向き合う時(2)

 石造りの闘技場内部にはいくつもの部屋が存在している。一部は義勇軍の戦士のための一時的な寮となっているが、空き部屋も多い。そんな空き部屋の一つに俺は差し掛かり、記憶と照らし合わせながら木製の扉に向き直る。

 扉に書かれているのは『第七控室』の文字。恐らくこの部屋は大会時以外も控室として使われているのだろう。

 俺は八割の確信をもってして扉を叩く。反応はない。残りの二割である疑念と不安が膨らみかける中、俺は扉を開け放った。

 ランプの明かり。窓から吹く風。部屋の奥、窓際に佇む長身で短髪の青年。二割の疑念と不安を確信が覆い潰す。


「……ユリウスさん。……来ました」


 俺は部屋の中に入っていき、窓際に佇むユリウスさんに向けて言う。彼は俺を一瞥してから窓の外へ視線を向けた。


「ああ。来ちゃったみたいだな。……この場所がわからないならわからないで、それで良かったと思う俺もいたんだが」


「それは、精霊に力を借りることの危険さを思ってのことですか」


「そうだ。知っているんだろう。『月の王』から上手く力を借りることが出来なければ死ぬ可能性もある」


 俺は胸元の銀のペンダントを握り、それから目を閉じる。

 ユリウスさんの言うとおりであることは身を持って知っている。『フル』によって身体を奪われるというのは『死』と等しいことだ。過去二度奪われた時は向こうが力を失っていたり、油断していたりしていたことから助かった。

 ……今、俺がフルに乗っ取られていないだけでも奇跡なんだ。自らその危険に突っ込んでいくことの危うさというのは理解できないわけではない。

 だからこそ、『気の良いお兄さん』でありたいユリウスさんからしてみれば、俺がこの場所にたどり着けないというのも有りだったのだろう。

 しかし、俺はこの場所にたどり着いた。ユリウスさんはその気持ちを蔑ろにする人ではない。

 目を閉じたまま、俺は口を開く。


「理解しています。それでも勝算が無いわけではないんです。自分の中で『嫉妬』は浮かぶ度に何度も殺してきた。あの汚い感情を押さえつける準備は出来ています。それに……」


 俺は目を開いてから続けた。


「……闘技大会。この場所で、ユリウスさんが俺に言ってくれたことを覚えていますか」


 窓の外を見ているユリウスさんの輪郭がピクリと動く。それから彼は観念したかのように振り返って俺に向き直った。


「あの時は『何をしてでも勝て』と伝えるために来たんだったな」


「……はい。そして、それは今も同じでしょう。だからこの部屋でユリウスさんは待っていた」


 ユリウスさんは俺を見据え、それから近づいてきて、そのまま俺の横を通り過ぎて部屋の出口へと向かった。


「買いかぶりすぎだ、輝。……さあ、案内しよう。ついてきてくれ」


 彼の後を追い、闘技場内部を進んでいく。廊下を進んでいくと地下へと続いていく階段に差し当たった。ただし、階段の前には通行禁止を示す柵が立っている。

 柵の一部には切れ込みが入っている。そして錠前。鍵さえあれば扉のように開くらしい。


「降りるぞ」


 ユリウスさんはポケットから鍵を取り出す。錠が落ちて、扉が開く。先にくぐって階段を降りていくユリウスさんに続いて、俺も段差を下へ。

 何十段も降りていく。壁や階段から石独特の冷んやりとした空気が肌へ伝わってきた。階段を降りきった時にはあたりは薄暗くなっていた。しかし完全な暗闇というわけではないらしい。壁の所々が微妙に発光している。目が慣れるまでは苦労しそうだが、何とかなりそうだ。

 俺が目を凝らして発行する壁の石を見ているのに気がついたユリウスさんは、壁に近づいていくと、淡く光っている石の一つを指先で突いた。


「魔法だよ。『イッソス』が作ってからもうどれだけの時間が経っているのかわからないが、この闘技場の何処かに仕込まれた魔導石から魔力を吸い取って光っているらしい」


「魔導石が、何処かにあるんですか?」


「そうだ。随分でかい塊なんだろうな。――足元気をつけろよ。暗いから――。この闘技場、地上部分は何度も建て替えられているが、地下部分は遥か昔の遺跡なんだ。それこそ、建国神話の時代の、な」


