第三十五話 違和感大根

「げぎゃー!」

「ふん!」


 雄叫びを聞いた瞬間振るった棍棒がゴブリンの頭に吸い込まれる。次の瞬間には、ゴブリンは光になって消えていく。もはや流れ作業だ。

 オレがなんとも言えない顔でそれを見ていると、後ろについていた東雲が小さく唸る。


「…大丈夫ですか、先輩。気分が悪いとかありませんか?」

「大丈夫だけどな…」


 このゴブリン撲殺作業も3日目だ。良くも悪くもゴブリンを撲殺する作業に慣れてしまった。良いのかは知らないが、おかげでジャージをだめにしなくて済むようになったのはありがたい。

 ゴブリンを殴る感触にはいつまで経っても慣れないが。

 東雲にそういえば、呆れたような顔をされた。


「…もう少し調子に乗ってもらったほうが、こっちとしてはやりやすいんですけど?」

「なんかそんな気分じゃないんだよ」


 なんでもゴブリン退治に慣れてくると、このへんでどんどん奥に進んでいこうとするんだとか。で、それを上手いこと絞めて、無謀に突っ込むと簡単に死ぬよ、調子に乗るんじゃないというのを思い知らせてバランスを取るらしい。俺の場合、いまいちその兆候が見えないからやりづらいとのこと。

 なるほどね。


「お前、本当にスパルタだな?」

「こうでもしないとどんどん調子に乗るっていうのを、心底思い知らされましてね。どうです、逝ってみます?」

「遠慮しとくよ」

 

 言いたいことはわかる。

 今日で、このゴブリン撲殺作業も3日目だ。ちなみにさっきやったので今日10体目だ。その10体をオレはスムーズに倒せたのだ。たった3日で。

 初日、一体倒すだけであの騒ぎだったのが嘘のようだ。

 結局あの後筋肉痛になってしまい、家でキーファと人形に介抱してもらう始末だった。

 それが一夜明けたら嘘のように筋肉痛は治り、会社に出社してきた東雲はそれが当たり前のように言っていた。その後は結局退社後にダンジョンに引っ張られた。その時明らかに初日とは比べ物にならないくらい体が動いたのにはびっくりした。

 

「で、それで調子に乗るのか?」

「そうです。最初に入ったときが伸びを実感する最初の瞬間ですからね」


 そういうことらしい。

 RPGで最初はすぐにレベルが上がるのと同じ原理だ。それでも素人としてはすさまじい力を得たような感じがするのだとか。それで突っ走って無謀なところに行って死ぬというのも定番コースらしい。

 

「なので、一回無謀な相手に当たらせて、死ぬ寸前まで持っていくんです。効果的です」

「対応できるのか?」

「始めたての人と一緒にしないでください。これでも安全第一なんですよ?」


 そういう東雲は心外だという顔をするが、いや実際どうなんだろうか? 

 受ける本人の心情さえ考えなければ効果的なんだろうか?

 実際、この講習を受けた受講者は、みんな慎重でいい探索者としてそれなりに有名らしい。そんなことを東雲は少しだけ誇らしげに言ってくれた。

 やりようとしては間違ってないし的確なんだろうが、素人向けじゃないなと思う。なにがどうしてこうなったやら。

 そういえばこの3日で東雲の表情が少しわかるようになった。むしろこっちのほうがオレにとってはありがたい。後輩なんだが、前から表情がわかりづらくて困っていたのだ。そして、気付いた。


「それより、オレは思っていた以上にお前が脳筋なことがびっくりだよ」

「失礼ですね?」


 そう言って東雲は眉をひそめるが、オレはごまかされんぞ?

 初日のモンスターハウスもそうだが、こいつは強い。目で追えない速さで動いたり、音もない刀の抜き打ちでゴブリンを切り捨てたり、まず常人では追いつけない領域の強さだ。

 もちろんゴブリンは弱い。予習のつもりでキーファで確認したら、マナポイント100ポイント。全体で見たらひと掴みいくらで売り払っているバーゲン品のような魔物だ。

 だがそれでもあんなに鮮やかにモンスターハウスを、普通の人間は駆逐できないだろう。

 少なくともオレはそんなやつ、マンガの中でしか見たことがない。そのマンガでしか見たこともないような芸当を、この東雲は平然とやってのける。

 だからなんだろうが、割とゴリ押しが目立つのだ。

 初日のときもそうだが、2日目にゴブリンたちの群れに出くわしたときなんか、東雲は一瞬のうちに片付けていた。それは良いんだが、10匹もいたゴブリンの群に単身突っ込んでいくってどういう神経だ。ゴブリン相手ならこのくらい簡単なんだろうが、見ているこっちはハラハラして仕方ない。


「もう少し慎重に行かないか?」

「それで先輩が成長するなら良いですが、先輩今のままだと、単身で潜ったとき怪我しますよ?」

「心配してくれるのはありがたいんだがな…」


 なんでもダンジョンライセンスの取得に、単身でダンジョン内を潜るというのがあるらしい。

 まあ、ただ単純にレベル1の地図を渡されて、その範囲内に隠されたなにかをとってくるというものらしい。それは流石にダンジョンなめ過ぎじゃないかと思ったのだが、制限時間十分で少しでも怪我をしたら失格らしい。

