ユダという男 2

「あなたには本当のことを教えて差し上げましょう。あの豚はね、娼婦に乱暴したあげくに、たまたまそこに居合わせたリュウの怒りをかって、自身のペニスをぐちゃぐちゃにされたんですよ――まったく、汚らしい娼婦に手をだすだけでもおぞましいのに薄汚い孤児に……いや、少し、言葉が過ぎましたかな――とにかく、まだ大人にもならぬ少年にペニスまでもぎ取られたんですよ。それで腹立ちまぎれにあんな処刑を思いついたんだすよ。いやはや、あの豚には心底幻滅させられましたよ」

 そういうと、ユダはギデオンの方に身を乗り出してきた。

「士師、ギデオン。神の士師たるあなたであれば、私がどれだけ悔しい思いをしているか、お判りでしょう! あなたと同じように神の御心に沿うことだけに心を砕いている、この私の悔しさが。おお神よ、この染み一つない真っ白な私の心を見てください。全身全霊をかけて、あなたにお仕えすると誓った私の気高き心をご覧ください。わたしはあなたを愛します。あなたの怒りも愛します。だからどうぞ、この私にあなたの怒りをぶつけてください。私の無知ゆえに、あなたの眼を曇らせしまった愚かな私に、どうぞ罰をお与えください!」

 そう言うと、ユダは神に乞うように天をみつめ祈りを捧げた。

 その様子を冷ややかに見つめていたギデオンはもう茶番は十分とばかりにすくと立ち上がると、ユダに言い放った。

「ユダ殿、どんな美辞麗句を重ねても神の眼はごまかせぬ。神の名を語って嘘をつくものは必ずや神の怒りを買い、あの男よりも悲惨な末路を迎えることになろう」

「おお、神の前で嘘をつくものには、地獄が訪れんことを! そのようなものがいるとすれば、私もあなた同様、そのものを憎みます」

 ユダは再び天に向かって大仰に叫んだが、ギデオンはその言葉を手で遮った。

「ところで、あなたの言うとおりだとすると、あのリュウという少年にはなんの罪もないようだ。よって、あのリュウという少年の身柄は私が預かることにするが、それでよかろうな。まさか異存はあるまいな」

 ユダはギデオンに向き直ると、目に真摯な光を湛えて答えた。

「もちろんです。あのリュウという少年には、なんの罪もありません。あの少年の命が助かるよう、私も神に祈りを捧げましょう。神の士師ギデオンよ、あなたがこの街に来られて本当に良かった。あなたの薫陶を受ければ、あの少年もきっとあなたのように気高い神の戦士となることでしょう」

 ギデオンはその言葉を聞くと、それで十分とばかりに別れの言葉を交わすこともなく、ドアに向かった。

 ギデオンがノブに手をかけた。そのときだった。背後からユダの声が聞こえた。

「神の士師ギデオンよ。私はあなたに一つだけ忠告しておかねばなりません。神は愛するものにこそ試練を与える。あなたはこれから、恐るべき試練に会うことになるでしょう。あなたが試練に耐えかねて、神を呪うなどということがないことを心から祈っておりますよ」

 ギデオンはその言葉に潜む毒をはっきりと感じたが、もはや振り返ることなく部屋を後にした。


 ユダはギデオンが部屋を出ていくと、にやりと笑った。

 その顔は神の名を口にして、祈りを捧げたさきほどの真摯な顔とはまるで違っていた。その表情には傲慢で邪悪な笑みが宿っていた。

 ギデオンは机にあった呼び鈴を鳴らした。

 すると数秒もせぬうちに、執事のマルフォイが別な扉から現れた。

 マルフォイは目の前の美しい主人に腰をかがめると、甘ったるい声で尋ねた。

「いかがでございました。あのギデオンという男は」

 ユダは優雅にソファーに腰を掛けると、くくと笑いをこらえきれぬように言った。

「あの男、この私に向かって、神の名を語って嘘をつくものは必ずや神の怒りを買い、あの豚よりも悲惨な末路を迎えることになろうなどとぬかしおったわ。あやうく、笑ってしまうところだった」

「ユダ様にそのような物言いをするとは、なんたる無礼な男」

「まあいい。あの男はいずれ、想像すらできぬほどの苦しみを味わう羽目になるであろうよ――まさに神のごとき力によってな」

 そう言うと、ユダは凄まじいばかりの笑みを浮かべた。

「ところで、あのリュウという男はいかがいたしましょうか。死にかけているようではありますが、もし命をとりとめたとすれば捨ておくわけにもいきませぬのでは。なんと言っても、あなた様の実の子供を殺した男ですし……」

「マルフォイよ。実は、これだけはリュウという男に感謝しているのだ。私とは似ても似つかぬ、あのくずのようなカイファを私の眼から消してくれたのだからな。まあ、あのカイファを生んだ女も裕福な貴族出身というだけが取り柄の淫乱な雌豚だったがな――結局、豚は豚しか産まんということだよ。いったいにして、この世界は豚が多すぎる。人間とは名ばかりの腐った豚がな。そんな豚どもは一匹残らず屠殺してしまわんと臭くて息もできんわ」

「仰せのとおりでございます」

「――しかし、リュウについては、どうしたものかな――ギデオンは、明らかにあのリュウを求めてこの街にきたのだ。つまり、リュウにはギデオンほどの男が求める何かがあるということだ」

 ユダは、この男には珍しく心を決めかねるような面持ちで顎に手をやり、しばし沈思した。

「――マルフォイよ、あの二人から目を離すな。ギデオンが何を求めているのか探るのだ」

「承知仕りました」

 そう言って深く頭を下げると、マルフォイは音もなく部屋から出て言った。


 ユダは一人ソファーに座り、正面の壁に飾られた絵画を眺めていた。

 その絵の中では嵐の中で荒れ狂う海に翻弄される船団と、その上で逃げ惑う人々がリアルに描かれていた。

 そして、その荒れ狂う海から龍の如き様相をした怪物が頭を出していた。その怪物は口から火を吐き船を焼き尽くし、鼻からは煙がもくもくと立ち昇っていた。その皮膚は金属のような固い鱗に覆われ、人々が射る弓矢を悉く跳ね返していた。

 これこそ、この地上の中で並ぶものなく、恐れを知らぬ生き物として作られたリバイアサンであった。あらゆるものを睨みつけ、あらゆるものを治める地上の王であった。

 ユダはその姿を眺めながら、小さくつぶやいた。

「……まさかな」

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