第25話 玄関が存在する意味

 先島の自宅。


 警備部長にどやされた先島は家に帰って来ていた。


「取り敢えず謹慎させるとでも言っておくから休め」


 室長にそう言われたのだ。室長も警備部長の怒りは大して気にしていないようだった。保安室の面々は出世如きに興味は無いのだ。


「はい、分かりました。 自宅から会社にアクセスしてもよろしいですか?」


 別に反省している訳では無い。すこし、調べ物がしたかったのだ。


「ああ、構わんよ……」


 室長は藤井に連絡を入れておいてくれと、言い残して会社とは別の方向に向かって行った。自分の情報源に探りを入れに行ったに違いない。

 保安室の面々はそれぞれに別の情報源を持っている。

 共有すれば良さそうだが、全員が日本に好意的とは限らない。安全を図るために互いの情報源には触れないようにしているのだ。


 もっとも、室長は全員の情報源を知っているらしい。何も言わないのが証拠だった。

 先島はノートパソコンの電源を入れ、情報検索をしていると喉が渇いていたのを思い出した。


(コーヒーでも入れるか……)


 今日有った狙撃事件のあらましが藤井からメールで届けられていた。

 弾丸が発射されたのは宗田ビルから五百メートルほど離れた南ビルの女子トイレ。

 使われた弾は7.62mm。恐らくロシア製と思われるのでドラグノフライフルを使っている可能性がメモ書きされていた。


 対する射殺されたのは香港籍の中国人。『徐朋栄』との名前を使って入国したのは判明している。

 彼がどうやって武器を入手したのかは不明。政治的背景も不明。

 何故か女性物の鬘を被っていたが性癖によるものかは不明。


(不明。 不明。 不明のオンパレードだな……)


 彼に対する調査はこれからだろう。

 まだ、挽いたばかりなのに、コーヒーの豊潤な香りが立ち込めはじめた。


(そういえばクーカはコーヒーが好きだったな……)


 先島がコーヒー豆を挽きながらフッと笑った。


「コーヒーはブラックでお願いね……」


 ソファーの方から声が聞こえた。若い女性の声だ。

 姿は見えないがソファーの背から外套のフードに付いている耳が見えていた。


「……」


 先島は声がしたソファーでは無く窓を見た。少し空いてカーテンが揺れている。


「普通の家の玄関にはチャイムと言う物があってだね…………」


 ため息を付きながら言った。だが、途中で止めてしまった。虚しい抗議は辞める事にしたのだ。



 クーカはソファーにチョコンと座って居た。外套は着たままだ。


「狙撃手を始末してくれてありがとう……」


 先島はクーカの前にコーヒーを置きながら礼を言った。


「何の事かしら?」


 クーカが小首を傾げて聞いて来た。中身はアレだが見た目は愛らしい少女である。仕草が似合っていた。


「いや、そういうのは良いから……」


 先島は苦笑してしまった。お互いに分かっているが認める訳にはいかないのも困ったものだ。


「彼の名前は徐朋栄。中国籍だそうだ」


 先島はクーカの反応を見ながら言った。知っている人物なのかも知れないと思っていた。


「彼? 彼女じゃなくて?」


 クーカは『彼』という単語に反応した。やはり、狙撃手を見ていたのだ。


「狙撃手の特徴は報道されて無いから誰にも言わないようにね?」


 再び苦笑しながら言った。

 クーカが『彼女』と言ったのは『彼』が何故か長髪のカツラを被っていたからだろう。犯人が長髪のカツラを被っていたのは警察しか知らない情報だ。それを知っているのは犯人だけのはずだ。

 つまり、クーカは『彼』を見ていたと自白した事になる。


「……」


 クーカはしまったという顔をしてから首をすくめた。


(やっぱり、お前じゃんか……)


 あの遠距離狙撃を決めているのだから、手練れの狙撃手だろうなとは思っていたが案の定だった。

 それでも先島は逮捕する気には無かった。クーカにもそれは分かっているのだろう。

 だから、平気な顔して先島の部屋に遊びに来るのだ。


「……本当に中国籍なの?」


 クーカがちょっと考えてから聞いて来た。


「どういう事だ?」


 先島は妙な質問に訝しんでしまった。


「北安共和国の軍人の可能性が高いわ……」


 クーカはある程度は背後関係を知っているので推測したのだ。でも、その背後関係すべてを先島に説明するつもりは無かった。彼女は相棒のヨハンセンですら信用していない。


「あの国の兵隊にしては高価なライフルを使っていたぞ?」


 先島は藤井から届いた報告書を思い出しながら言った。


「レミントンのM700は金さえ出せば調達が容易だから使ったんでしょ」


 国民の生活は省みないが、武器には金を惜しまないのが北安共和国だった。


「ドラグノフは調達が難しいのか?」


 先島はもう少し鎌をかけてみる事にした。


「ええ、難しいわね…… てか、良く知ってるわね?」


 クーカは少し驚いた。弾種から特定されたとは思いもよらなかったようだ。


「君の化粧ポーチに入ってたのを見たんだよ」


 先島が笑いながら言った。もちろん冗談だ。


「入る訳無いでしょ!」


 クーカはそう言ってクスクス笑いだしてしまった。



「それで今日来たのは何の用だ?」


 ちょっとだけ、クーカが和んだようなので用件を聞く事にした。


「首相暗殺計画の全容……」


 今回の首相暗殺未遂は魔轟仏教の大崎が立案した。

 それは民人党幹事長の鹿目智津夫(かなめちずお)に対する警告なのだと説明した。


「ん? 何故に巨大宗教団体の教祖が政界の大物を脅すんだ?」


 先島が疑問に思うのも当然だった。お互いの立場があるのだから普通に頼み事すれば済むはずだ。


「後ろめたい事をやっているからと考えられないの?」


 クーカがさも当然の事のように言う。

 世界中の政財界の裏側を見て来たクーカには違和感は無かった。表立っては綺麗ごとを並べ立てるが、裏に回ると自分の利益確保に邁進する。きっと、人間と言う種の定めなのだろうと考えていた。