 慣れれば簡単らしいのだが、オレの場合は、まあ、うん。


「…オレのことより、お前のことだよ。オレは、まあ、最悪落ちちゃってもいいけど、お前の場合怪我とかお構いなしに突っ込んでないか?」


 一応、受けるだけ受けるつもりだが、多分というか、間違いなくオレは向いていない。幸いなことに、東雲のダンジョン後のファミレスで聞くダンジョン講座で知識だけはもらえているので、目的自体はある程度達成できている。そこから先がなんとも雲をつかむ感じなのが困りものだが、こればかりは気長にやるしかないだろう。そういう腹づもりだ。

 マナの方も目処がついたし。

 そういうつもりなんだが、東雲は真剣な顔でオレを見る。


「私のことはどうでもいいんです。それより先輩が怪我をしないようになる方がよほど重要ですから」

「ありがたいけど、そこまで思われても困るぞ?」


 正直、ただの会社の後輩にかけていい負担じゃないと思う。

 この講座の間も東雲は普通に会社に来て仕事をし、終わるとオレに付き合っているのだ。この一週間だけでもかなりきつかったはずだ。

 オレだったら普通に会社に行きながらプライベートまで先輩の面倒を見ろと言われたら、音を上げる自信がある。

 そのはずなんだが。


「いえ、大丈夫です。私の個人的な考え方ですから」


 そう言って東雲が譲らないのだ。ありがたいが、果たしていかがなものかと首を傾げざるを得ない状況だった。

 嫌そうな顔はしていないので実際そう思っての事なんだろうが、まだまだ表情の読みづらい東雲から伝わるのはそのへんまでだ。なにか思うところでもあるんだろうか。これで先輩を合法的にしごけるとかの理由だったりしたらオレは泣く。


「さ、早く次に…」

「…どうした?」


 考え込んだオレの前で、東雲が急に言葉を切った。その瓶底眼鏡が、オレの後ろをじっと見つめている。

 オレがその視線を追っても、暗い通路があるだけだ。

 東雲はしばらく黙り込んだかと思うと、おもむろに口を開く。


「先輩、今日の占いどうでした?」

「何だ、いきなり?」

「いえ、私、基本的に運が悪い人間なんです」

「それで?」

「先輩はどうなのかな、と」

「…俺は、普通かな?」


 朝のニュースで星占いを見ればだいたいランキングで真ん中くらいなのが俺だ。可もなく、不可もなく、そんな感じ。ああ、でも。


「…全体で見れば普通よりは、下くらいか?」

 

 時々、どうしようもない衝撃が襲ってくることがあった。その分の補填があるわけでもないことを考えれば、悪い方に分類されるか。

 俺が言えば、東雲は小さくため息をついた。


「…でしたら、今日は不運かもしれませんね。ちょうどいい経験とも言えますが」

「…ん?」


 どういう意味だ?

 そう言いかけたオレの口をふさいだのは、こちらに駆けてくる無数の足音だった。いや、駆けてくるだけじゃない。


「…なんだコレ?」


 ダンジョンではまず耳を澄ます、というのを東雲から教わった。

 日本のダンジョンで一番多い、こういう暗い廊下が続くようなダンジョンでは、大抵の場合まず警戒すべきは足音なんだそうだ。

 最初はよくわからなかったが、やっているうちになるほどと思った。

 日本のダンジョンはゴブリンが主だ。連中は裸足で、いつもペタペタという足音を立てている。隠すつもりもないのか、近くにいればそれを聞き取るのは意外と容易いのだ。だからまず警戒するなら、まず足音からということらしい。ダンジョンの成長効果のおかげか、俺もすっかり聞き慣れてしまった。

 だが、この足音は違う。

 がっがっ、と、まるで硬いなにかで地面を踏みしめているような音だ。そしてそれが規則的に聞こえてくる。俺が今まで聞いたことのない音だ。


「…先輩、用心してください」

「…なに?」


 東雲はいつの間にか刀を構え、足音の方を睨んでいる。

 何が何だか分からないが、ひとまず言われるがまま、駆け出せる準備を整える。

 

「すぐに逃げなくて良いのか?」

「ちょっと今駆け出すと、まずいですね。ですので少しお待ちを」


 そういう東雲は構えたまま、油断なく音の方に視線を向けている。なにが東雲をそこまでさせるのか。

 オレも東雲に習ってそこを見ていると、それらは暗闇の中から、ぼうっと姿を現した。

 それをオレは知っていた。


「…ゴブリンアーミー?」


 それは全身を鎧に包んだゴブリンだ。キーファで見たときに、ゴブリンとは別枠で用意されていた魔物。こちらは1匹1000マナポイント。同じゴブリンだが、全く違う魔物だ。それが、こちらに向かって来る。

 

「…よく覚えてましたね?」

「ちょっと勉強してな」


 ちらっとだけだが、東雲の講座でも出てきた名前だ。オレはすぐに駆け出せるように体勢を整えた。

 ゴブリンアーミーは厄介だ。普通のゴブリンと違いすぎる。

 普通のゴブリンは、子供が駄々をこねるような攻撃しかしてこない。近づけばひっかくか、噛み付いてくるだけ。つまり、よほどのことがないと死にはしない。

 だが、ゴブリンアーミーは違う。キーファによれば、連中は軍隊知識をゴブリンにインストールしたものらしい。もちろん、中身のゴブリンは変わっていないが、その脅威度は段違いだ。例えば、今目の前の連中なんて、明らかにやばい。

 数は10体ほど。それが隊列を組んでこちらに行進してくる。うちの前6匹は手に槍を、後ろの4匹は弓を構えて持っている。

 つまり、割と簡単に人を殺せる存在なのだ。

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