二十三 燈台姫(七)

 真成まなりは優しく仲麻呂に、

「どうだ、まだよく眠れないのか?」

「はい、以前よりは少し良くなったような気もしますが」

 真成は席を立ち、一旦部屋の外に出た。

 戻って来たとき、彼はひとりの乙女を連れていた。

 真成は満面の笑みで、

「弟よ、待たせたな。おまえの燈台姫とうだいきだ!」

 仲麻呂はまぶたを二、三度ぱちぱちさせたが、他に変わった様子もなく、いつもの落ち着き払った声で、

薛定閣せつていかくさまの宴でお見かけした方ですね。こうしてまたお会いできるとは、とても嬉しいです。と言っても、最近はよく夢であなたとお会いしていますが」

と微笑んだ。

 真成は燈台姫に座るように椅子を勧めてから仲麻呂に、

「それじゃあ、おれと真海まうみは先に帰るよ」

「真成兄さま、お待ちください。わたくしも一緒に帰ります。その前にこの方に少し質問させてください」

 仲麻呂は燈台姫に向き直り、なぜ彼女が日本の歌を知っているのかを尋ねた。

 彼女は後ろに立っている真成の方を振り返った。

 真成は恐がらずにすべて話して大丈夫だと彼女を励ました。

 燈台姫は小さな声で、薛定閣に教わった、歌えと言われたから歌ったと、それだけしか言わなかった。

 仲麻呂は彼女の答えを聞いてうなずき、

「お答えいただきありがとうございます。最後にわたくしからあなたにお願いがあるのです。もうわたくしの夢に出て来ないでいただきたい。よろしいですか?」

 燈台姫はまた真成の方をちらと見てから、黙って何度もうなずいた。

 仲麻呂はふう、と溜息をつくと、にこっと笑って、

「ありがとうございます。今日はお会いできて本当によかった。今夜からはよく眠れそうです。真成兄さま、お待たせしました」

 仲麻呂は立ち上がった。

 真成は慌てて、

「ええと、先に出ててくれ」

 部屋を出て行く仲麻呂のあとに続いていた吉麻呂が振り返り、真成に向かって呟いた。

「な? やっぱりよく分かんねえだろ?」

 麻呂麻呂二人組の背中を見送ったあと、真成は黙って椅子に座り卓に頬杖をつき、眉間に皺を寄せて目をつむった。

 金仁範きんじんぱんがそうっと部屋の中に入ってきた。

 彼はずっと隣の部屋に控えていたのだったが、静まり返った室内を見回すと溜息をついて、

「さて、このあとどうする?」

 真成は片目だけ開けて、

「すまないが金仁範、彼女はもう連れ帰ってくれ。彼女の今後のことも頼む。おれはなんだか疲れた。帰る。じゃあな……え?」

 立ち上がった真成の視線をわたしが追うと、彼の袖を燈台姫がうつむいたままぎゅっと掴んでいた。

 真成はすがるような目で金仁範を見て、

「金仁範、おれはいま非常に困っている」

「ああ、任せろ。おれは困り事何でも解決屋だ」

 金仁範は苦笑して、真成の袖から燈台姫の指を一本ずつ優しく剥がしていった。

 

 仲麻呂が京兆府試けいちょうふしに合格したとの知らせを聞いてからしばらくして、薛定閣が屋敷の中で自らの喉に毒矢を突き刺して死んだという噂が長安の街に流れた。

 だがその噂もひと月もすると、もう誰も口にしなくなったのだった。


    

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