第40話

翌朝から、龍彦と龍太郎は、丸で挨拶の様に無言でベッチーンを交わし、一言も交わす事無く、息詰まる朝食を摂り、龍太郎は仕事に出掛け、龍彦は護衛を務めるという生活が始まった。


龍彦は龍介の稽古を竜朗と一緒につけた後、こっそり目立たない様に、龍介を護衛しながら学校に送り届け、帰って来ると、しずかが双子を幼稚園に連れて行くのを、やはりこっそり護衛し、お迎え時間までしずかを護衛なんだか、2人でいちゃついているんだかという感じだ。


こっそりなのは、近所の人や、学校や幼稚園関係の人に姿を見られると、龍介とよく似ているため、あらぬ噂になりかねないからと気にしての事らしいが、龍介はそれがかわいそうに思えて仕方がない。


何も悪い事もしていないのに、ずっと1人で、龍介としずかと暮らせずにきたというのにと考えるとやり切れない気がした。


離婚して貰ってしまえば良かったのに、それも龍太郎が心配で出来なかったのだろうと、龍介は思っていた。


「損ばっかだ…。」


事情を知っている寅彦と亀一に言うと、亀一は何も言わなかったが、寅彦が言った。


「そうだな…。いっそ、卒業式に来て貰ったら?どうせ龍は卒業しちまうんだし、詮索してくる奴には親戚だとか言ってさ。」


「うん…。そうだな…。そうしてみる。」




帰宅して、話し掛けようとして、ハタと悩み、思わず竜朗の部屋に駆け込む。


「どした。」


竜朗が書類から目を上げて、少し驚いた様子で龍介を見た。


「あ、ああ、ごめんなさい。」


龍介はまた出て行き、障子をノック。

竜朗が笑いながらどうぞというので、今度はちゃんと入る。


「どしたんだい。」


「あの…。卒業式に来て下さいって言っちゃまずい?」


「たっちゃんにかい?龍がいいんなら言ってやんな。喜ぶぜ。」


「うん…。でさ…。」


コソコソと竜朗にくっ付く様に座る。


「ん?」


「どうも照れ臭いっていうか、あの~…。」


「うん?」


「呼んでいいもんだろうか。父親的な呼び方で。」


「龍がそうしてえと思うならそうしてやんなっつーの。待ってるぜ、たっちゃん。」


「そ、そうか…。そりゃそうだよな…。」


「そうだよ。初めて喋った時に呼ばれた日にゃあ、号泣もんよ?俺なんか一日中涙が止まんなかったぜ。」


ー一日中!?それは大変だな!


「ま、龍の場合、いーちゃんだったけどな。爺ちゃんて言える様になるのはそれから数年後だったが。」


「爺ちゃん…、それは俺の黒歴史だから…。」


「おう。そうだったな。失礼。」


「じゃあ、呼ぶとして…。何にしようか?」


「父さんは居るからややこしいしなあ…。お父さん、親父、パパ…。」


「パパ!?俺が言うの!?」


龍介の顔をまじまじと見つめ、吹き出す竜朗。


「笑えるなあ!おい!3日は笑いに困んねえな、そりゃ!」


「爺ちゃん!真面目に考えてくれよ!」


とかやっていると、玄関の呼び鈴が鳴った。

竜朗が床の間に立て掛けてある、例の杖を取り、玄関に向かう。


「龍はここに居な。」


「はい。」


龍彦も玄関からの死角に入って、銃を構えている。

龍介は障子の硝子部分からじっと見ていた。


しずかが来訪者に玄関越しに声を掛けた。


「どちら様でしょう。」


来訪者はものすごく渋い、いい声で答えた。


「突然申し訳ない。吉行だが。」


何故か龍彦が真っ青になり、音も無く奥へ逃げた。


ー吉行…。吉行佳吾さん…?ああ、あの苦手だっていう叔父さん…?


しかし、しずかも固まっている。

かなり緊張している様子だ。

深呼吸までして玄関を開けた。


「しずかさん、突然申し訳ない。龍彦は居るかね。」


「え、ええっと、今ちょっと出ていますの…。」


吉行は玄関の靴を見た。

お洒落で、いかにも龍彦が履きそうで、そして大きさから言っても、この家の人間には合わない靴が、しっかりそこにある。

しずかは吉行の目線の先にあるその靴をバッと抱えたが、今更遅い。


「サ…サンダルで出ました!」


「しずかさん…。相変わらず嘘が下手だ…。」


「うう…。ごめんなさい…。」


もう泣きそうになっている。


ー母さんまで怖いのか?あの、この世で怖い物は虫だけって豪語する母さんが?


