第55話

亀一が来たので、寅彦はやっと本題に入り始めた。


「昔、加奈ちゃんは組長の部下だったそうなんだ。情報官として。

んで、2人は付き合いだし、婚約までして、来月結婚式って時、うちの親父が仕事絡みでフランスに行った。

実は、親父は加奈ちゃんと大学時代に付き合っていて、組長と付き合うまで、ちゃんとは別れてなかったらしいんだけど。

でも、まあ、その時はもうとっくに別れてた訳だよ。加奈ちゃん、はっきり言えねえから、別れてって言えなかっただけらしい。」


「龍、ここまで大丈夫か。」


亀一に確認され、頷く。


「で、そん時、うちの親父は、両親を飛行機事故で亡くしたばっかで、すげえ落ち込んでたのと、まだ加奈ちゃんに未練があったのとで、慰める加奈ちゃんを押し倒してしまったらしい。

加奈ちゃんは親父が可哀想で、またはっきり言えねえ悪い癖も出て、拒否出来ずって、これ、強姦だろう!?」


頷く2人の少年。

所詮中学生なので、こんなもんである。


「で、運悪く俺達が出来ちまった。

しかし、親父も押し倒した後で、加奈ちゃんが、本当は嫌だった事が分かり、しまったと思ったそうだ。

謝って、もう2度と近付かないと誓って帰国したんだが、式の前日になって、加奈ちゃんは身体の異変を感じて病院行ったら、俺達が腹の中に居たと。

で、正直に組長に話したところ、組長は、加奈ちゃんが親父に心変わりしてしまったと思ったらしい。

親父のところに行けと、婚約解消したと、こういう訳だよ。」


亀一が考えながら言った。


「つまり加奈ちゃんは、お前の親父に強姦されたとは言わなかったんだな…。ああ、そっか、言ったら殺しに行っちまいそうだもんな。京極さんて…。俺だってそうするだろうし。」


