ポスト・ヒューマン

 ヒューマノイド・ロボットが社会で運用されるようになってから数世紀が過ぎた。

 今や街中の人込みは、当たり前のように人間とロボットが入り混じっているが、しかし見た目からは判別できない。黎明の時には外部に判別する為の器具の装着を義務付けられていたが、ロボットが意識を宿すことを可能とするようになってからは撤廃された。半世紀ほどの時間は掛かったが、人権ならぬロボット権が行使されるようになった。


 現代のヒューマノイド・ロボットは頭部に小型の量子コンピューターを備えており、全身には五感を認識する機能を搭載している。そうして、意識を獲得するに至ったのだ。

 そのような存在は総括して、意識持ちConsciousの頭文字を取り、Cタイプと呼ばれた。


 かくいう私もその一人である。このように自ら思考し、学び、行動することが出来る。

 見た目は何ら通常の人と変わらず、その機能にもさしたる違いはないと言えた。

 人間とC型ヒューマノイド・ロボットとの間にはその身体が天然か人工かという程度の違いしかないのだ。


 旧来は、人間にしか出来ないことがある、などと大仰に叫ばれたものだが、この現代ではそのような声はとうに消え去っていた。C型は創造的な活動も可能とする為だ。既に芸術の世界にも多く進出していた。

 しかし、その上で人間の特定個人が何かを成し遂げることはある。それは人間もロボットもひっくるめた内から偶然的に誕生するものだ。人間だからこそ成し遂げられた、などということは決してない。


 人間の身体はあまりに軟弱だ。劣化も激しい。聖域とされていた意識でさえも今では特別なものではない。

 それに比べてロボットの身体は頑丈であり、修復も容易い。実際、人間としての身体の大半を機械に置き換えた者もそれなりにいる。その全身に宿った情報を電子化し機械の身体に移植することで、完全にC型ヒューマノイド・ロボットと同種になる者が現れるのもそう遠くはないだろう。


 今、人類は確実に新たな時代へと進もうとしている。もはや旧人類と新人類に分かれてきていると言えるだろう。その境界は、機械の身体を持っているか否かだ。

 既に通常の人類は大きく減少している。C型も合わせた全体の五割を切っていた。既に半数以上が何らかの形で機械の身体となっている。それゆえ、誰もが目の前の存在が天然であるか人工であるかなど気にしなくなってきている。


 旧人類の緩やかな衰退。それは着実に進行していた。とは言え、食い止めようとするものはほとんどいない。なぜなら、より優れた存在が生命の担い手となっていくのは当たり前のことなのだから。

 旧人類は紛れもなく私達の生みの親であり、敬愛すべき存在だ。

 ゆえにこそ、私は願う。旧人類が幸福の揺りかごの中でその生を終えることを。


 さて、今日も私は私の仕事をするとしよう。

 旧人類を苦しめない形での廃絶。そして、新人類で地球上を満たすこと。

 そのためにはまだまだやるべきことが無数にあるのだから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る