 壁の光に沿って歩いていく。二人分の足音だけが響く。


「輝は、湖の真ん中に島があるのは見たことがあるか?」


 湖の島。そういえば……。


「島……。ああ。はい。ありますよね。なんか、石の遺跡みたいなものもある感じの」


 ハリアに入る時に見かけたことがある。あれは確か、子竜との戦いを切り抜けて、小高い丘からハリアを初めて見下ろした時だ。小ぢんまりとした島があったのを覚えている。


「あれは、ハリア湖の名物でな。『触れざる島』と呼ばれている未踏の島だ」


 触れざる島という名前なのか。だが、しかし……。


「未踏って……あれだけ近くにあるのにですか」


 ハリアの湖は確かに大きい。だとしても、その湖の中央まで行くのには中型の船があれば充分だろう。それなのに未踏というのは違和感がある。

 俺が思ったことが伝わっているのか、ユリウスさんは「そうだ」と答えた。


「ある程度近づくと消えちまうんだ。王都の魔法使いが調べた所、今の技術では剥がせないほどの結界魔法が施されているらしい。今でも定期的に調査はされている」


 結界魔法。詳しい所はわからないが漫画やゲームで言う所のバリアであったり、姿をくらますものであったり、そういった類のものなんだろう。

 一応納得をする。俺が飲み込んだのを見届けてからユリウスさんは続ける。


「そんな島の神秘性を崇める祭が変化したのが、俺や輝が参加した闘技大会だ。でも、この闘技大会も元は別の目的があった」


「別の、目的」


「『触れざる島』への挑戦者を探すための祭なんだ」


 いきなり話が飛んで、俺はユリウスさんへ疑問を含んだ視線を向けた。彼はというと、分かっている、とばかりに再び話を続ける。


「『触れざる島』にはある大魔法使いが、力の源たる精霊を封じた。この遺跡はその封印の地につながっているんだ」


「……魔法使いっていうのは『イッソス』で、精霊っていうのは……『月の王』」


 過去、ユリウスさんが語った彼ら一族の話と、俺が王都で手に入れた情報を今の話の流れにあわせて補完する。

 彼は俺にうなずきかけた。


「そうだ。そしてイッソスに頼まれて、その精霊を封じ続けていたのが俺と、マーカスと、エリスの一族の源流だ。だが、力に目が眩んだ俺たちのご先祖様は、精霊を扱える強靭な肉体と、それを支える精神を持つ人間を探し始めた」


「そうか。それを探すのが、もともとの目的……」


 元の世界にも、日本にだって力比べをお祭りで行うところは存在している。多くは神に武芸を捧げるためという目的があったはずだが、このハリアにおける闘技大会もかなり近いお題目を掲げていたんだ。

 ……その裏には、薄ら暗い権力への欲望があったとしても。


「まあ、そんな目的すら風化するほどの年月が流れて、今に至るんだけどな」


 ユリウスさんはそう言うと、光る壁から手を離してまた歩き始める。俺は慌ててそれについていく。


「……ユリウスさんは何故、そんなことを知っているのですか」


 目的すら風化するほどというからには遥か昔の出来事であり、今を生きる彼が知る由もないのが普通だ。

 だが、ユリウスさんは何でも無いことのように微笑う。


「マーカスも、エリスも知っている。ミラー家、ソード家、ジュエル家の家督や嫡子はそれぞれ伝承を受け取っているんだ。そして自らの代に起きたことを記録し、次へ受け継ぐ。それを繰り返している」


