二十 義兄弟(五)

 真備まきびは恐い顔をしていた。ゆっくりと真成まなりに近づいて来た。

 真成も真備を睨みつけていた。

 真成が口を開けたとき、真備は真成に走り寄って彼を抱きしめた。

 長い体を屈めて、真成の肩に顔を埋めた。

 真成はぎゅっと目をつむり、声を絞り出すように、

「兄さま、すまない。心配かけて。でもどうしようもなかったんだ。もうどうしたらいいか、自分でも分からなくなってしまったんだ」

 真備が鼻をすする音が聞こえた。

 真成は目を開けて、

「兄さま、おれはもうこれ以上兄さまにも張進志ちょうしんしにも迷惑をかけたくない。教えてくれ。おれはどうしたらいい?」

「……いや、きみのしたことは間違っていない。びっくりしましたが、これでいいのです。やりたいようにやればいいんです。きみには、きみにしかできないことがあります」

 真備は顔を上げないまま続けた。

「きみは真面目すぎる。張進志を殴った唐人学生に、出家しろと言われたそうですね」

「どうしてそれを?」

「その唐人学生がわざわざわたしに教えに来てくれました。井真成せいしんせいの行方を捜すなら、寺を当たれと。きみは本当に出家するつもりで醴泉寺れいせんじに?」

「いや、それは違う。おれはあちこちをふらふらしていた。気がつくと醴泉寺にいた。そしたらいつの間にか真海が来ていた。おれのしたことが間違っていないって、なぜそう思う?」

 真備はようやく真成の肩から顔を上げた。

「実はきみを探すため、金仁範きんじんぱんに助けを求めました。彼は今回のようなことを唐人学生と新羅しらぎ人学生のあいだで何度か目の当たりにしているのだそうです。彼曰く、わたしたちは日本の代表として唐へやって来たが、この長安では所詮ただの田舎者だと。わたしたちが思っているほど、わたしたちのことを誰も気にかけていないと。唐人学生の興味もきっといまだけだ、だからいちいち真に受けずにこちらの好きにやればいい、思いっきり馬鹿をやればいいんだと」

「でもそれでは張進志に償えない」

「彼に償いたいのなら、彼の言うとおり四門学しもんがくで学問を続けるべきです。しかし張進志もまた真面目すぎる。これからは彼にも一緒に馬鹿をやってもらいましょう」

「どうやって?」

「それはわたしにもよく分かりません。わたしもひとからは真面目と言われるたちなので。それも金仁範に教わりましょう。しかしいまからでは暮鼓ぼこが鳴り終えるまでに彼のところにも、崇義坊すうぎぼうにも戻りきれない。どうしたものか」

 真成は真備の目を覗き込んで、

「兄さま、おれがいなくなったことを仲麻呂にも言ったのか?」

「いいえ、科挙に向かって猛学習している彼には心配をかけたくなかったので言っていません。弁正べんせいさまと玄昉げんぼうには言いました。二人にはきみが醴泉寺で見つかったことは金仁範から伝わっているはずですから、いまはひと安心していることでしょう。もちろん張進志にも伝えてあります」

「弁正さまにも心配をかけてしまったか……本当に馬鹿なことをした」

「ですから、それでいいのです。あっ」 

「兄さま、どうしたんだ?」

「この近くにひとり、馬鹿を教えてくれそうなひとがいました。行ってみましょう」

 真備が早足で歩き出したので、慌てて真成とわたしはあとを追いかけた。

 真備が向かったのはかなり立派な屋敷の前だった。

 真備は勢いよく門を叩いた。

 門番がのっそり顔を出した。

 大柄な門番は真備の顔を見るとにやにやして、

「おや、あんた前にも来たね。お嬢さんに用かい?」

「はい。取り次いでもらえますか?」

「いいよ、待ってな」

 門番は引っ込んだ。

 暮鼓が鳴り始めた。門が再び開いた。

 現れたのは先ほどの門番……ではなく、あの楚腰そようの胡女、元蘇蘇げんそそだった。

 真成は目を丸くした。

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