第42話

 目が覚めると白い天井が見えた。ゆっくりと、目を動かすとぶら下がる点滴のチューブが見えた。それを目で追うと一滴の点滴液が細い管を通じて自分の腕に吸い込まれていった。

 息を吐いて首を動かそうとしたが、動かなかった。首に固い何かがあってそれが首を動かさないようにしていた。

(果て・・これは・・)

 そう思うと頭が疼いた。痛みが走り、眉間に皺を寄せた。

(これは・・一体)

 今自分は夢を見ていた。それは自分が尼崎に居て、窃盗で掴まり母親に連れ戻された日の現実を夢見ていた。

 それが突然、目覚めるとどうやら病院に居る。現実の自分はそして首にコルセットに点滴、少し首を浮かせて足元を見れば同じようにコルセットに足が包まれている。

(何や・・これは)

 記憶を探る様に浦部は目を点滴に向ける。また一滴、点滴液が落ちて行く。

(確か俺はあの日、あいつに呼び出され、そして・・あの・・)

 そこで目を再び天井に向けた。

 なにやら夢と現実に混濁した瞳のまま浦部は瞼を閉じた。

(《芦屋の向日葵》の事を聞かれた。知らないと答えるとそのあとあいつと酒を飲んだ。そして自宅まで送ると言われ・・)

 そこまで思い出すと頭がずきずきと疼いた。再び眉間に皺を寄せる。

 痛みが去ると壁を見た。そして目を動かす。視線の先にカレンダーが見えた。日付を見て呆然と言った。

(一週間・・過ぎている)

 そこで身体に力を入れた。腕も足も力が入る。しかし、動かない。

 浦部は息を吐いた。

(どうやら、俺は何か事故に遭ったらしい)

 それで一週間昏倒していたのだと、思った。

(一体、どんな状況で?)

 その時、病室のドアが開くのが見えた。二人の男が病床へ入って来ると、浦部の側に立った。その二人と浦部の視線が合った。暫く沈黙があって、二人の内の一人の金縁の眼鏡をした男が言った。

「意識が戻ったようやな、檀吉」

(檀吉?)

 浦部は反芻した。

「松ちゃん、そのような。医者呼んでくるわ」

(松ちゃん?)

 浦部の眉間が動く。

 檀吉と言われた男はそう言い残して短い体躯を揺らしてドアを開けて病室を出た。病室には金縁の眼鏡をした男だけが残った。 

 浦部は目を細めて男を見る。

 そこで何かを認識したのか鼻を鳴らした。

(こいつ・・近松・・曽根崎の刑事やないか)

 近松も目で浦部の表情を読む様にじっと見ている。そしてゆっくりと側にやって来て椅子に腰かけた。そしてじっと再び浦部を見た。浦部も同じように近松の表情を見た。

 短い沈黙の後、近松が言った。

「お前に最後に会ったのは、戦後、大分たっての事やった。あの時、お前は或る人物の家に盗みに入ったんや」

 浦部は目だけを動かした。

「その時、お前は何も盗らず、そしてそれを境に全く犯罪とは縁を切って、今じゃ一端の人間として芦屋に邸宅を構えるぐらいの身上になった」

 沈黙だけが、浦部の返事だった。

「俺はその時、その事件を担当していたが裁判ではお前を有罪にすることはできなかった。なんせ証拠がなかった。いや・・証拠がなかった訳やない、その証拠がまだ年端も行かない子供の少女の記憶だけになっていたんやからな。お前はセダンでその人物の所に行ったのは認めた。それは当時住んでいた長屋で火事があり、その人物が引っ越すことになったから引っ越しを手伝った。その際、その人物の荷物に自分のシガレットケース忘れたので取りに行くと言って、そこへ行ったんや」

(だからなんや?)

 そう、目で浦部は答えた。

 近松は金縁の眼鏡の向こうでより一層目を細めた。まるで猫科の猛獣が獲物を見つけた時のような視線だった。

「お前はそこでその人物宅に入り、見たんだ。《芦屋の向日葵》と冷たくなった一人の骸を」

 浦部は目を閉じた。

「それだけやない、そこでお前は向日葵を持ち帰るところを見られたんや」

 浦部がゆっくりと息を吐いた。息が吐き終わらぬ内に、近松が言った。

「年端も行かぬ少女にな」

 浦部は目を閉じて刑事が言ったことを心で反芻しながら再び混濁する意識に中に落ちて行く自分を感じた。

(まぁええ、続きを聞くのは・・またあとや)

 そう思いながら浦部は意識が薄れていくのを感じた。

「お、おいおい!」

 近松の声が聞こえたが、意識はそこで消えた。

「眠るんかい!!」 

 そう言った時、檀吉が医者と共に現れたが近松の残念そうな表情を見て、檀吉は再び浦部が起きるのを待つしかないなと思った。

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