二十二 いたずら鞠(三)
「
「
真備は不機嫌そうだったが、声は柔らかく、
「お役に立てたようで何よりです」
崔温嬌はきらと目を輝かせて、視線を真備の顔に留めた。
「あなたにお礼がしたいのです。何か欲しいものを言ってください」
「いいえ、それは金仁範におっしゃってください」
金仁範が真備の肩を叩いた。
「おれはおれでそれなりの報酬をもらったから、おまえの欲しいものを言え」
真備が考え込むと、崔温嬌がまた口を開いた。
彼女はもじもじしながら真備に、
「わたくし、金仁範から今回の作戦に日本人が関わることを聞いて、日本のことを調べました。あなたがた日本人留学生は二十年も長安で過ごすのですね。大変でしょう。わたくしの父は元
「お父上は今回のことで日本人を嫌いになったのでは?」
「いいえ、驚いて腰は抜かしましたけど、あなたの態度は立派だったと感心していました……わたくしもそう思います」
崔温嬌は少し横を向いた。その頬は赤かった。
真備は不思議そうにその横顔を見つめながら、
「崔お嬢さま、ではお願いがございます」
崔温嬌は真備の方に向き直り、
「何でしょう」
「わたしの弟が
崔温嬌は目を丸くしたが、うなずいて、
「分かりました。必ず父にそうするようにと伝えます。わたくしこのお約束は守ります。ただ……あなた自身のことはいいのですか?」
金仁範が真備の耳に囁いた。
「彼女はおまえに何かあげたいんだよ。いい加減分かってやれ」
「でも他に何も思いつきません」
金仁範は苦笑して崔温嬌に、
「お嬢さま、真備が遠慮しているので、彼の願いをわたしから申し上げます。実は真備は買い集めた書物が増えていまの宿舎の部屋が書物で埋め尽くされてしまい、寝る場所もないありさまです。もう少し広い部屋を借りたいそうなのですが、お力を貸していただけますでしょうか」
崔温嬌はやっと微笑んで、
「はい、もちろんです。すぐにお部屋をご用意いたします。あなたがた日本人留学生が、この長安で長い年月を平穏無事に過ごされること、わたくしは心から願っています」
崔温嬌が帰ると、真備は眉をひそめて金仁範に、
「なぜあんな勝手なことを言ったんです?」
「おまえのためじゃない。彼女のためさ。彼女がおまえに会いに来やすいようにするためさ」
「それはまずいでしょう。彼女はこれから結婚して人妻になるひとです」
「でも部屋が狭いのは本当なんだから引っ越せるのはよかっただろ? あの小便壺ももう捨てろよ? それに彼女が父親に便宜を図らせることもできると言ったんだ。おまえや朝衡のためだけでなく、他の日本人のためにもあの娘とは繋がりを持っておくべきだ。といって頻繁に会いに来られて妙な噂が立つのはお互いによくない。おれが上手く繋がりを保っておくためのいい言葉を教えてやるから覚えておけ」
金仁範は真備の耳に何事かを囁いた。
真備の表情は一気に曇り、
「……わたしがそれを上手く言えると思いますか?」
金仁範は腕を高く上げて伸びをして、
「さて、ひとまずこれで貸し借り無しとしよう。しかし、おまえたち日本人といると面白いことがたくさんあるな。退屈しないよ」
真備はぽつりと呟いた。
「それはよかったです」
崔温嬌が用意したのはこじんまりとはしているが、なかなか造りの頑丈な立派な一軒家だった。場所はいままでと同じ
真備は
彼は真備にわたしを連れて行くように言った。
わたしはやっぱり真成に避けられていると思って悲しくなった。
この家には飯炊き係の下女までついていた。五十代とも、六十代とも見える小柄で顔がしわしわの下女は姓を
わたしはこの孫婆さんと二人で庭に畑を作り、豆を植えたりした。鶏も飼った。
真備が一軒家暮らしを始めると、誰に聞いたのか、突然
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます