第113話12月19日暮らしの中に喜びや楽しみを見つけることが正解だったんだよ だからキミらはこれから間違いを直そうね

体調がひどく落ち込む

立っていられないくらい全身が重くだるい

仕事終わりで買い物をし、帰宅

予定していたからあげカレーを食べ終わるや横になって寝てしまう

母からの電話にも気付かず


その後

電話をする

事務連絡と誰もこないという愚痴に終始する内容にイラだってしまう

事務連絡はともかく

誰もこない、と

来てくれない、はつらい

全身が一気に重くなる

そればかりはどうしてあげることもできない

面会名簿をみれば、他の入院者にくらべて訪問者は多い方なのだけど

もちろんそんなことは当人の思いの前では意味のない比較

それはよくわかる

それだけに何もいえない


精神安定剤のせいか

しゃべる内容がふわつく

ほぼ一日置きに行っているのに

8日に一回くらいしかこないと言い出したり

これまでになかったような勘違い、間違いを

勘違い、間違いだと指摘しても気付かないで言い通そうとする

安定剤のせい、認知症のせいとは言い切れない

そもそも認知症ではないのだし

とはいっても、そういった薬が引き金になることは自明


困った


楽しくわいわいだけじゃどうにもならない


持っているものは持っていないものを省みることはできない

体半分失った母の思いは誰にもわからない

母は、笑っていてもその多くの部分が

笑わせてくれる人への気遣いなんだ

それでも笑わせてくれているという思いが嬉しい

だからありがたい


ありがたいのだけど

こうなってしまったのだからこの状況を楽しむ

入院を楽しむ

にはならない事実もある

いつまでも泣きぬれていても仕方ないのも分かっている

でも、なんだよ

母は、持っていないモノになったんだ

暮らしを楽しむタイプではない

季節の行事を楽しむ

人生の行事を楽しむ

もちろんそういう部分もあるけれど

そこに主眼がなかった

そこに全力をつぎ込むことはなかった

ボランティアに精を出したり

仕事に打ち込んだり

子どもたちとの活動をがんばったり

スポーツ観戦したり

そこに全力だった

それが全部なくなった

感覚としては

あまりものとしての季節の行事

のこりものとしての人生の行事

を楽しむしかない

この、しかない、といういい方は俺も大嫌いなのだけど

それと本人、俺も含めて当事者の実感とは別物

俺がどんなにきらいでも

それがどんなに間違っていても

そう思うべきではないとしても

実感してしまうものを実感していないと言い切るのは違う

実感してしまうというのは、

それだけ

これまでのボランティアや仕事、活動、観戦が

大事だったからだ

だから

その実感をまちがいだといわれると

そう思うなといわれると

これまで夢中だったものへの思いは間違いなんだよ

季節や人生の行事に夢中になる、

暮らしの中に喜びや楽しみを見つけることが正解だったんだよ

だからキミらはこれから間違いを直そうね

と言われているのと同じ


そんなことないと言う人、いるよね

ひねくれやがって、だよね

理屈じゃわかるんだ

だから

どうにもならないんだよ


思う


を止めてくれよ


大事で夢中になってきたものが

なくなっていく実感に苦しむことが違うというなら

これまでの二十年、なんだったんだ

これまでの二十年、間違いだったね

そういうことなのか

だったらはっきりそう言えよ

とね


思う


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