羽撃く影(2)
「明日には出発か……」
茶色く染めた髪を短くした髪型の少年は呟いた。
太陽が登りきった昼日中、彼はヒュルーという村の外れにある広場でしゃがみ込み、戦いで扱った武器の手入れを行っている。手にしている武器は二本の剣。片刃の剣だ。二本とも同じ形の量産品であるものの、その二振りは港町ウートから続く彼の旅を支えてきた相棒でもある。
彼は剣の柄に巻かれている紙を剥がしながらため息をついた。紙は手垢と旅の汚れで黒ずんでいる。
「ああ……こりゃ、もう駄目だな。取り替えるか」
剥がした紙の裏面――柄に接していた方――には黒い文字が書かれていた。紙幣と同じくらいの大きさの紙に『堅牢堅固』と大きく書かれている。
「ペンと紙は……と」
彼は近くに置いていた荷袋から新しい紙と、この世界には似つかわしくないマジックペンを取り出した。ペンも紙も、彼が『元の世界』から持ってきていたものである。そして彼は紙を地面に置き、マジックペンのキャップを外す。
「今回も……『堅牢堅固』だな」
少年は右手に嵌めている赤い指輪に左手で触れた。ほのかに赤色の光が溢れてきて、その光はマジックペンにまとわりついていく。それを確認した少年はさらさらと筆を運び、『堅牢堅固』という文字をしたためた。
「こんなもんか。……もう一枚書かないと」
ぶつくさとつぶやきながらもう一枚の紙を取り出していく。そこへ近づく影が一つ。色素の薄い黒い長髪の少女だ。彼女は少年の近くまで来ると、その隣に座った。
「一樹くん、何してるの?」
一樹と呼ばれた少年は文字を書く手を止めて、隣に座った少女を向き直る。
「舞。……まあ、ちょっとしたおまじないだな」
「……おまじない?」
一樹が舞と呼んだ少女は文字の書かれた紙を覗き込んだ。「堅牢堅固……」と、書かれている文字を呼んでから首を傾げる。
「……どういうおまじない……?」
舞に訊き直され、一樹は再び紙に視線を落とし、文字を書き始めながら話し出す。
「言霊の類だな。モノに名前をつけて呼ぶ、願い事を言葉にする、恨みの言葉を相手に吐く……。ある種のそういった言葉が、現実に影響を与えると考える人間は日本古来から存在していた」
彼はさも当たり前の如く話す。それを受けて、舞は作り笑いを返した。
「一樹くんって、『そういうもの』も信じてるんだね。ちょっと意外かも」
「何言ってんだよ、舞――」
舞の放った言葉に、一樹は文字を書く手を止めてから振り返った。薄っすらと笑みを添えて。
「――今のこの状況自体が、『そういうもの』、そのものじゃないか」
冗談のように言う一樹から滲み出る、『冗談』ではない空気が二人を包み込んでいく。まるで、冷房の効いた屋内から夏の蒸し暑い屋外に出ていくような感覚だと、舞は感じた。それに呑まれた彼女は思わず喉を鳴らして頷いてしまう。
「……そう、かも」
それを見届けた一樹は満足そうに、今度は自然に目を細めて笑う。さっきまでこの場に満ちていた『空気』は一気に身を潜めた。
一樹は手に持つマジックペンを小さく掲げてみせる。
「まあ、俺も『言霊』とやらを元から信じていたわけじゃない。だけど、この世界には……俺たちの『アクセサリー』には、『魔力』と呼ばれるものが宿ってる」
彼の持つマジックペンの先に赤い光が宿っている。ペン先が揺れるのに合わせて光が空中に軌跡を描く。
「俺たちが持っている『時計』。あの魔法陣は、魔力という原動力があって動かすことが出来た。それで思ったんだ。『時計』と同じように、言葉に魔力という原動力を込めることで、『言霊』のようなことが出来るんじゃないかと思ってな」
「……効果はあったの?」
舞は素直に首を傾げる。「『堅牢堅固』だったよね」と言い、それからゆっくりと彼の剣を覗き込んだ。
一方の一樹は肩をすくめて見せる。
「さあ、どうだかな。札を貼った剣と貼らない剣で、ちゃんと比較検証したわけじゃない。だからそういう意味じゃ、まさしく『おまじない』、だ」
そして彼はからから笑う。つられて舞も口元に小さく弧を描く。
