娼婦の誇り

 サラはリュウの前に立つと、血まみれになったリュウの顔を見つめた。

「――リュウ、だいぶやられたね。せっかくの男前が台無しじゃないか」

「――そうか、前よりもだいぶいけてると思うがな」

 こんな状態になっても不敵につぶやくリュウの姿にサラが小さく笑った。

「――リュウ、あんた、昔あたしに言ったね。娼婦だからって、へこたれてんじゃねえ、娼婦なら娼婦らしく、胸張って生きろって――リュウ、一つだけ聞いていい」

 サラは一歩リュウの前ににじり寄った。

「――リュウはさ、死ぬのって怖い」

 リュウは、目の前に立つサラが少し震えているのが分かった。

 それを見たリュウは、にこと笑った。

「――サラ、俺は死ぬのなんてちっとも怖くねえ。俺が一番怖えのは自分に負けることだ。臆病な自分に負けることだ。卑屈な笑いを浮かべて、だらだらと生き続けることだ――サラ、俺は負けねえよ。絶体に自分に負けねえよ、そうじゃなかったら、俺じゃなくなっちまうだろ」

 サラはリュウの片方だけ開いた目にまだ輝きがあるのが見えた。誇りがあるものだけが放つ光。

 サラはその光を綺麗だと思った、美しいと思った。そして、自分はそういう光を持つリュウのことを愛していたんだと一瞬の間に悟った。

 サラの顔にはもはや震えはなかった。

 サラは、さらにリュウに近づき、リュウの顔に手をやると唇を重ねた。

 激しいキスだった。サラの口に血の味が混じった。

 だが、その血はまだ熱かった。リュウの魂のように熱かった。

 サラは唇を離すと、最後ににっこりと微笑み、署長の方を振り向いた。

「――あたしは娼婦さ、だけど好きな男のためなら喜んで死ねる。あんたみたいな豚に、いくら金を積まれたって、脅されたって、決して心はやらない。それが娼婦の生き方ってやつさ。分かったか、この豚やろう!」

 そう言った途端、サラの口から血がだらだらとこぼれた。

 サラは自分の舌を噛み切っていた。

 再び、リュウの方を振り向いたサラは口から血を流しながら、よたよたとのリュウの側に近寄って、リュウの足を抱きかかえた。

 そして、まるで自身の命を捧げるかのように、リュウの足元に崩れ去った。


 リュウはその姿を目に焼き付けんばかりにじっと見つめていた。

 痛みは一切感じなかった。

 体の中で物狂しい何かが燃え滾っていた。

 神とはなんだ、世界とはなんだ、人とはなんだ。

 リュウは叫んでいた。

「神よ、これがてめえの作る世界か! てめえは自分勝手だ! 人を作っておきながら、人の争いを見て楽しんでやがる、てめえこそ、本当の豚野郎だ!」

 いつしか雨が降り始めていた。



 同じように怒り狂っている男がいた。

 せっかく楽しみにしていた余興を台無しにされ、民衆の前で聞くに堪えぬ罵詈雑言を浴びせられた署長だった。

 署長はぷるぷると震えながら、物凄い形相でリュウの前に立った。

「神など、どうだっていんだよ! てめえは俺に這いつくばらねえとだめなんだよ!」

 そう言うと、署長は思いっきり、リュウの顔面を殴った。

 何度も殴った。歯が折れた、鼻が折れた、残った左目からも光が消えた。

 喧嘩とも言えなかった、それは拳による虐殺だった。

 相変らず周囲は静まり返って、誰一人声を出さなかった。

 みな署長の怒りが自分に及ぶの恐れて、見るに堪えぬ光景を見続けていた。

「――ほおお、ようやく、少しは気分が張れたわ。ちょっとだぞ、ほんのちょっとなあ——おい、聞こえてるかあ!」

 そう言うと、署長はもはや元の姿など見る影もないリュウの顔を上げた。

 リュウはかすかに息をしていた。

「よかった。いや、よかった。少し、頭が切れてしまってな、思わず、殺してしまうところだったわ。さて、これからだがな、手前らは、俺のことを豚野郎などと言うだろ、そりゃあんまりだぜ、そういうことを人に言っちゃいけねえよ。学校で礼儀を教わらなかったのか――そっか、てめえらは学校もいけねえ、貧乏人だったな。だから貧乏人は生きる価値がねえんだよ。ごみ食って、みんな死んで欲しいもんだ。そうすれば俺の仕事もだいぶ楽になるだろ。そう思わねえか――おっと、また余計なことを言ってしまった。どうも、本当にな、頭が少し変なんだよ」

 署長はそう言うと、後ろを振り向いて、そこに突っ立っている警官に命令した。

「おい、あれを持ってこい。それと、こいつの縄をきって地面に寝かせろ!」

 わたわたと何人かの警官が集まり、リュウの縄を切ると、そのまま地面に寝かせた。

 そして、別な警官が後ろの方から豚を数匹曳いてきた。

「おいリュウ、てめえは豚に食われるんだよ。豚ってのは結構いやらしい奴でな、なんでも食うんだよ。でも少し、喰いやすいようにしておかねえとな」

 署長はそう言うと、地面に転がったリュウの腹を剣でぐりぐりと切り裂いた。

「大丈夫だ、死なねえように皮だけ切っただけだ。どうだ、上手だろ——おお、お前の内臓が見えるじゃねえか。これなら、豚も喰いやすいだろ。豚だって、喰いやすい方がいいよなあ。リュウ、良かったなあ、豚に食われて死ねるなんて本望だろ。俺は、ゆっくりと見物させてもらうぜ」

 そう言うと、署長は警官が準備した椅子に座って、豚に囲まれたリュウを満足げに眺めた。

 リュウはもはや全身の感覚がなかった。ぴくりとも体を動かすことができなかった。

 ただ、頭だけが妙に覚めていた。

 ――しょうべんひっかけられなかったのだけが心残りだが。まあ、俺の一生なんてこんなもんだろ。どうせ豚も腹を空かせてるんだろ、食われて死ぬのも悪くねえさ。親も兄弟もいるわけじゃねえ……でも、いっつも、夢に見るあの泣き声は誰の声なんだ。あれは俺なのか……いや、誰かと一緒にいたような気がするんだが……何言ってる……そんなこと、今更、どうだっていいさ、そろそろ休ませてくれ――

 

 豚が鼻をならしながら、切り裂かれたリュウの腹に近寄ってきた。腹から出た血が地面に流れ出て、雨と混じり合っていた。

 署長は、思わず身を乗り出した。

 これから起こるであろうことに頬が緩み、口からだらだらと涎がこぼれていた。

 反対に、周りにいた警官と市民は一斉に目を背けた。

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