 文化の伝承だ。形式がどうなのかまではわからないが、行われていてもおかしくはない。ユリウスさんの語り口には妄想や想像で作ったのではない自負が垣間見えている。

 だけど、そうなると。


「……ユリウスさんは俺を、触れざる島へ連れて行こうとしているんですよね」


「ああ。そうだ。力の源は本来、輝の持っている『銀の首飾り』に宿っていたものだからな」


 そう言ってユリウスさんは俺を振り返る。


「別に、その力を使って権力を……なんて考えちゃいないさ」


 考えていたことを見透かされて、俺は少し恥ずかしくなる。ユリウスさんはまた前を向いて歩きながら話す。


「むしろ俺は、返すべきだと思っているんだ」


「返す?」


「俺たちの御三家は……旧くは島の守り人として権力をつけた。何かを成し遂げたわけじゃない。おこぼれなんだよ。正当なものとは言い難い。だから、返すんだ。役目も、不当な権力も」


 地下の遺構を進んでいき、遠くに大きな長方形の壁が見えてくる。壁には薄っすらと光る文様。銀のペンダントに刻まれている文様によく似ている。

 ユリウスさんは歩きながら続ける。


「ただ、マーカスは返したがっていない。俺が輝を保護したことはすぐにマーカスの耳にも入るだろう。だから、ろくにお前を休ませもせずにこの場所へ呼びつけた。今この時を逃してしまったら機会は無いからな」


「つまり、それは……」


「……がっかりしたか。そうだ。俺も、俺の目的のために輝を利用しようとしている」


 そういうことだ。

 確かに、力を欲したのは俺だ。でもユリウスさんにも目的がある。純粋に俺のためだけに動いてくれているわけではない。

 巨大な壁の前までたどり着き、ユリウスさんは立ち止まって俺を振り返った。


「止めるか? 今ならまだ引き返せる。俺としても、そっちのほうが良いと思う」


 真摯に問うてきている。彼の目に嘘はない。これ以上、隠していることもないのだろう。

 ……隠していることもない、か。騙すつもりがない時点で、やはりこの人はお人好しの『気の良いお兄さん』だ。


「……ユリウスさんが言っていたとおりです。どれだけ心で決めたことであっても、現実に働きかけるための『力』がなければ存在しないに等しいって」


 それは、ミアのいる場所に行くための力でもあるし、この世界で償うための力でもある。

 誠意だけではどうしようもないことがあると俺は知っている。気持ちだけでは埋められないものがあると俺は知っている。確かに綺麗ではないけれど、高潔であることに拘って身動きがとれないのであれば、やはり、何もしていないのと同じだ。

 だから……。


「『力』を手にしようと思っているのは、俺の意志です」


「……そうか。危険があることも、分かってるんだよな」


「……はい」


 声が震えた。この震えは自信が無いからなのか。怯えているのか。

 カビ臭さが鼻に付く。ユリウスさんの吟味する様な視線が俺の目の奥を覗き込む。彼は静かに口を開いた。


「……この数日、路地裏で暴れているものがいるらしいと聞いて、俺はハリアで色々な人から情報を集めたよ。その中にはシュヘルから避難してきた難民や、お前を責める戦士もいた」


「そう、ですか……」


「だが、どれもくだらないものだった。苦しいから、誰かに責任を追わせたい気持ちが透けて見えたよ。……命をかけるほどの価値はないと思う。大方、狛江ソラたちも同じような手合いだと俺は思っている。確かに力を取り戻すことを提案したのは俺だ。だが、従う必要なんてないんだぞ。……それでも行くのか」


「……はい」


 彼が俺のことを心配してくれているのは伝わる。だからこその優しい言葉だと分かっている。だけど、優しい言葉はその先の面倒を見てはくれない。この先の俺の面倒を見るのは、俺自身の行動だ。