「オカルトって言うのかな。……一樹くんは『こういう事』に詳しいんだね」
そう言った舞。彼女は文字通り以上の意味もなく言葉に出したつもりだったが、一樹は笑みを潜めて複雑な表情になる。
「まあな。……色々あったから、中学の頃に」
彼は思い出す。舞の言う『こういう事』に深く関わった中学時代。その場所には、居なくなってしまった『柏崎燕』と、ここには居ない『久喜輝』の存在があったのだと。
一樹の雰囲気を見た舞も、彼と同じような表情で地面を見下ろした。
「……中学、久喜くんと一緒だったんだよね」
「……ああ」
一樹は目をつむる。
「あの頃が一番、『こういう事』と縁も深かったな。多分、輝もおんなじだろ」
「……久喜くん……」
ぼそりとつぶやき、それから舞は顔を上げた。
「……私、言い過ぎたかも知れない」
独白のような彼女の、罪悪感を感じる発言。一樹は返事をせず、ただ目を開く。
舞は、支えていたものが外れたように話し出す。
「あれから、寝るまで……今日の朝、置きてからも。久喜くんの立場になってもう一度考えてみたの。確かに久喜くんのやり方も、言い方も、正しかったとは言えない。それでも、昨日みたいに急に呼び出されて、囲まれて……。あれじゃ、責められてると思っても仕方ない。反発したって、仕方ないと思う。……久喜くんにだって事情もあって、だとしても、良くないことを言ったのは本当だけど。でも、久喜くん自体は――」
舞はこの『異世界』に辿り着いた時のことを思い出す。甲冑龍と呼ばれる怪物によって命の危機に苛まれた時のことを。そして、その時助けてくれたのが、他ならぬ輝だったということを。
「――久喜くん自体は、優しい人で、私は――」
彼女は更に思い出す。
シュヘルという町で、ソラを筆頭に掲げられた『将軍を倒す』という目的に乗らなかった輝。そして、彼女自身は、その時の流れに身を任せて、大多数の方へ意見を寄せてしまったことを。
「――私は、卑怯者だった」
舞は消え入りそうな声をこぼして、またうつむいてしまう。
横で聞いていた一樹は、その手のペンを回して、それから一つ息を吐いた。
「俺はシュヘルでのその場にいなかったから、舞が考えていることに対して、かけられる言葉なんてない。励ます言葉も、責める言葉も、俺にはない。何かを言ったところで、こんな薄っぺらな『言霊』よりも薄っぺらだ」
彼は『堅牢堅固』と書かれた札を睨みつけてから、「だけど、昨日の夜については別だ」と言った。
「輝にも事情があったのは、そうかもしれない。でもあいつは……人の命の重みを知っているはずなのに」
彼の脳裏に一人の少女の笑みと、それが写し出された『遺影』がよぎる。
「あいつはその場の感情だけで速人に武器を向けた。どこまで本気だったのか知らないけど……殺そうとしたんだ。それが俺には許せない」
「一樹くん……」
自分とは違うものを抱えた一樹。その想いに触れつつ、舞も具体的なことは何も言うことが出来なかった。それは先程一樹が言った通り、事情を知らない自分の言葉が『薄っぺら』なものになってしまうと思ったからだ。
無言の二人。彼らを撫でるように風が吹く。一樹は『堅牢堅固』の札が飛ばされてしまうのを防ぐために「おっと」と慌てて札を押さえつける。すると、足音が一人分、すぐ近くまで来ていた。
「ここに居たのか」
顔をのぞかせたのは金髪の若者剣士、エレック。常に側に居たミアも今は近くにおらず、一人きりで一樹と舞の近くまでやってきていた。
「あ……エレックさん」
舞が彼に気づいて顔を上げるも、エレックは苦笑して首を横に振った。
「……いや、エレック、と呼び捨てにしてもらって良い。あんたらは、恩人だからな」
「え……?」
何のことを言っているのか分からない、という節の舞にエレックは説明を始める。
「王都での戦いの時、あんたらは庇ってくれた。ほら、あいつが……久喜輝が倒れた後」