「うん…。俺もそうすると思う。俺が聞いたのはこんだけ。」


寅彦は鸞を諦めると言いつつも、とても暗い顔をしている。

自分の出生の秘密が、父親が母親を強姦したというのもショックだろうし、真面目なだけに、京極に対して申し訳ないと思ってしまうのだろう。

龍介は、そんな寅彦を心配そうに見つめながら言った。


「でも、だからって、寅が鸞ちゃん諦める事はねえと思うけどな。お父さんや母さんが言ってた通りだと思うぜ?京極さんて人は。」


「俺もそう思うぜ?」


亀一も言うが、寅彦は激しく首を横に振り、自分自身に言い聞かせる様に言った。


「いや、ダメだ!いかん!」


そして、2人がかりで止めるのを振り切って、鸞に別れるとメールしてしまった。


「寅早まるなってえ!」


亀一が止め、龍介も止める。


「そうだよ!お前そうやっていつも頭でだけ考えて行動して、気持ちが付いて行かなくて、落ち込むじゃ…。」


言ってるそばから、部屋の隅で膝を抱えて、負のオーラ全開で落ち込み出してしまった。


「ほらあ…。」


そこへしずかがジュースとおやつを持って来て、固まってしまった。


「と、寅ちゃんまた…。どしたの…。」


亀一が困り果てた顔で答える。


「鸞ちゃんに別れるってメールしちまったんだよ…。止めたのに…。」


「また早まっちゃったのね…。男らしいんだか、男らしくないんだか…。じゃあ、私が全部の経緯話すわ。やっちゃんにも伝えとく。」


「俺も聞きたい。お袋に聞いたけど、今寅が話してくれた内容しか知らねえんだ。あの人。」


「うん。優子ちゃんは警察庁だったから、加奈ちゃんとは母親同士になってからのお付き合いだから、そうだと思う。」


しずかは、京極にメールした後、昔話を始めた。




凡そ17年前の1997年。京極は面倒臭そうに、パリにある事務所からドゴール空港に車を走らせていた。


今日は、病気で泣く泣く辞めた情報官の代わりが来るので、その迎えに出たのだった。


京極にはよく分からないが、京極のチームに入った人間は、直ぐに根を上げて辞めるか、居座るかのどちらかだ。

結束力も固い。


だからこそ、京極は、女性では無く、男性を希望した。


京極本人は女性が苦手な訳ではない。

寧ろ得意な方かもしれない。

顔の良さとルックスの格好良さを最大限に自覚して、生かしているので、女性の扱いに困った事はないし、大抵の女性は一発で落とせる。


しかし、チームのメンバーとなると、話は変わって来る。


女性が入ると、便利な面もあるが、大体は恋愛問題が起きて、ゴタゴタする。

どうしても男性ばかりなので、当たり前の事ではあるが、よそのチームでは、それがこじれて、チームのメンバーが総入れ替えになったという話も聞く。


意外と仕事に関してだけは、きっちりスムーズにやりたい京極としては、それは非常に困る。


だからこそ、男性を希望したのだが、今回男性で京極のペースに合わせられる優秀な人間は居ないという事で、女性が送られて来る事になってしまった。


それともう一つ。

この手の職業に就く女性に、顔の期待は出来ないとも思っていた。

親友の真行寺龍彦の妻であるしずかは、例外と言っていい。

京極の従妹でもある彼女は、京極家の血を受け継いだ、とてもチャーミングで、可愛らしく美しい女性だ。


しかし、そんな絵に描いたような女スパイなど、幻想というのが現実である。


それなりに銃も扱え、外務省の試験にもパスして来てと、要するに、お勉強も出来て、頭も良く、腕っ節も揃ってなんて女性は、大体がアマゾネスのような男女か、お世辞にも、可愛いとも、美しいとも言い難いものだ。


その様な恋愛対象にならない女性なら、ゴタゴタも起きにくいから、いいかもしれないが、潜入仕事の時には、見た目が美しい方がやりやすいし、それを求める場合の方が多い。

女性の居ない京極チームでは、日本大使館で、まあまあの美貌の大使館員を借りて来るのがいつものパターンだが、そういう顔の不自由な女性が入ってしまったら、いくら言いたい放題の京極でも、『君の顔じゃ無理だから。』とは言えない。


色々気を遣ってめんどくさい。


寄って、憂鬱なのだ。



ドゴール空港に着いた京極は、ロビーで、当時出たばかりのノートパソコンで仕事をしながら、その女性を待っていた。

暫く報告書を書いていて、ふと、何の気なしに顔を上げた。

大きなトランクを手に、キョロキョロと辺りを見回す日本人女性が目に入った。


ーなんか危ねえな…。


大人しそうで、気弱そうで、高校生の様にしか見えない可愛らしさ。

なんとなく目が離せなくなり、そのまま見ていると、女性が京極を見た。

そして、顎に人差し指を当て、何か考えた後、恐る恐るという感じで、京極に近付いて来る。


ー迎えが来てねえのか…。1人で動くのに、もう訳分かんなくなったのか…。


観光客だろうと思っていた京極は、そう思った。

ところが女性は思わぬ言葉を口にした。


「あの…。京極恭彦チーフですか…。」


「ーえ…。」


「あ、すみません。申し遅れました。樋口加奈と申します。本日付けで、こちらに配属された情報官です。宜しくお願い致します。」


彼女の可愛らしく、不安そうな顔を見て、京極は自分でも予期もしなければ認知もできないまま、頭に血が昇った。


ーこ、これがかよ!


