第9話11月3日めまいがひどくなる

ちょっとまずいです

めまいがかなりひどくなってきてます

精神的に参ってます

この先のことを整理できないです

全くの展望が見えない状況で 現実で言うと母の介護が始まるということ これまで母がしてきた活動のほとんどすべてがなくなるということ これまで母と一緒にしてきた ほとんどのことが できなくなるということ

この辺りは分かっているのだけれども それを現実として受け入れていくのがあまりにも苦しく 厳しい現実を受け入れたとして それが 実際どのようになっていくのかがわからない

多大な苦労があるとして それがどういったものかも分からない

わからないのにかかわらず 何が辛いかって わからないにも関わらず 分かっていることがひとつだけあって 何一つ回復はしないという現実

それがもひたすら重い どんなにしんどくても多少 多少じゃだめだな ちゃんとそれなりに回復するのであれば また一緒に観戦に行ったり イベントをできるのであればいくらでも気合を入れることもできるけれども何もかも失った挙句ただ二人で漠然と漫然と生きるだけという状況が ただ続くのかと思うとその先が何もなく ひたすらしんどい

何よりもいつもならこういう苦しみ辛さを吐露していた母がいないというのは 何一つ何のはけ口もなくただただ自分が 抱え込むばかりでひたすら鬱々と 部屋で

もう対して笑えなくもなったYouTube の動画を見てみたり 全く気が乗らない気持ちも入らない 状態で作業的にギターを弄ってなんとなく気を紛らわすようとするばかり あまりにも苦しくて 何をどうしていいやらさえもわからない

そもそもしたいことがない俺はずっと母が楽しければいいやというスタンスで暮らしてきたから その おこぼれで 色々楽しませてもらってきたしそれでいいと思っていた

実際今もそれでいいとは思っている

ただ 母中心で暮らしてきた俺のメンタルは どうしてしまえばいいのかとウロウロウロウロとしてしまうばかりで何の形にもならない

こうしてグズグズとスマホの音声入力で自分の言いたいことを全部ぶちまけている ことで多少なりと気が紛れているのかもしれないけれども 後にこれを読み返して笑えることなどないわけ で

それでもどっかに何かをぶちまけないとそれこそ気が変になるぐらい 鬱になるぐらい 追い詰められている

インターネットの番組を観ることがが 救いになるかもしれない ただ見るだけじゃなくてコメントができる番組だけに 大きな気晴らしになってくれればと思う

ただそれでもひたすら祈るのは 母の回復以外になく それ以外のことは願うべくもなく じゃあどうすればいいといったって何もできないし 通うぐらいしかできないし

しゃべることも本当は辛くて どうしようどうしようと今も震えている

どうしよう これまで 俺が願ったことは本当に 一つなりと 叶わなかった

したいこともなりたいものも 欲しかったものも 好きだった人も 大切だった愛猫も 本当に全部 駄目だった 一生に一度ぐらい 願いが叶ってもいいと思うんだけど どうなんだろうか

とか言うと神様的にはおまえの願いはお母さんと一緒に楽しい日々を過ごすことだったんだろうと そういうことなんだろうなとも思う

そうなれば俺の願いというのは叶っているんだけど そういうことじゃないだろうと

俺の願いは最後まで楽しく過ごしたかった、それだけ

たとえば母が大好きな選手の試合を見ながらその会場で興奮のあまり事切れたのであれば、それも辛い話なんだけれども まだ まだ良かったなと

何もよくはないんだけど

それでもどこかで母は最高に楽しみながら最後を迎えたんだと納得させることができるんだけれどこんなね こんなね本当に 何もかも取り上げられた状態でさ

いきろって言われてる 母と その母と二人で何もかも元に戻らない日常で取り上げられたままで 生きる俺と それがあんなに楽しかった日々の最後なのかと思うと 最終回なのかと思うと結末なのかと思うと それもまたはただただ 苦しいです

どうしていいかわからない気持ちを持っていきようがない

何がね辛いって 人生の気晴らしってさあるじゃないですか

それのすべてが母と二人でなんですよ

最初は一緒に漫画を買いに行ったり ビデオを借りに行ったりしてた オペラを見たこともある そうやってね 親父が 不自由な身体を持て余して大暴れしている ときも 弟が家出した時も 例えば義理事が苦手な俺たちが 必死になって一つの義理事を 終わらせたり 日々の出来事を 乗り越えてきた

母も俺もボロボロになって 行ったんだけど その途中で出会ったのスポーツ観戦で 母が朝昨日の夜すごいものを見たと大興奮で報告してきた それがそのスポーツでその直後に観に行きその感動でただただしんどかった日々の暮らしを一切思い出すこともなく楽しめた2時間だったと 涙を流さんばかりに喜んだ母親を見て ただただ幸せだった

それから二人でひたすらそれを見る日々が始まった

それに救われそれに幸せにしてもらってきた

だからこれでもいいと言うね 話じゃないよね そのスポーツの観戦を辞める日は自分たちで決めたかったよね

話を元に戻すとさ だからなんだよ すがってきたものも気晴らしにしてきたものも本当にほとんど全てが母と二人で やってきたことだ その母が 参加できない のに どうしろって言うんだろう 一人でそれを観に行って俺は楽しめるのか 手話をやって 何が満足なのか

それらをひょいと取り上げられちゃったら もう 気晴らしをするとか 縋る とか そういうことができるものが何もなくなってしまう

ただの趣味では なかった そういうことなんだ 確かに俺には音楽になり歌なりがあるかもしれないけれど それは 気持ちが向いていなければ 形にできようのないものでたった一人ではできないもので そもそも誰のために 何をするかが大事で 一番聞かせたい母が聞いてくれないのであれば 何も 意味ないじゃん

だからもう空想や妄想で 現実逃避をしながら この先を ぐずぐずと 行くしかない 状態で どこに決着がつくのかが分からず ただただ下降していくしかない状況で、 どこまでおかしくならずに暮らしていけるか 分からない

頑張るというのは簡単だけど 頑張った先がないし ね

だからもうただ今は母にそれでも 頑張ったなと 頭を撫でてもらえるように

それだけを考えて 暮らそうかなと 思う

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