王都で輝は『フル』に心を奪われ暴走したが、彼が自らの心の中で『フル』を下すことで動きを止めた。そこへ反撃のためにナイフを手に輝に襲いかかった速人を止めたのは一樹であり、それまでの戦いで傷ついたエレックを治療したのは舞の魔法だった。
エレックは頭を下げる。
「今まで伝えそこねてたけど、感謝はしてるんだ」
「……あの、それは――」
舞が何か答えようとしたのを一樹が制するように、横から割って入り込む。
「――輝の仲間だと思ったからだ。あいつが庇う人間が悪いやつじゃないのは、俺だって分かる。……こんなことになった今でさえ、俺はそう思ってる。助けたのは、あなたたちのためじゃない。頭を上げてくれ」
一樹は半ば自分に言い聞かせるような調子で答えた。
エレックは目を丸くしながらその言葉通りに素直に頭を上げ、それから微笑んだ。
「……随分と変わった人間だな、あんたら。まだ、狛江ソラたちの方が分かりやすい」
一樹は「そりゃどうも」と皮肉交じりの礼を言い、それから視線をそっぽへ向ける。
「昨日のことがあった後だ。虫のいいやつだと思うかも知れない。……けど、――言動は置いといても――俺はあいつ自身のことは信じてるんだよ、友人だから。……そう言うエレックはどうなんだ?」
一樹は再び、エレックへと視線を戻す。睨みつけるようでいて、それでも何かを懇願するような視線。
「同じじゃないのか、俺と」
問いかけられたエレックは、今度は先程の一樹と同じように目を逸らした。彼は胸元を掴んで、苦しそうに言う。
「……あいつは、俺の第二の故郷を馬鹿にした人間だ」
胸中で、エレックは惑う。
故郷を馬鹿にした人間だ。反省の色も見えない人間だ。それにあの後、輝と二人で話しただろうミアは泣きじゃくって戻ってきた。
「……あいつは……」
そんな意図は無かったかも知れないが、闘技大会で『デミアン』と戦い抜いて、服従の魔法から開放した人間だ。『ミア』という名前を与えてくれた人間だ。王都で庇ってくれた人間だ。
「……いや」
エレックはそんな胸中の靄(もや)を押し込めるようにして、取り繕うように笑顔を貼り付ける。
彼は、目の前にいる少年少女のような子供ではない。かと言って、大人にも成り切れていない自覚もある。だが、まっすぐな子供のいるこの場で本心をさらけ出すことを厭って、顔面に笑顔を貼り付けている。
「……そんな話をしに来たんじゃない。お礼が言いたかったのは本当だけど、さ。……昼食の時間を知らせに来たんだ。本陣前で狛江ソラたちが待ってる。ヤマトへの潜入についても話したいそうだ」
事務的な言伝。一瞬、一樹と舞の顔は強ばる。目の前の大人が、問いかけから逃げたのだ。それを責めることも、答えを話すように追い立てることも出来ると一樹は考えた。
それでも、彼は――。
「ああ、もうそんな時間か……。分かった。これしまってから行くよ」
――そうしなかった。自らがエレックに放った『問いかけ』の答えを聞くべきは、自分ではないと思ったからだ。
同じように感じて、その隣に座る舞も頷く。
「わかりました。私も一樹くんの片付けを手伝ってから行きます。……ありがとう、エレック」
「ああ。さっさと来いよ。じゃ、先に行ってる」
エレックは二人にそう告げてからその場を去る。
彼も、一樹に追及されなくとも理解していた。一樹の『問いかけ』に対する答えが一体何で、誰に言うべきことなのかも。
そして、自分よりも幼いはずの少年少女を前に逃げ出してしまうような形をとってしまった自分を自嘲するかのごとく鼻で笑った。
「……『抱えてるものが大切なら、手放さないことだな』、か」
彼はふと、フラルダリル鉱山の出口で旧い知り合いに言われた言葉を思い返して口にする。
そう言われた直後に、抱えているのではなく支え合っているだけだ、と言い返したことも思い出して、彼は再度笑った。
「ふっ。『唯剣』様もハリアに戻ってくれて良かったな。こんな状況見られたら、また皮肉の一つでも貰いかねない」
それから地面を蹴る。
「……くそ」
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