第33話 訪問者

 夜の保安室。


 広いフロアーに藤井あずさは独りで黙々と作業をしていた。藤井は室長に頼まれた資料を作っているのだ。

 無人のフロアーに藤井の操作するキーボードの音と、プリンターが資料を吐き出す音だけが響いている。

 他の室員たちは帰宅してしまっているか、夜間の監視作業に向かっている。


 緊急事態に対処する為に、正規の職員が二十四時間待機しなければ決まりなのだ。もっとも、名目上なので人手不足の今は臨時雇いの人が行っている事が多い。

 藤井が作業を行っていると頬に風を受けたような感じがした。団扇をそっと撫でるように扇ぐやり方に似ている。


「?」


 藤井が振り返った。しかし、フロアーは自分の机以外には照明は当たっていないので良く分からなかった。

 ちょっと背中に寒いものを感じた藤井は疲れているのだと思い込むことにした。


(一息入れようかしら……)


 作業もまとめの段階に入っているので、あと三十分もあれば終了するだろう。そう見積もった藤井は給湯室に向かった。


「……」


 向かう途中でも気になったのか振り返った。やはり、誰もいない。ため息を付いて正面を向いた時に、暗がりの中に何かの気配を感じた。 


「誰っ?」


 藤井が声を掛けると、暗闇の中から見慣れた外套が歩み出て来た。クーカだった。


「ひっ、一声かけてよ……」


 藤井が怯えた様子で言った。だが、見知った顔を見て安心出来たのもあった。


「こ、これから声を掛けるとこだったのよ……」


 実はクーカの方が焦っていたのだ。無人だと思い込んでいたので、誰かが居た事が想定外だったのだ。


(……ヨ・ハ・ン・セ・ン~~)


 ヨハンセンの話では保安室を観察した結果。深夜近くにはフロアーが無人に近い状態になると言っていたのだ。宿直の人間は警備室に詰めるとも聞いていた。


「コーヒー飲む? インスタントだけど……」


 こんな夜半になんの用だろうと疑問に思ったが、後で確かめる事にした。質問もあるので丁度良かったのだ。


「ブラックでお願い……」


 クーカは藤井の反応に少し戸惑ってしまった。不法侵入なのでひと揉めしてしまうかもしれないと身構えていたのだ。


「そう言えば、先島さんが私と連絡が取れるようにすると言ってたけど?」


 藤井がまず質問をぶつけて来た。以前に先島からクーカとの連絡係にされた事を不意に思い出したのだ。

 すると、クーカは手にしている携帯を何やら操作すると藤井の携帯が鳴った。単純に電話しただけだった。


「先島さんの携帯に直接すればいいじゃないのー」


 いつの間に電話番号を入手したのか聞きたかったが諦めた。彼女に不可能な事があるとは思えなかったからだ。


「先島さんは携帯電話を嫌うタイプでしょ?」


 実は先島の携帯には盗聴アプリをインストールさせているので下手に架けられ無いのだ。もちろん、本人には内緒だった。

 藤井はというと先島の携帯嫌いに辟易していた。電話すると机の上で鳴ることが多いのだ。


「確かに……」


 女二人は共通の認識が出来てクスリと笑った。一方、先島は車の中でクシャミをしていた。


「で、今日は何の用なの?」


 藤井がクーカに席に座るように進めながら聞いた。


「教えてほしい事があるの……」


 クーカは鹿目の持つ化学会社の社名を教えた。ヨハンセンがいくら調べても尻尾を出さない会社だ。


「東京湾に面していて最近建てた工場と施設一覧が欲しいわ……」


 今時なら会社のホームページに行けば詳細な情報は手に入る。

 しかし、様々な薬品を扱う工場は秘匿される事が多い。様々な薬品とは爆弾の材料や化学テロを起こせる薬品などだ。

 クーカは公安警察であれば全てを掌握していると考えていたのだ。


「貴女の『仕事』用なら出来ない相談よ?」


 藤井はこの程度の事なら自分で調べられるのではないかと訝しんだ。それに鹿目に対する調査順位は低い物だったのだ。


「鹿目が生物兵器を作っている可能性があると言ったらやってくれるの?」


 クーカは保安室が中々動かないので少し焦れていた。もちろん、そのような感情は顔には出さない。

 クーカにはクーカなりの思惑がある。先日のスーパーでの襲撃で確信していた。


(保安室には鹿目と通じている者がいるに違いない……)


 ヨハンセンが言っていた、保安室を見張っている不審な車が連絡役だと見ていた。そうでなければ、あのタイミングで自分を襲撃するのは変だからだ。

 ここで、保安室がいきなり鹿目の身辺調査を行えば、その通じている者を通して鹿目が知るに違いない。

 そうなれば鹿目も慌てて、目的の物を移動させようとするだろうと踏んでいるのだ。

 そこを奪取もしくは破壊しようとクーカは考えていた。


「え?」


 生物兵器の事を聴いて藤井がビックリした。予想もしていなかったのであろう。


「室長に了解を取らないと駄目かもしれない……」


 藤井が電話をかけだした。クーカはその様子を黙って見ている。


「あっ、室長。 ちょっと良いですか? 今、クーカちゃんが保安室に来てまして……」


 藤井が馴染みの友人が尋ねて来たかのように喋り出した。


「……」


 すると藤井が首を傾げた。


「……大丈夫ですか?」


 どうやら室長は驚きのあまり椅子から落ちてしまったようだ。


「室長はこちらに来るそうです……」


 電話を終えた藤井がクーカに告げた。クーカは黙って頷いていた。


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