Summer Holidays 「スウィート・ホーム」

 テディにとって、ダニエルの存在はとてもありがたかった。もしもこの家に住んでいるのがクレアとデニスのふたりだけだったなら、テディはきっと必要最小限の言葉しか口にせず、なにをするにも遠慮がちで、気を遣いすぎるあまりに相手にも気を遣わせてしまうという、頗る扱いにくいゲストとなっていただろう。

 九歳のダニエルは、サマーキャンプでのルカとのいざこざでまだ鬱ぎこんでいたテディに笑顔を戻し、まるで兄弟のように過ごすその様子を見るクレアの心をも朗らかにした。

 きっかけはちょっとした小金稼ぎのつもりだったが、愛する息子が昼間は楽しそうにはしゃぎ、夜はリビングの隅で進んで勉強をみてもらっているのを目にして、クレアは休暇のあいだテディを預かることにして本当によかったと思うようになっていた。ジプシーのような生活をしていたと聞いて抱いていた不安も、テディが行儀も言葉遣いも悪くなく、成績も良いおとなしい子だと知って消え去っていた。

 デニスもテディのことを気に入っているようだった。デニスは、最初にクレアが買い揃えた品の良い学生らしい服だけでは暑苦しいし肩が凝るだろうと、流行りのファストファッション・ブランドのカジュアルなTシャツやショートパンツなどを買ってきた。他にもテディが甘いものを好むと知ってプレスタのチョコレートを買って帰ってきたり、夕食時には軽めのアルコールを勧めたりもした。


 イギリスの法律では飲酒は十八歳からとなっていて、パブなどで飲むことや購入には厳しいが、一方で保護者のもと食事といっしょにビールやシードルを飲む程度なら十六歳以上、家庭内で親が認めていれば五歳から飲んでもよいなど、根付いた慣習の所為か基準が曖昧な部分もある。


 だからラングフォード家のダイニングで、食事時に、度数の低いシードルをのテディが勧められるまま飲むことに、誰も疑問を差し挟みはしなかった。ただ、誤算がひとつ――テディは、呆れるほどアルコールに弱かったのである。

「……参ったな。そんなには飲ませてないのに、まさかこんなに弱いとは」

 ダイニングテーブルに突っ伏して眠ってしまったテディを見て、デニスは苦笑した。

「参ったじゃないわよ、もう。初めて飲んだのかもね、今どきの子にしてはほんと、めずらしいくらい物静かでおとなしいんだもの。とりあえずそっちのソファに運んで寝かせてあげて。私は階上うえからブランケットを持ってくるわ」

 クレアがそう云ってダイニングを出ていき、デニスがテディを抱えてソファに運ぶと、その様子を心配そうについてきて見ていたダニエルが尋ねた。

「……テディ、大丈夫? 酔っぱらったの? すぐ起きる?」

「うん、どうかな。どっちにしても今夜はもう勉強はできないかもな。ダニー、ひとりでもできるだろ?」

「少しだけにして、ゲームをしててもいい? ひとりでやるやつ、テディが来てから進めてなかったんだ……あっ、テディを邪魔に思ってるんじゃないから、云っちゃだめだよ?」

 デニスは声をあげて笑った。

「わかってる。云わないよ……ダニーは時間の使い方が上手だな。ひとりのときとそうじゃないとき、やりたいことは違うもんな」

 ダニエルはいつものようにリビングで苦手な割り算の文章題を何問か解いたあと、ひとりでビデオゲームを始めた。ラングフォード家では部屋に籠もって長時間ゲームをやるのを防止するため、ダニエルの部屋ではなくリビングにビデオゲーム機を設置していた。その様子を眺めながらデニスとクレアは、テディがいるあいだに一度みんなでどこかへ出かけようなどと話し、ビールを飲んだ。

 その光景はまるでホームドラマに出てくる、絵に描いたように幸せな家族のワンシーンだった。




       * * *




 ――頸になにかが触れるのを夢現に感じ、そのくすぐったさにテディの意識は浮上した。ゆっくりと薄目を開けるが視界は暗く、まだ躰のほうは目覚めていないように動く気も起きなかった。

 だが、今度ははっきりと鎖骨の下辺りに誰かの手が触れたのがわかり、テディははっとして躰を起こそうと身じろいだ。

「――ああ、起こしちゃったか。ごめんごめん……シャツの襟が窮屈そうだと思ってね、寛げようとしてたんだ」

 部屋の片隅にあるオレンジ色のランプがデニスの顔をうっすらと照らしだし、テディはソファの背に張りつくようにして坐りながら、途惑ったように周りを見た。

「もうダニーもクレアも部屋で眠っているよ。僕は君のことが心配で様子を見に下りてきたんだ……シードルを飲んで酔い潰れて寝てしまったんだよ、覚えてないかい?」

「……覚えてます……。すみません、面倒をかけてしまって……」

 デニスは笑ってテディの膝にぽんと手を置いた。

「とんでもない。こっちこそまだお酒に慣れてないのに、無理に勧めたみたいで悪かったね。……さて、目が覚めたなら自分の部屋に戻るかい?」

「はい……」

 立ちあがって、掛けられていたブランケットを簡単に畳むと、テディはリビングを出てデニスに背中を支えられるようにして階段を上がり、部屋へと戻った。

 時計を見ると、まもなく日付が変わろうかという時刻だった。喉の渇きを感じ、キッチンに寄って水を飲んでくればよかったと思いながらワードローブの前に立つ。ジーンズを穿いたままだったので、面倒だけど着替えなきゃなと扉の下の抽斗からパジャマを取りだし――顔を上げ、ふと鏡に映った自分の姿を見てぎょっとした。

 白いシャツのボタンが鳩尾の下辺りまで開けられていた。襟を寛げたにしては、開けた釦の数がふたつほど多いのではないか――そう思った瞬間、テディは不意に胸許を這っていた手の感触を思いだした。

 込みあげてくる吐き気と甦る悍ましい記憶に、がくがくと躰が震えだす。まさか、そんな――テディは愕然として、寒さに耐えるように両腕で自らを抱きしめた。

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