二十 義兄弟(一)

 玄昉げんぼうが借りなかった『大唐西域記だいとうさいいきき』は真成まなりが借りて読み始めた。

 彼は西域に興味が湧いたようで、張進志ちょうしんしと二人で西市にもよく行くようになった。

 四門学しもんがくでの真成の成績は良かった。

 それが面白くない一部の唐人学生たちが彼を無視するようになった。

 さらには真成まなりと仲の良い張進志ちょうしんしまで仲間外れにし始めたのだった。

 真成は張進志に、

「おれのことできみときみの祖国の者たちとのあいだに溝を作りたくはない。それにきみはこれから科挙を受ける身だ。学業以外のことできみを煩わせたくない。もうおれとは口をきかなくていいよ」

 張進志は笑って、

井真成せいしんせい、何を言うんだ。きみはおれをこんなことで友を捨てるような男だと思っているのか? 気にするな、あんな連中のことは。きみは何も悪くないし、もちろんおれもだ」

 だがある日とうとう宿舎の食堂で事件が起きた。わたしはその場にいなかったが、真成があとで教えてくれた。

 真成と張進志が話していると、その様子を見てある唐人学生が周りの学生たちに向かって言った。

「まったくみっともないな、大唐の男たる者が、あんな小国のやつに媚を売るとは」

 張進志はきっ、と発言した学生を睨みつけ、

「おれは媚など売っていない。おれは井真成の人となりが立派だから彼と友になったのだ」

「さあ、どうだか。日本人留学生は皇上こうじょうから目をかけられていて、皇上は日本人が不便をしないよう各所に便宜を図れと命を出したらしいぞ。おまえ、その日本人のおこぼれにあずかりたいんだろ? 科挙に受かるよう口をきいてほしいんだろ?」

 この言葉に周りの学生たちの何人かが薄ら笑った。

「そんなことは断じてない!」

 激怒した張進志は彼らの目の前に立ち、

「いい加減にしろ! まったく男のくせにねちねちひがむとは、それこそみっともなくて聞いておれぬ。性相近せいあいいかし、習い相遠あいとおし(註六)。彼とおまえたちとはもともと持っている能力は同じなのにこうも成績に差がついたのは、とりもなおさずおまえたちが努力を怠ったからではないか。そもそも彼は唐語を覚えるところから始めたのだ。生まれたときから唐語を知るおまえたちが、どうして彼よりも唐語で書かれた物を理解できんのだ。同じ唐人学生として恥ずかしい限りだ」

「なんだと、偉そうに! しょくの田舎者が身のほどもわきまえず都に出てきて誰にも相手にされず、寂しいからと日本みたいな小国にすり寄るとは。おまえなんかと同じ四門学学生と言われるこっちこそ恥ずかしい限りだ、なあ、そう思わないか?」

 唐人学生は自分の周りの学生たちに同意を求めた。やはり数人がうなずいた。

 彼らの反応に気が大きくなったのか、唐人学生はにやりと笑い、張進志を見下ろすように背筋を伸ばし腕組みをして、

「ここで騒ぎは起こしたくない。張進志、表に出ろ」

「望むところだ」

 張進志は出て行こうとした。真成は彼を引き留めた。

「待て、張進志。これはおれと彼らとの問題だ。おれが行く」

 張進志は首を横に振って真成の手を剥がした。

「いや、違う。これまでも彼らの言動には腹が立っていた。これはおれの問題だ、井真成。きみはついて来るな」

 張進志と数人の唐人学生たちが宿舎の門を出た。

 真成は張進志の部屋で帰りを待った。

 喧嘩相手の唐人学生たちが早々に帰ってきたのに、張進志は姿をなかなか現さなかった。

 暮鼓ぼこが鳴り始めると真成とわたしは門の前に立って彼を待った。

 暮鼓がもう鳴り終えそうになって、やっと張進志は帰ってきた。うつむき、袖で顔を隠しながら歩いていた。

「張進志!」

 真成は彼に駆け寄った。

 はっと、張進志は顔を上げた。

 彼の顔を見て、真成は息を飲んだ。

 張進志の左の頬にはまるで「三」の字のように、切り傷が三つ深く刻まれていた。

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