十一 蘇州(二)

 遣唐使船のそばへやって来る小舟はどんどん増えていった。食い物や水、酒、衣服。ありとあらゆる物を売りに来た。

 中には布で覆われた大きな荷物を載せている舟があって、その舟主が、

「みなさんに一番必要なものを持ってきましたよ! ご覧あれ、早い者勝ちだよ!」

と言って布をめくると、そこには二人の若い女がつまらなそうな顔で身を寄せ合って座っていた。

 すると船中の男たちが、

「女だ! 唐の女だ!」

「若い女だ!」

「女? どけ、見えないぞ!」

と一斉に集まってきたものだから、遣唐使船は本当に少し傾いてしまった。

 副使藤原宇合ふじわらのうまかいが飛んできて、

「こら! 散れ、散らぬか! 水や食い物は買ってもよいが、何者も船に乗せてはならぬし、下りてもならぬ!」

 興奮冷めやらぬ男たちは名残惜しそうにのろのろと各々おのおのの持ち場に戻っていった。

 玄昉げんぼうが笑いを噛み殺しながら、

傾国けいこく傾城けいせいという言葉は聞いたことがあるが、傾船けいせんというのもあるのだなあ」

 つばさくん、かけるくん、傾国傾城というのはね、一国の主がその女のために国政をおろそかにしてしまうほどの魅力のある美人という意味だよ。

 そんな騒ぎも落ち着いたころ、また一艘の小舟が近づいてきた。

 舟の上の男二人は手を振って、

「おおーい、おーい! 日本国の遣唐使たち! おれたちも遣唐使だあ!」

 それは日本語だった。

 また宇合が飛んできて、

「おまえたちはどの船の者だ?」

「おれたちは十五年前に派遣された坂合部大分さかいべのおおきだ大使さまの船の者です!」

「では大宝たいほうの遣唐使であるな?」

「はい! おれたちは帰国の際に嵐に遭って船が壊れ、また蘇州に戻ってきたんです。そのあと船を直して何度か帰国しようとしましたが、全部失敗しました。大使は長安にいます。おれたちはここで十四年ものあいだ次の遣唐使船が来るのをずっと待っていたんです!」

 大宝の遣唐使というのはね、大宝二年(七〇二年)に日本を出発した遣唐使のことだよ。

 遣唐使船から歓声が上がった。

「十四年、よく頑張ったな!」

「今度はおれたちとともに日本へ帰ろう!」

 小舟の大宝の遣唐使たちは涙を流しながら千切れんばかりに手を振って帰って行った。

 異国の地での故郷の仲間との再会で、わたしたちの船に活気が戻った。

 だがそれもすぐに消えていった。数日経っても入国許可は下りないし、他の三船の消息も分からないままだったからだ。

 遣唐使船の中には苛立ちがくすぶり始めた。副使宇合も不機嫌だった。

 そんな彼の前に玄昉が進み出て、

「副使さま、わたしに試みたいことがございます。どうかお許しいただきたい」

 宇合はうなずいた。

 玄昉はその日も来ていた物売りの舟に向かって叫んだ。

「誰か琴を持って来てくれぬか? できるだけ上等な琴をだ。少しのあいだ借りたいのだ」

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