二十三 燈台姫(四)

 真成まなりとわたしは顔を見合わせた。

 真成は真備まきびに詰め寄って、

「えっ、分かるのか!? 本当に!?」

「はい」

「じゃあ、その答えというのは?」

「それはせつのところで言いましょう。ここで答えたところで正解かどうか判断できませんから。玄昉げんぼう、あなたも分かったようですね」

 玄昉は頭を撫でながら笑って、

「ああ。どうもこの問いは、学生よりも学僧向けのように思うな」

 真成は二人の顔を交互に見て、

「二人とも本当なのか? それに兄さまが薛の屋敷に行くって? 仲麻呂に教えてやるんじゃないのか?」

「仲麻呂には行かせません。危険ですし、それにわたしたちは彼に借りがあって、まだその借りを返していません。この件で返しましょう。玄昉、あなたも答え合わせをしに行きますか?」

「もちろんだ」

 数日後、金仁範きんじんぱん朝衡ちょうこうの名で薛定閣せつていかくと会う約束をとりつけ、真備と玄昉が薛の屋敷に入った。わたしは金仁範が用意した宝石や胡の器などの贈り物を持つ係として二人のあとについて行った。真成と金仁範は不測の事態に備えて屋敷の外で待機した。

 金仁範は長剣を隠し持ち、目をぎらぎらさせて、

「何かあればすぐ大声を出せ。あいつをぶっ殺してやる」

 玄昉は苦笑いして、

「拙僧の前で殺生はやめていただきたいものだ。だがまあ、そう息巻くな。何も起きないはずだから」

 薛定閣は日本人留学生、留学僧、わたしの三人を機嫌良く迎えてくれた。

 薛はわたしが思っていたよりずっと優しげだった。背は高くなく体は痩せていて眉も髪もすべて白くなっていたが、皺は少なく、涼しげな目元にすっと通った鼻筋で、若い頃はきっとさぞかし男前だったのだろうと思われた。歩く姿も話し方もとても優雅だった。

 家の中に入ると、挨拶もそこそこに玄昉はいきなり口の端をにやりと上げた笑みを浮かべて、

「薛さまに申し上げます。薛さまは我々が今日ここに来た本当のわけをご存じでしょう」

 薛定閣はふん、と鼻で笑って、

「なんと無礼なやつだろう。だが、まあよい。続けよ」

「ありがとうございます。我々日本人の留学生仲間の朝衡は、先日こちらでの宴でひとりの美しい燈台姫とうだいきに出会い、彼女を想っては夜も眠れないありさま。このままでは大事な科挙受験も危うい。仲間である我々は彼を助けてやりたい。ですのでどうかその燈台姫を我々にお譲りいただきたいのです」

 薛は目を丸くした。

 彼はふふふと笑い出して、

「何を言い出すのかと思えば。うちの下女を身請けしたい? ふふ、そんなことでわざわざやって来たのか。よろしい、やってもよいが、さすがにただでは渡せぬぞ。しかしなぜ朝衡自身がやって来ない?」

「正直に申し上げます。実は彼は憂悶のあまり机に向かおうともせず、いまでは部屋から出ることも無くなってしまいました。我々がこうして無礼を承知でお願いに参ったのは、一刻を争う事態だからです」

 薛定閣の顔に一瞬だが喜びが走ったのが分かった。

 だが薛はすぐに悲しそうな表情をして、

「それは気の毒なことだ。わしとしても朝衡を助けてやりたい。身請け金はそれか?」

 薛はわたしが捧げ持っている箱を指差した。

 玄昉はわたしに箱の蓋を開けさせ、中身を薛に見せると合掌した。

「どうぞお許しください。つましい留学生、留学僧の身ではこれしか用意できませんでした。情け深き薛さまにおかれては、我々の仲間を思う心に免じてこれで燈台姫をお譲りくださいますよう、どうかこの通りに、薛さま、どうか」

 薛定閣は笑い出した。

「はっはっは。なんと哀れな。貧しく小さい国には本当に生まれたくないものだ。少なすぎるが、わしとて人の世の情けを知らぬわけではない。その箱の中身はもらうが、もうひとつ、おまえたちがあの燈台姫を得るにふさわしいか試験を課す。いまから出すわしの問いに上手く答えられなければ、燈台姫は決して渡さぬ。よいか」

 玄昉は隣にいてまだひとことも発していない真備に目で合図した。

 真備はうなずいた。

 玄昉も真っ直ぐに薛定閣に向き直り、うなずいた。

「はい、お願いいたします」 

 薛定閣は家人を呼んだ。

 呼ばれた下男たちは大きな朱い箱を持ってきた。箱には金色の美しい花模様が描かれていた。

 下男たちは箱を机の上に静かに置いた。

 薛は箱を撫で、少し笑みを浮かべて言った。

「この箱の中にはさらに小さな箱が入っていて、その中にはわしの猫が入っている。いたずら好きな猫でな、昨晩わしの大事にしているぎょくの置物を割ってしまった。わしは罰として猫を箱に入れ、その箱をさらに大きなこの朱い箱に入れた。猫の箱には小さな穴が開いている。穴に向かっては小さな弓矢が用意されている。矢は毒矢だ。弓には紐がついていて、紐の先端は桃の汁が入った皿にわずかに浸されている。大きな箱の方には蠅が一匹入っていて、この蠅が桃の汁を飲み、紐が皿から滑り落ちれば弓が引かれ矢が発射され、猫を射殺す」

 それは金仁範が話してくれた「奇妙な問い」そのものだった。

「さあ、答えよ。この猫はいま生きているか、死んでいるか」

 わたしはいくら考えてもこの問いの答えをどちらかに決めることができなかった。

 蠅が桃の汁を飲んでも、紐は落ちないかもしれない。矢が発射されても、猫が身をよじって避けるかもしれない。その前に箱に閉じ込められた猫は息苦しくて死んでいるかもしれない……。

「まずはおまえからだ」

 薛定閣は真備を指差した。

 真備は一礼すると、

「申し上げます。わたしの答えはこうです。その猫はいまの段階では〝生きている〟」

「ふっ、〝生きている〟、だな?」

「はい。と同時に〝死んでいる〟」

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