しずかが心配になったのか、龍彦がそっと物陰から覗いた。

気配に気付き、その方向をバッと見る吉行。

2人、バッチリ目が合った。


「居るようだが…。」


「ううう…。申し訳ありません…。」


次の瞬間、龍介も腰を浮かしてしまうような良く通る声で、吉行が怒鳴った。


「龍彦お!」


すると龍彦は何故か、背中に物差しでも入っている様な直立不動の体勢になり、小学生の様な返事をした。


「はいっ!」


40にもなって。

そして、吉行佳吾という龍彦の叔父は、優雅なイギリス紳士のような風貌からは、想像もつかないような素早さで、竜朗の杖を奪い取ると、抜きながら龍彦に駆け寄った。


ーひえええー!アレ、やっぱり仕込みだったんだああー!


声も出せず、ムンクの叫びの様になっている龍介の目の前で、吉行は龍彦に刀を振り下ろした。

そして龍彦は片膝をついて、真剣白刃取り…。


ーな、なんだこれはー!


しかも龍彦はどう見ても慣れている。


ーこれがグランパが言ってた刃物沙汰なのか!?


龍彦は若干引きつった笑みを浮かべ、勤めて冷静に吉行に話しかけている。


「お、叔父さん…。ご無沙汰しております…。」


「ー龍彦…。一体どういうつもりだ…。ノコノコと龍介君の前に現れ…。」


「それは親父が俺が行く日に約束入れちゃったからですよ…?」


しかし、吉行は聞いてくれない。


「その上、ここに住んでしまうとはどういう事だ…。

お前の様なハレンチ男が住んでしまったら、ご近所でどんな噂が立つかしれたものではないし、そもそも龍介君達の教育上よろしくないだろう…。」


「その辺は気をつけてやってますし、親父は許してくれましたが…。」


「義兄さんは昔からお前に甘過ぎるんだ!」


そこで漸く竜朗が吉行の刀を持つ手を掴み、止めた。


「吉行ー、そう怒んなよー。

たっちゃんは本来なら大手を振ってしずかちゃんと龍と一緒に暮らせるものを、こんな小さくなって、生活壊さない様に暮らしてくれてんだからさあ。

護衛までして。」


「そこだ!CIAも勝手に辞めおってからに!ジャックが泣いておるぞ!」


「ジャックが?どうしてです?」


「どうしてもこうしてもないだろう!なんの相談も無く、本部に電話連絡だけ。

しかも手続きは私任せで、休暇が終わって本部に行ったらお前が辞めてるなんて、可哀想だとは思わんのか!」


「あ、あああ…。そうだ。事情説明しようと思ってたんだけど、バタバタしてて…。すぐ連絡します。」


「車に待たせているから、直接説明してやんなさい!」


やっと刀を下ろし、竜朗に渡した。

龍彦がバタバタと駐車場に走って行くと、竜朗が呆れ顔で刀を鞘に収め、杖の形に戻しながら吉行を見つめた。


「んな怒んなくたっていいだろお?たっちゃんは、なんも贅沢言ってないぜえ?むしろこっちが申し訳ねえんだからさ。」


「貴様が申し訳なく思う必要は無い。」


そして漸く龍介を見た。

ロマンスグレーのお洒落なお祖父さんという感じで、同い年であるはずの竜朗より、年は上に見えるが、かなりのイケメンで、目は意外な程に、とても優しい感じだ。

龍介が会釈をすると、少し頬を緩ませた。


「吉行、龍だ。でっかくなったろ?赤ん坊の時以来だもんな。」


「ーそうだな…。」


そして龍介と向かい合った。

背は竜朗と同じ位だが、身体がとても細い。


「龍介君、吉行佳吾と言います。君の大叔父だ。」


「ーあ、龍介です…。」


「本当に立派になったね。未熟児であんなに小さかったのに…。」


愛しそうに龍介を見つめる吉行を、竜朗がニヤニヤと見ている。


「つまり龍に会いに来たんじゃねえのかい。」


その途端、吉行は先程の厳しい表情に戻ってしまった。


「違う。仕事で来た。」


「おう。どっちがついでだか分かんねえけどな。じゃ、書斎にどうぞ。」




しずかが気を利かせて、ジャックという龍彦の元相棒と龍彦は一階の龍彦の部屋に通され、竜朗達は書斎で吉行と話し始めた。


龍介はなんとなく落ち着かず、キッチンに行ったしずかの手伝いをし始めた。


「龍、カップとポット温めて。カップは、ポットと同じ。ウェッジウッドのフロレンティーン・ターコイズにして。」


「えらい気合い入ってんな、母さん。」


「局長はね、大の紅茶党なの。ご自分でもお淹れになるから、ちゃんと気合いを入れて入れないとね。」


