?」


 ここまで考えて頭が混乱する。私は毎夜同じ夢を見続けている――?


「……そんなことがあるの?」


 いやないと思う。普通のことではありえないと思う。


「え……?」


 とうとう頭が……おかしく……?


 ス、ストレス……?


 くらくらするように頭を抱えた後に、ふと目を上げると、そこには白井くんが貸してくれたDVDが置いてあった。


 朝一本見た後は、レンタルで借りて来た方を見ていたので、まだ一本残っている。


「……うん。映画を観よう」


 私は無心でDVDをデッキに突っ込む。


 登校時間までに一本くらい余裕で観れるだろう。

 そう思いながら、再生ボタンを押すと、ぽすんと音を立ててもう一度ベッドに横になった。


(寝ながらダラダラ映画って最高だよねぇ~~)


 そうして私は、あらゆる意味で逃避するように借りたDVDを観るのだった。




 ……夜は、またバイトのある日だったけれど。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます