二十 義兄弟(七)

 目を覚ましたのは夜明け前。

 の字三人組は元蘇蘇げんそそに叩き起こされたのだった。

 いつの間にか真備まきびは部屋に戻ってきていて、彼が一番ぐずぐずして起きられなかった。

 真成まなりはわたしを見てびっくりして、

真海まうみ、どうした? 顔が腫れているぞ?」

 彼が本当に心配しているので、あなたが殴ったからです、とは言えなかった。長椅子から床に落ちたのだと答えた。

 起きたはいいものの、ふらふらして足元の覚束ないわたしたちを見て元蘇蘇は呆れ、下男に荷車を用意させた。

 そして有無を言わせずわたしたちを荷台に横にならせて、上からむしろを被せた。

 元蘇蘇はふん、と鼻を鳴らした。

「あなたたち、よくお似合いよ! じゃあね!」

 牛がく荷車はゆっくりゆっくりと朝の通りを進んだ。

 車輪が石に乗り上げ荷台ががたんと揺れ、わたしは途端に気持ち悪くなって地面に向かって吐いてしまった。隣の真成もつられて吐いた。

 真成が呟いた。

「ああ、本当に馬鹿をやっているな」

 筵のあいだから差し込んだ朝日が眩しかった。

 突然、牛車が止まった。

 長安の街を警備する兵に怪しまれたのだ。

 筵を剥がされてたちまち見つかったわたしたちは、そのまま役所へと連行された。

 役人とともにそこで待っていたのは、なんと弁正べんせい玄昉げんぼう金仁範きんじんぱん、そして羽栗吉麻呂はぐりのよしまろの四人だった。

 驚くわたしたち三人を恐い顔で一瞥した弁正は、役人に向かってうやうやしく一礼した。

「確かに、いなくなった日本人留学生、井真成せいしんせいです。捜索していただきありがとうございました」

 役人はうなずいた。やりとりはそれだけだった。

 すぐにわたしたちは役所の外へと出た。そのままみなで弁正の屋敷へ行った。

 弁正は深い溜息をつくと、鋭い視線で真成を射て、金仁範がいるからか唐語で、

「井真成がいなくなったと聞き、わたしはすぐに詳細を知るために崇義坊すうぎぼうの宿舎に行きました。そこで井真成の友人、張進志ちょうしんしに会いました。彼の顔を見て驚いたわたしは井真成が思い詰めて死を選ぶのではないかと慌て、在唐十七年のあいだ一度も使ったことの無かった伝家の宝剣を抜きました。どんな剣だと思いますか?」

 真成と真備はちらと目を合わせたが、二人とも首を横に振った。

 弁正はさらに目つきをきつくして、

皇上こうじょうに助けを求めたのです」

 真成は息を呑んだ。

 弁正は続けた。

「皇帝陛下はわたしと碁をするたびに、何か困ったことが起きたら遠慮せず申せとおっしゃってくださいました。ですがわたしはおそれ多くてこれまで一度もそのご厚情に自分からすがったことはありませんでした。今回が本当に初めてです。そして最後です。分かりますね? 井真成」

「……はい、もちろんです。もう二度とこのような騒ぎを起こしたりはいたしません」

「よろしい。ではどこにいて、何をしていたかまず話していただきましょう」

 真成はぽつぽつと語り出した。

 夜のうちに宿舎を抜け出して、夜警の目をかいくぐりながら崇義坊をふらふらとしていたこと。

 朝鼓が鳴り、坊門が開いてからは、思いつくままいろいろな坊を巡り歩いていたこと。

 気がつくと醴泉寺れいせんじにいたこと。

 そこでわたしと真備に見つけられたこと。

 胡物商の元淼げんびょうの屋敷に泊めてもらったこと。

 そこにいた胡人に酒を振る舞われたこと。

 弁正はまた溜息をついて、

「なるほど、だからそんなに酒臭いのですね。しかし、むしろくるまれて帰ってくるとは。元淼というひとは悪い冗談が好きなようだ」

 玄昉がふっ、と笑った。

 弁正は見とがめて、

「何だ」

「いえ、何も」

「何も無いのにこんな状況で笑えるか。言え」

「では、それは真備に尋ねてください」

 弁正は鋭い視線を今度は真備に向けた。

 真備は玄昉を睨みつけ、ぽつんと呟いた。

「相殺したのに」

「何をです?」

 弁正は聞き逃さなかった。

 真備は観念したのかさらりと言った。

「筵を被せたのは元淼の娘です」

 弁正は目を丸くした。金仁範はにやりと笑った。吉麻呂は舌打ちをした。

 言葉を失っている弁正に代わって今度は金仁範が、

「そうか、少し前に崇義坊の学生宿舎に現れたと噂になった、胡の血が入った絶世の美女のことだな」

 弁正は腕組みをして唸った。

「ううむ、なるほど。わたしはあなたがたを心配し過ぎていたようだ。長安に来てまだ半年ぐらいだが、その胡姫といい、ここにいらっしゃる新羅人しらぎじんの金仁範どのとの親交といい、もうずいぶんとこの大都長安になじんでいるようですな。安心した」

 それまで黙っていた吉麻呂がまた舌打ちして、

「弁正さま、こいつらにこちらであったことも話してください」

 弁正はうなずき、

「そうだった、それも大事だった。張進志の顔を見て、彼がもう科挙を受けられないことが分かったわたしは、日本人として彼に何か償いをしたいと思った。それで何かあったときは皇上に取り次ぎをしてくれることになっていた高官の屋敷に彼も連れて行った。もうひとり、皇上に会わせたい人物がいた。それはもちろん、朝衡ちょうこうです。わたしは朝衡のところに使者をやって、彼を高官の屋敷に呼び寄せたのですが、何に一番驚いたかといえば朝衡が井真成の失踪について何も知らされていなかったことにでした。彼自身もとても驚き、悲嘆に暮れていました。真備しんび、朝衡に井真成失踪を教えなかったのはなぜですか?」

 真備は静かに答えた。

「それはやはり、彼に心配をかけたくなかったからです」

「ほざくな!」

 吉麻呂が叫んで飛び出し真備を殴った。

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