強襲(1)

 海風が吹き込む丘の上に、その建物は在った。

 砦のような石造りの物々しい拵えであり、装飾のたぐいは乏しい。その建物を取り囲むようにして石壁も作られており、一箇所だけ存在している門は鉄製の頑強なものだ。

 建物から数キロメートル離れた丘の下には大きな港町が広がっており、港町から丘の上のその建物までの道のりにはいくつかの森が点在している。

 今、その道を辿って一騎の騎馬が鉄の門へと近づいていく。


「……まさか、あのカイルが倒れるとはな……」


 騎馬を駆るのは黒い外套を纏った男。刈り上げた赤い髪が風に揺れ、屈強ながらも険しい顔つきが顕になる。

 彼は門前にたどり着くと、手綱を操り馬を停めて叫ぶ。


「ノーバート・リード、ただいま戻った! 閣下に伝えることがある! 急げ!」


 ノーバートの声に応じて鉄の扉が開いていく。彼は馬に乗ったままその砦へと入り込む。

 門の内部には庭園が存在していた。中央には噴水があり、花壇には目を慰める色とりどりの花々が咲く。そんな庭園を突っ切ったノーバートは途中で馬を降り、そのままの勢いで建物の扉を押し開けて中へと駆け込む。

 篝火と、窓からの明かりで照らされた大きなエントランス。内壁は冷たい石製の質素なものではあるものの、床に敷かれているカーペットの赤が僅かに温かみをもたせる。

 そしてそこには、ノーバートの外套と同じ黒さの鎧を身に纏う男が立っていた。


「ラルガ・エイク閣下!」


 男の存在に気づき、ノーバートは慌ててその場に跪いて頭を垂れる。


「義勇軍によりカイル隊は壊滅。カイル自身も倒れました……!」


 ラルガと呼ばれた男はにじりとノーバートに近づいていく。彼が歩むたびに発する黒い鎧の軋む音。そして、腰の日本刀の鍔鳴りがフロアに響く。

 彼はノーバートの直ぐ側まで来ると、重々しく口を開いた。


「……詳細を聞こう」


 ノーバートは首を振り、否定する。


「先んじて、お渡ししたいものが」


 彼は懐からこぶし大の大きさの黒い珠を取り出す。黒い珠は篝火の明かりや窓からの陽光を反射して煌々と輝く。まるで濡れているかのようなぬらりとした鏡面。黒い、塊。

 そして、ノーバートはそれをラルガへと差し出した。


「カイルより、『ラルガに渡せ』と言付かっています。……例の、『胚珠』と思わしきものです」


「そうか……。これが、か」


 ラルガはノーバートの手から『胚珠』を受け取る。瞬間、彼は顔をしかめるが、それを抑え込むように『胚珠』を握り込んだ。

 彼の右腕の人差し指に嵌っている黒い指輪がかたかたと音を立てて震える。それを見て、ノーバートは確信した様子で頷いた。


「その『胚珠』……本物のようですね」


「ああ。間違いない。指輪の反応だけではない。……分かる。これを求めていた」


 厳しいラルガの顔に笑みが浮かぶ。『胚珠』を握りしめたまま、彼はノーバートへ背を向けた。


「ノーバート。私はこれから祭壇へ向かい、『これ』を『種子』へと変える。手はず通りに終わり次第、折を見て迎えに参れ」


「かしこまりました」


 再び頭を下げるノーバート。そして、ラルガはこのエントランスにいる『もうひとり』に向けても声をかける。


「ラーズ! いるか!」


 エントランス内に響き渡るラルガの声。すると、天井から一人の男が『落ちてきて』着地した。

 二本の槍を背に負い、緩い笑みを浮かべたその男は「もちろん、いるぜ」と答える。


「ラーズ・ガルシア、推参! ……なんてね。お呼びでしょうか、閣下?」


「ラーズ! 無礼だぞ!」


 飛び降りてきた男、ラーズの言動を咎めるノーバートだったが、ラーズは飄々とした態度を崩すことはない。ノーバートもそれを理解しているのか、大げさなため息をつく。

 一方のラーズも冗談を返すがごとくノーバートに向けて舌を出す。


「あんたは真面目すぎなんだよ、ノーバート。全身石で出来てんのか。……で」


 ラーズはふざけたような笑みを崩さないままでラルガに向き直った。


「何をすれば良いんですか、閣下」


 笑顔のラーズに判断を求められ、ラルガは釣られたように自然な笑みを漏らす。


「これから数日、門番と代われ。……もしかしたら、お前が楽しめる相手が来るかもしれないぞ」


「おお……それは、閣下のいつもの『勘』か?」


「ああ、そうだ。俺が『ラルガ』を名乗る前からお世話になっている『勘』だ」


「そりゃあ、期待できるな。最近訓練ばっかりで飽きてたから丁度いい」


 ラーズは舌なめずりをして、より一層笑う。邪悪なものではない。好奇心と興奮を携えたそれは、まるで玩具を与えられた子供のように純真だ。

 そんなラーズを見て、ノーバートがくつくつと笑った。


「ふふ……。その割には訓練も楽しそうだったけどな、『先生』」


「あ? ……まあ、な。ちょっとばかし前に、良い感じの『生徒』が居たんだよ。おかげで、教えんのも悪くねえな、ってね」


 そう言ってから、「逃げられたけどな」と補足する。それからラーズは振り返り、ノーバートが開けっ放しにしていた入り口の扉を見遣った。差し込む光が一本の筋となってラーズたちを照らしている。