そういうしずかは、とても嬉しそうに、一緒に持って行く、パウンドケーキを盛り付けている。


「このラム酒漬けのドライフルーツのケーキも、とても気に入ってくださっていたのよ。」


「母さんは…、外務省にいたんだよな。だから、大叔父さんは、上司だったって事?」


「そうよ。」


「どんな感じの上司だったの?」


「とっても紳士で、曲がった事が大嫌いな、素敵な上司だったわ。」


「でも、さっきえらい緊張してたじゃん。」


「ーそういう普段優しい方は、得てして怒るととても怖いしさあ…。」


「ー刀抜くし…?」


「そう…。実は強烈な一面もお持ちで…。」


「母さんも抜かれた事あんの?」


「ある訳ないでしょう?局長が女性に向かって刀を抜くなんて。

龍彦さん。怒らせては刀抜かせるから、ぬおおおおって焦ってしまって。

本当に真っ二つって事は無いとは分かってるんだけど、あまりの迫力に、万が一と思うと、怖くて。」


「へー。」


「さ、出来た。持っていって来るわね。」


しずかは手際良く、竜朗の書斎の分と、龍彦の書斎の分のトレーを持って、キッチンを去った。

龍介に持っていかせないという事は、端々であっても、聞かせたくないのかもしれない。


龍介が暫く待っていると、大体同じタイミングで、大人達が出て来て、リビングの龍介が座っている周りに座り出した。


竜朗は、先ず、真ん前に座っている、大男の黒人男性に話しかけた。


「えーっと、ジャックさんだっけ?」


ジャックは笑顔で竜朗に右手を出し、握手を交わしながら挨拶をした。


「はい。ジャック・ゴーレンです。宜しく、加納顧問。」


「おう。宜しくな。加納竜朗だ。」


英語なのに、なんとなく竜朗節に聞こえるのが不思議だ。


「龍介君。」


今度は吉行佳吾が、龍介に優しく話しかけた。


「はい。」


「このジャックが知らせてくれたんだが、今回、父上の拉致の為、ここに襲撃をかけてきた人間は、我々が思っていた様な、国ではなく、アメリカの方で片付けてくれる様な問題だった。」


「父の技術を悪用しようと、父を拉致しようとかする国では無かったという事ですね。」


「そういう事だ。」


佳吾は、感心した様子で、嬉しそうな目で龍介を見て頷いた。


「一応、今の所安心していていい様だから、あまり神経質にならなくても大丈夫だよ。

その為に加納も職場には行かない事にした様だし、龍彦も居る。

気にしないで、今迄通りお友達と遊びなさい。」


「はい…。」


真面目な話が終わった途端、ジャックは龍介の頭をガシガシと、大きなゴツい手で撫で回し始めた。


「Jr!ドラゴンを宜しくな!もう、お前さんが可愛くて可愛くてどうしようもなかったんだから!」


何故か龍介はその時、涙が出てきて、抑える事が出来なくなった。


みんなの幸せの為に、直接会う事も出来ず、ずっと遠くから、たった一人で見守ってくれていた…。

話す事も出来ず、一緒に遊ぶ事も出来ずに。


龍彦が龍介の事を大事に、そして大切に思ってくれているのを知れば知る程、どんなに寂しくて辛かっただろうと思った。


「お、お父さん!」


龍彦がびっくり目で、龍介を見て、自分を指差した。


「お、俺…?」


龍介は力強く頷くと、一気に言った。


「卒業式来い!他人に何言われたって構わない!大きな顔して、俺の親父として来い!」


それだけ言って、ポチを連れて出て行ってしまった。


「照れちまってんだなあ。」


竜朗がそう言いながら、龍彦の肩をポンと叩くと、龍彦の目からも涙が落ちた。


「いい子に育てて下さって、有難うございます…。」


「いやいや。元がいいんだよ、龍は。」


ところが龍彦、間髪を容れず頷く。


「そうですね。」


竜朗は苦笑しただけだが、吉行は黙っていない。

やはり竜朗の仕込み杖を手にし、抜きかかっているのを、しずかと竜朗の2人がかりで押さえられていた。


「お前はどうしてそう失礼に出来ているんだあ!あんないい子に育ったのは、加納としずかさんのお陰だろうがあ!!!」


吉行の白髪の多さは、龍彦のせいという噂があるのも、なんとなく納得である。












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