エノクの手紙

「そなたがこの手紙を見るとき、すでに、わたしの死とわたしが残した言葉が、風のようにそなたの耳にも入っていることだろう。

 ギデオンよ、私の死も、私の言葉も真実である。

 神は、私たちにいつも優しい眼差しを向けられ、温かい手を差し伸べてこられた。だが、私たちはいつもそれに甘え、それを当り前だと勘違いし、神の大いなる御業によって、この世界が作られていることなど忘れ果ててしまっている。

 よく考えてみれば、この世界がどれほど神の慈愛に満ちているか、分かりきっているではないか。太陽が輝き、月が照らし、風が吹き、川が流れ、大地は実りをもたらす。神はあらゆる生き物にも意味を与えられ、あらゆる命が複雑に絡み合い、互いに支え合って生きている。それだけでも神の知恵と愛がどれほどのものであるか分かろうというのに、神はさらに、人間をもおつくり下され、人間を愛された。だからこそ、この世界の恩恵を一番与えられる幸福な位置に人間を据えられたのだ。

 だが人間は禁じられた実を食べたことで、純粋で無垢な心を失ってしまった。人間にはあまりにも過酷な知識への道を歩むよう宿命づくられた。見上げるような絶壁を登り、荒涼たる大地を歩き、真実の叡智を探し続けることを命じられたのだ。

 人間が選んだのだ。人間がこの険しい道を行くことを選んだのだ。

 だからこそ、神はその温かい御手を伸ばすことを差し控えられ、私たちの歩みをじっと見られておるのだ。


 だが、今度も私たちは神の眼鏡に適うことはできなかったようだ。私たちは美徳を捨て、悪徳を愛した。貞節を捨て、淫乱を愛した。正義を捨て、不正を愛した。光の中で生きることを捨て、汚辱のふちに住むことを愛した。

 神は、わたしたちに幻滅された。

 神は、私に宣告された。この世界は滅びると。

 恐るべきリバイアサンをこの世に放たれたと。


 これが私が死に際に人々に説いた言葉だ。

 だがギデオンよ、まだ誰にもいっていないことが一つあるのだ。

 私は神の言葉を、この数日の間に聞いたと皆に伝えた。

 だがそれは真実ではない。

 神が私にそういうようにお命じになったのだ。

 そして、神は真実は士師であるお前にだけ伝えなさいと言われたのだ。

 ギデオンよ、それを今から、お前に伝えたいと思う。

 

 あれは15年前のことだった。

 私が庭で農作業をしていると、急に光が満ちて、天から輝かしい方が降りてこられた。

 その方は私にこう語られた。


『預言者エノクよ、よく聞きなさい。

 この世界に悪が生まれつつある、そのものたちは、今この瞬間も私の座を奪わんとして、謀議をこらしている。

 その悪は急速に力をつけて、この世を覆うに至るだろう。

 人々は悪徳に耽り、私を弊履のごとく地に投げ捨てることを意にも介さぬようになるだろう。

 だから、私はこの世界にリバイアサンを投げ入れた。リバイアサンは今はまだ赤子だが、時が満つれば、この世界を破壊するものとして成長するだろう。

 リバイアサンはこの地上の中で、並ぶものなく、恐れを知らぬ生き物である。あらゆるものを睨みつけ、あらゆるものを治める地上の王である。

 リバイアサンは今から18年後には、この世界のすべてを悉く焼き尽くし、すべての人間を滅ぼすに至るであろう。


 だがエノクよ。私はこのような状況になってさえも、人間を愛しているのだ。人間が私に唾し、私の顔を踏みつけようと、私は人間が愛しくてならないのだ。

 だから、私は人間に機会を与えることとした。

 エノクよ、今日の日からちょうど10年たったら、シオンにある精神病院を訪れなさい。

 そこには過去の記憶をすべて忘れた一人の少年がいる。

 そなたはその少年を引き取り、言葉とこの世の成り立ちを教えなさい。

 そして、さらに一年たったら、マナハイムにある孤児院にその少年を預けるのだ。

 そのものは、そこでさらに成長し、名をあげることになろう。

 エノクよ、その少年だけが、リバイアサンを殺すことができる。

 だが、その少年がリバイアサンを殺すことができるかどうかは、その少年次第だ。その少年が人間を救いたいと思えるようになれば、リバイアサンを打ち倒すことができるだろう。だが、その少年が人間の世に幻滅すれば、リバイアサンを打ち倒す力を得ることはできないであろう。


 エノクよ。

 そなたの命は、あと15年後に果てる。

 その時が来たら、私の言葉を人々に伝えなさい。

 だが、人々には少年のことは黙っていなさい。

 そのことは神の士師であるギデオンにだけ伝えなさい。


 そして、ギデオンにはこう付け加えなさい。

 エノクの言葉を受け取り次第、すぐにマナハイムにいって、その少年を救い出しなさい。

 その少年は危機に瀕している。

 そなたが行き、私が神意を示さなければ、その少年の命はそこで果てることになるだろうと。


 さらにこうも伝えなさい。

 その少年とともに旅をして、その少年に神の業を教えなさい。

 そなたの教えこそが、その少年の運命を決めるのだと。

 

 そして、最後に士師ギデオンにこう伝えなさい。

 その少年がリバイアサンを倒すためには、そなたは死なねばならぬと。

 そなたは、その少年の刃により、命を絶たれることになろうと。

 自らを殺すものを育てるために、愛を注がねばならぬと。


 エノクよ、人間を救うのはいったい誰だろう。

 それが分かった時、人間は救われよう』



 ギデオンよ、そなたにこのようなことを伝えるのは身を切られるようにつらい。

 私はそなたを見出した。

 その少年と同じように孤児院を出て、荒くれもので、世を呪っていたそなたを見出し、育て上げた。

 そなたは我が子と同じであった。

 その我が子に、言わねばならぬ。

 神のために、死んでくれと。

 リュウと名付けた、その少年のために死んでくれと。

 お前を殺すリュウのために愛と正義を教えてやってほしいと。

 

 

 ギデオンよ、私は神の最後のお言葉をいまだ解せぬまま、死ぬことになりそうだ。

 もしや、そなたであれば、その問いを解けるかもしれぬ。

 

 ギデオン、いや、我が子よ。

 神を信じろ。

 そうすれば、道は開かれる」

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