 ラーズは眩しそうに目を細めてから、背中の槍を撫でるようになぞった。

 彼は思い出している。わずか数日の期間であったものの、懸命に縋り付いて、食らいついていた少年のことを。


「――あいつはまだ、どっかでこの『道』を歩いてるものなのかね。『覚悟』を持った人間が歩く『道』を」



 ヒュルーを出立した七人組は、数日の旅を経て、ヤマトという港湾都市から離れた森の中に潜んでヤマトの近郊にある丘を観察していた。七人組の内、二人を除いて白いローブマントを身にまとっている。

 狛江ソラ。橋山一樹。白石綾香。天見舞。成瀬速人。その五人。そして、ローブマントを身にまとっていないエレックとミアの二人。

 速人は手作りの望遠鏡で丘の上に聳そびえ立つ石造りの建物を睨んでから呆れたようにため息をつく。


「領主の館というには、随分物々しいですね」


 彼の言った通り、その望遠鏡の先にある建物は『砦』のような頑健な作りをしていた。全体を石材で構成しており、館に至るためには鉄製の門を潜る必要がある。


「大勢で来なくて正解かもしれません。あれだけの設備です。こちらが数を用意して攻め込むつもりだと悟られたら籠城されてしまうでしょう。ただでさえ頑強なあの砦を相手に攻城戦を仕掛けなくてばなりません。石造りゆえ、火計も難しい」


「それじゃ、どうする」


 そう言って口を挟んだのは金髪の青年剣士であるエレック。「少人数ならなんとかなるのか」と速人に対して疑問を投げかける。

 だが、それに答えたのは速人ではなく、ソラだった。


「あの程度の鉄の扉だったら問題ない。この『グラム』と俺の光魔法で突破できる。軍隊が通れる幅は作れなくとも、数人なら充分入り込める」


 そしてソラは拳を握る。「その後は……ラルガを目指して突き進む」と言う。重い決意が込められているかのように、深く沈み込むような声の調子だ。

 周囲にいる白いローブマントの少年少女たちもそれに対して頷いた。だが、エレックは「悪いが……」と口を挟む。


「俺とミアは、ラルガと戦うつもりでここまで来たわけじゃない。……サターンを探すために来たんだ。中に入ってからは別行動させてくれ」


「うん。そうさせて欲しい」


 エレックの隣に立つミアも彼の言葉を後押しする。ソラが代表して「分かった」と了承した。

 彼らの中でそれぞれの行動方針がまとまったところで、一樹が「具体的には、どうしようか」と切り出した。


「火計が使えないんじゃ、どうしたって正攻法になるよな……。もしかしたら忍び込むことも出来るかもしれないけど、見張りもいるだろうし、そう簡単には行かないだろ。……せめて、夜まで、待つか?」


 一樹の提案に、首を横に振ったのは速人。彼は眼鏡の位置を直しながら話し始める。


「いえ……。夜の闇の中では魔法の光でこちらの位置がバレてしまいます。それに、私たちにも夜戦の経験は殆どありません。あまり、得策ではないかと」


「それじゃ、正面突破だね」


 綾香が速人の言葉を受けて言った。『正面突破』という考えなしに思える提案に対して速人は顔をしかめるものの、ソラは綾香の言葉に頷く。


「ああ、そうだな。……それで、これから攻めるにあたってなんだけど、……綾香、舞。二人はここに残って――」


「――嫌だね。あたしは残らないよ。一緒に行く」


 弱気なソラの言葉を遮って綾香は言う。その横にいる舞も続けた。


「……私も、皆と一緒に行きたい」


 二人とも真剣な眼差しでソラを見据える。だが、彼女らの目に圧されて目を逸らしつつも、ソラは頑として退かない。


「……だけど、危険だ」


「ははっ」


 そんな様子を見て、吹き出すように笑ったのはエレックだった。突然のことに驚いた様子でソラが彼の方へ視線を向ける。


「……エレック?」


 視線を向けられたエレックは「あ。いや、すまん」と頭を掻き、それから少し、悲しそうな表情で呟く。


「……ソラが、俺の知り合いによく似てると思って、な」


 彼の隣にいるミアは、その『知り合い』が誰なのかを察し、それでもエレックとは対称的に微笑んでみせた。


「そうだね。……良く似てる、と思う」


 彼女も呟いて、それから『知り合い』との会話を思い出して、「本当に」と付け加える。

 彼らの言う『知り合い』が誰なのかを意識しているのか、複雑な表情で一樹が一歩前へ出た。


「ちなみにさ、その『知り合い』は、結局どうしたんだ?」


「結局……、周りの人が無理やりついていったかな。毎回」


 ミアが、ケイロス家の別邸での朝食や、『グリフォンの羽根』での会話、ハリアの宿屋でのやり取りを思い出しながらそう言うと、一樹は満足そうに「じゃ、そういうことだな」と腕を組んだ。


「……行こうか。ソラ。先陣は切ってくれるんだろ? あの門を破るための」


 ソラはこの場にいる全員の顔を見回す。それぞれが、すでに覚悟を終えた表情で彼のことを見返してくる。それを目に強く焼き付けてから、彼は長く息を吐いて頷いた。


「……ああ! 任せろ! ……ありがとう、皆」


 そして、彼は白い大剣『グラム』を握りしめる。ゆっくりと剣を引き抜き、決意の表明とばかりに掲げてみせた。


「道は俺が切り開く。皆、ついてきてくれ」


 白い大剣の刃に陽光が反射し、ソラの顔を照らし出した。

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