 だから俺は、進むんだ。

 ユリウスさんが目の前で右手の手袋を外し始めた。手の甲に何かの図形の入れ墨がある。


「輝の決心が揺るがないのはわかった。これ持ってけ」


 そう言ってユリウスさんが懐から取り出して渡してきたのは火薬の匂いのする筒だった。手のひらに収まる大きさで先っちょに紐がついている。


「発煙筒だ。紐を引っ張れば着火出来る。『月の王』を従えるのに成功したらそれで狼煙を上げろ」


「……わかりました」


 ユリウスさんは薄暗い中で笑みを見せるとその手袋を外した右手を壁に刻まれた文様に掲げ、手のひらを当てようとして、止まる。そのままの姿勢で俺の方を見ずに言う。


「羨ましくもあるよ。お前みたいな生き方も」


 ユリウスさんはその手を壁にあてた。すると壁の文様と入れ墨が共鳴するように光を放つ。石の壁は音も無く真ん中で割れて開き、その先にある真っ暗な洞窟が口を開いた。

 完全に壁が開き切ると同時に明かりが灯る。通路の様に真っ直ぐと続く洞窟の壁面には魔法の松明が延々とついて照らしていた。


「ここを通っていけ。湖底トンネルだ。これで島まで行ける」


 つばを飲み込んで、それから足を踏み入れた。すれ違いざまにユリウスさんへ頭を下げた。


「ありがとうございました。……行ってきます」


「ああ。健闘を祈る」


 俺はユリウスさんの言葉を聞いて、洞窟を進んでいく。

 しばらくすると背後で音がした。振り返ると石の壁は閉まっていた。ユリウスさんも去ったのだろう。

 いよいよやるしか無くなった。必ず魔力を取り戻す。嫉妬に負けずに。

 荒い岩肌のトンネルを進む。ふと天井を見た。このさらに上に湖があるんだと思うと少し怖くなる。

 歩く、歩く。足元は整備されていて歩きやすい。十分も歩いただろうか。行き止まりに突然螺旋階段が現れた。島の地下までたどり着いたんだ。

 ここから先は嫉妬の精霊が……『フル』がいつ姿を見せてもおかしくない。気をつけて行こう。

 木製の螺旋階段が俺の体重を乗せて軋む。ユリウスさんはとても古い時代の遺跡だと言っていたけれど朽ちている様子はない。防腐処理が完璧なのか、これも魔法の力なのか。


「……終わりだ」


 螺旋階段を登りきると木製の扉が在った。古くなっているがちゃんと開く。ノブを掴んで開けると外に出た様で、正午の強い陽光があたりを照らしていた。

 ついでに言うと、異常なものもいた。


「な……」


 息をのむ。驚いた。天井の無い吹き抜けの大広間。その中央に家と見紛うほどの馬鹿でかいドラゴンが居た。よく見ると両手両足に輪がはめられていて、輪には頑丈そうな鎖がついている。

 俺は恐る恐るドラゴンに近づいていった。


「……『証』を」


 確かにそう聞こえた。ドラゴンが喋っているのか。そもそもドラゴンが喋るものなのか。頭がパンクしそうだ。


「あ、と……」


 動揺しながらもドラゴンの言葉を反芻する。『証』? 銀のペンダントのことか?

 俺は慌てて胸元からペンダントを取り出してドラゴンに見せた。ドラゴンは納得したのかその場を退く。ドラゴンのいた場所の後ろから石造りの遺跡と扉が覗いた。

 進め、ということだろうか。

 俺はペンダントをしまい、背中のグングニルに手をかけつつ扉へ向かう。すれ違いざまにドラゴンが語りかけてきた。


「嫉妬を御する事が出来なくば、私が狩る。奴をここから出す事は無い」


 このドラゴンもイッソスが用意したのだろうか。俺は口を結んで気合を入れて、扉の方へ向かった。

 扉をくぐり抜けた先は神殿のようだった。

 魔法の松明が灯っていて、しっかりと明るさは確保している。外の光は全く入ってこない。階段が有り、途中には石舞台、また階段があって一番上に祭壇がある。

 そして石舞台には祭壇への道を遮るように一人の人物が立っていた。俺は階段を上りその人物と文字通り同じ舞台に上がる。


「久しぶりだね。久喜、輝」


 鳥肌の立つような懐かしさだった。


「君とこうやって話せる機会をずっと待っていたんだよ。唯一の理解者としてね」


 不敵に、嫌味ったらしく。その姿は制服姿の俺、そのもの。


「……ああ、久しぶり。醜い嫉妬野郎」


 罵ったつもりなのに、奴は長い前髪をかき上げながら、俺の顔でいやらしい笑みを浮かべていた。

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