二十四 子衿(二)

 彼女は胸元の大きく開いた薄紅の上衣に緑のくんを身につけて、腕にまとった領布ひれをひらひらさせながら軽やかに部屋の真ん中までやってくると、舞い納めるように優雅にお辞儀をした。

 ふだんより着飾っているせいもあったが、以前にはなかった少し憂いを帯びた眉目が彼女をさらに女らしく美しくさせていた。

 仲麻呂は何度も瞬きをして、この状況を理解しようと努めているらしかった。吉麻呂よしまろはぽかんと口を開けていた。

 玄昉げんぼう弁正べんせいは一瞬目を丸くしたが、すぐにお互い目と目を見合わせた。彼女が何者か分かったようだった。

 真備まきびは、というと、ちらと元蘇蘇を見ただけで、そのあとはじっと真成まなりに視線を送っていた。

 真成はそんな視線に、おそらくは気づかないふりをしたまま、

「彼女は元蘇蘇さんです。『大唐西域記』などの書物を貸してくださったり、長安のことや西域のことを教えてくださったりと、いつも兄真備やわたしの学問のためにご協力くださっています。今日はわたしたちの弟が見事日本人として初めて京兆府試けいちょうふしに合格したことをお祝いに来てくださいました。蘇蘇さん、こちらが弟の朝衡ちょうこうです」

 元蘇蘇が挨拶すると、仲麻呂は目を輝かせて、

「あなたが元蘇蘇さんですね。わたくしは朝衡と申します。ずっとお会いしたいと思っておりました。洛水らくすいの女神(美人のたとえ)が長安に降り立ったのかと、わたくしは思わず息をするのも忘れてしまいました」

「お上手ね」

 蘇蘇はにこと笑った。

 と、いつの間にか戻ってきていた淑梅しゅくばいが夫の吉麻呂の元に駆け寄って、

「蘇蘇さんは真成さんの想い人なの? 結婚するご予定は? いつからお知り合いなの? お父さまは蘇蘇さんのことご存じだった? あなたは?」

「こら!」

 慌てて吉麻呂と弁正が袖で淑梅の口を塞いだ。

 玄昉がぷっと吹き出して、

「まだひとことも発してないのがいるな」

 みなが一斉に真備の方を見た。

 真備は、

「元蘇蘇さん、今日は弟のお祝いにわざわざ来てくださってありがとうございます」

と静かに言った。

 元蘇蘇は冷ややかな目で真備を見たが、何も言わないまま仲麻呂に向き直ってにっこり笑い、

「朝衡さま、碁はなさる?」

 朝衡こと仲麻呂はまた目をぱちぱちさせてから、

「はい、あまり強くはありませんが」

「わたしも少しは心得がありますの。どうかわたしとお手合わせ願えないかしら?」

「はい、喜んで」

「まあ、嬉しいわ。ねえ、朝衡さま。わたしとの勝負には何を賭けますの?」

 仲麻呂はこの問いに目を見開いた。

 弁正が渋い顔をして日本語で呟いた。

「なんて大胆な女だ。しかもこの女は、真備どのの女だろう?」

 玄昉が苦笑して、やはり日本語で、

「どうやら面白いことが始まりそうですな」

 

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