どこからどう見ても、近付いて見れば見る程、高校生にしか見えない。


そして可愛い。


なんだか純粋な感じという、今まで付き合った事も無ければ、知り合いにも居ないタイプ。


しずかもそのタイプかもしれないが、従妹であり、親友の元彼女で今妻だから、そういう対象で見た事も無いから論外だ。


しかし、しずかとはちょっと違う。

あの性格の強さはまるで無い。

寧ろ、どっちかというと、ほおって置けないような、頼りなげなタイプである。


そして、なんだか懐かしい様な感覚も来た。

その懐かしい感覚は、胸が苦しくなる様な、切なさを伴った、今まで感じた事の無い感覚だった。


京極は、人生初、何をどうしたらいいのか分からなくなるという、自分でも、理解不能な状態に陥った。


しかし、そうもしていられない事も分かっているので、加奈のトランクを奪う様に取ると、大股でズンズンと駐車場へ歩き出した。


180もある長身に加え、足もかなり長い。

それに比べて、加奈の身長は150位しかないから、必死にちょこまか着いて行く状態になってしまっている。


それすらも気が付かず、駐車場に着くと、愛車のプジョー405Mi16のトランクに加奈の荷物を放り込み、ドサッと運転席に座った。


加奈が運転席のドアの外から声をかける。


「フランス国内の地図は全部頭に叩き込んできました。運転します。」


京極はそんなつもりも無いのに、思わず怒鳴ってしまった。


「いい!さっさと乗れ!」


悲しそうな顔で、急いで助手席に乗る加奈を見て、後悔するが、もう遅い。


加奈は極限まで緊張してしまっている。

なんとか緊張を解そうと思うが、それ以前に、京極の方があり得ない程に、緊張してしまっている。


「なんで…、俺だって分かった…。」


やっと口を開いて会話を試みたが、黙っていたせいで、酷い声は更に酷くなり、ドスが効いてしまっているから、怒っているようにしか聞こえない。

それを証拠に、加奈は泣き出しそうに震えた声で答えた。


「ーすみません…。本部長が少女漫画から出てきた様な、誰の目も引く様な美しい男性で、靴はピカピカに磨いたJ.Mウェストンの紐靴を履いて、必ずワイシャツの第2ボタンまで外して、ネクタイも緩めているとお聞きしたので…。」


「そう…。俺は君が…。」


そこで京極はまたしても珍しく言葉に詰まった。


ーこんなに可愛いとは思わなかった。


それが本心なのに、どうしても言えない。

女性相手にポンポン出て来る筈の甘い言葉なんて、頭にも浮かばない。

黙ってしまうと、加奈は申し訳なさそうに、小さい身体をさらに縮めて言った。


「男性をご希望だったとお聞きしました…。がっかりなさった事でしょう…。」


ー違う!そうじゃなくて!


そうじゃなくて、なんなのか、京極にもこの未体験の感情はサッパリ分からなかった。

意に反して、加奈はどんどん元気を無くし、どうすればいいか分からなくなればなるほど、京極も仏頂面になっていってしまう。


ーあああ!!!どうしちまったんだ、俺はあああ~!!!


重苦しい沈黙を充満させたまま、事務所に着くと、京極は仲間達に加奈を紹介するなり、そのままの仏頂面で指示を出した。


「今夜、大使館のパーティに行くが、そこに某国の武器商人が来る。顧客リストが欲しいから一緒に来い。詳細は丸山に聞け。丸、後宜しく。」


それだけ言って、仲間に任せて、自室に閉じこもってしまった。


「どーしちまったんだ、プレイボーイの組長のくせに。」


アランが言うと、加奈が暗い顔で言った。


「お気に召さないんだと思います。」


しかし、アランも含めた他のメンバーは、にやけながら首を捻った。


そう。

京極は人生初、自分から女の子を好きになるという、本人的にはあり得ない状況に陥っていただけだったのだ。


しかし、24にもなっての京極の初恋は混迷を極めた。


ドレスを着て、美しくなった加奈を見ては、真っ赤な顔で押し黙り、仏頂面になってしまい、歯の浮く様な、いつものセリフなど全く出て来ない。

カップルを装わなければならないのに、手を腰に回すのもギクシャクギクシャク…。


パーティの仕事がどうにか終わり、他の仕事にも入りだしたが、無線で加奈を呼ぼうとするだけで黙ってしまい、加奈の方から、何か御用ですかと言ってくれるまで、指示も出せない。


とうとう仕事にまで支障が出だしたそんなある日、加奈は京極の部屋に飛び込んで、直談判をする事にした。


あまりはっきりと物を言えない加奈にしては、初めての事だった。


「チーフ!お、お話しがあります!」


京極は大きな目を皿の様にして、振り返って、恐る恐る加奈を見つめた。


「な…なんだよ…。」


「わ、私、日本に帰ります!クビにして下さい!」


京極には青天の霹靂だった。

慌てふためいて、なんとか言う。


「そ、それは困る!」


「すぐ代わりの人が来ますから!」


「なんで辞めるとか言うんだよ!」


「だって、嫌われてます!」


「誰に!」


「チーフにです!ここまで嫌われてても、ここにしがみついて仕事が出来る程、私にはプロ根性も、普通の根性もありません!

どうかお気に召す方に来て頂いて下さい!

私では京極組の結束を、壊してしまうだけですから!」


京極は呆然と立ち尽くし、また黙り込んでしまった。

加奈は一礼し、出て行ってしまった。















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