「魔轟仏教の大関。 民人党幹事長の鹿目。 この二人の関係を調べてみる事ね……」


 クーカはある程度は知っているが全てを話す事は無い。そんな義理は無いし自分の用事が優先したいからだ。用事は鹿目が所有している物。それが何処にあるのかを調べたかったのだ。


「その二人が『あの人たち』一派なのか?」


 先島が聞いた。以前の会話でクーカが話していた事だ。


「え? 『あの人たち』一派? 何それ…… 変な名前……」


 クーカが口を抑えている。笑いを堪えているようだ。


「おっさんの集団なんだ…… ネーミングのセンスは壊滅的に決まっているだろう」


 先島が憮然としている。そこまで受けるとは思ってなかったのだ。


「ヒントだけなのか?」


 どちらも政財界と大型宗教の大物だった。すこし、骨が折れそうだった。


「大人なんだから自分で探しなさい……」


 そういってクーカはクスリと笑った。


「どうして、そんな重要な情報を俺に寄越すんだ?」


 先島にもクーカの思惑は手に取るように分かる。

 公安が動いている事で相手を慌てさせ、隙をついて目的を達しようと言うのだろう。


「私は私で鹿目に用があるのよ」


 クーカはそう言った。顔は笑っているが目が笑っていない。


(鹿目は臓器移植を受けてるのか?)


 世界一の殺し屋は移植された臓器をコレクションしているというメモ書きを思い出していた。

 何故なのか聞いてみたい誘惑に駆られる。しかし、聞き出そうとしても答えないのも知っている。


「つまり、鹿目を探していると言う事なのか……」


 先島が尋ねた。クーカが『探す』というのは相手を『狩る』というのに等しい。


「お前さんの仕事の手伝いは立場上出来ないよ?」


 呆れたとでも言いたげに先島が答える。警察が殺し屋の手伝いなどは出来ない相談だ。


「そんな事は期待してないわ……」


 クーカが事も無げに言った。先島の考えは概ね当たっているが肝心の獲物が分からなかった。



「そう云えば覚えているかな?」


 先島は少し違う話題を振ってみようと考えた。


「何を?」


 クーカが尋ねる。


「多摩川上流の河原にある廃棄されたキャンプ場で何かを燃やしながら空を見てたろ?」


 先日、初めて遭遇した際のことを言い出した。そこで見た印象でクーカの事を日本に仇なす敵と見られないでいる。


「……」


 先島の目には今も泣き虫のクーカとしか映っていなかった。


「そうね、そんな事も有ったわね……」


 クーカが思い出すように言った。というか、すぐに分かったのだが質問の意図が分からなかったのだ。


「あれって何を見てたんだ?」


 先島がコーヒーを一口飲む。


「鳥を見てた……」


 クーカは窓から空を見上げながら答えた。


「鳥は風を見る事が出来るのよ」


 クーカが答える。彼女の話は抽象的な物が多いなと感じていた。


「そうなんだ」


 考えてみれば鳥は高度を上げるために上昇気流に乗る必要がある。風が見えているのだとすれば納得がいく。


「お日様に向かって両手を広げる」


 そう云えば、あの日も日に向かって両手を伸ばしていた気がした。


「……」


 何故、泣いていたのかを聞きたかったが止めにする事にした。


「人も風になる事が出来るんだよ?」


 クーカが先島の方を向いてきた。


「風?」


 先島が聞き直した。


「うん、初夏の風……」


 クーカも風になりたいのだろうかと考えた。地べたを歩き回るしか能の無い先島から見れば、驚異的な跳躍力で跳ねまわるおてんば娘の方が風に近いと考えてた。


「どうして?」


 季節限定の意味が分からなかった。


「芽吹いたばかりの若い緑葉の香りが指の間をすり抜けてゆくじゃない」


 外は緑が濃くなる季節を迎えつつあった。


「風になって誰も居ない空を飛び回るの…… 素敵じゃない?」


 そう言うとクーカはニッコリ笑っていた。


「とても、超一流の殺し屋のセリフとは思えないな」


 苦笑しながら先島が言う。


「……というかあ~、何で知ってる訳?」


 クーカが先島の顔を覗き込むように聞いて来た。殺し屋のくだりはスルーされたようだ。


「あの近くに門田実憂の家があってね、事情聴取で訪問した時に見かけたんだよ」


 クーカのキラキラした目に戸惑いながら答える先島。


「誰それ?」


 クーカが首を傾げてしまった。何度目かの質問なのだが覚える気はなさそうだった。


「君が工場で暴漢から救った女の子だよ」


 先島が答えた。


「ふーん……」


 クーカが興味無さそうに答えた。どうやら先島とのやり取りに飽きてきたようだ。


「元気ならそれで良いんじゃない?」


 それだけ言うとクーカはベランダに出て行った。そして、振り返らずに跳躍して去って行った。


「いや、玄関はアッチ………… もういいや……」


 先島は今回も肝心な事を言えなかった。もっとも人の話を聞きそうにも無いなとも思っていた。


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