罪科(2)

 白石さんと速人は天見さんとソラが着ているのと同じ、フード付きの白いローブマントを身に着けていた。どこか同じ店で調達したのだろうか。この様子じゃ、一樹も同じローブマントを着ているかもしれない。

 ソラと、俺を挟んで天見さん、白石さん、速人。俺も含めて言葉を失い沈黙が走る。それを始めに打ち破ったのは白石さんだった。

 彼女は目を大きくさせてソラそっくりに驚いた表情を見せて、それからその顔を怒りに覆わせていく。


「……あんた……どの面下げて……!」


 白石さんが両手をローブマントの下から出す。彼女の手にはまっている指輪が緑色の光を出したかと思うと、植物の枝がにょきにょきと手のひらから伸びていき、不格好ながらも木製の弓と矢が生成された。そのまま流れるような動きで弓に矢をつがえて、俺に狙いを定める。そして、……放たれる。


「うわっ!」


 矢は俺の足もと数センチずれて地面に刺さった。反応もできなかった。


「動かないで。妙な動きをしたら、次は当てるから」


 白石さんはそう言うと、再び魔法で木製の矢を生み出してつがえる。

 言われなくても動けるわけがない。前後を挟まれている。こんな状態で戦いに発展したら五秒も持たない!


「ま、待って、待ってくれ! 戦うつもりはないんだ! 話をさせてくれ!」


「話をするなら、その武器を捨てて両手を上げて。それとも、両手両足を撃ってからのほうが話しやすい?」


 張り詰めた声色。武器を捨てろと言われているものの、俺はグングニルを手放すのをためらってしまう。武器を持たないことの危険を、この旅で嫌というほど味わったからだ。

 だが、この状況を変えてくれたのは、意外にも速人だった。

 彼は人差し指で眼鏡の位置を調整しながら白石さんの前に出た。


「速人! 何してんの! 邪魔!」


「止めましょう、綾香。そこまで警戒してあげる必要もありません」


 彼はそう言って大げさにため息をついてみせる。そして、俺を見据えた。


「王都で出会ったときのあなたであれば、今の綾香の矢に怯える必要は無いはずです。好きなだけ風を吹かせて射線を逸らすことができる。そもそも武器だってすぐに手放しても問題ない。幾らでも魔法で作り直せるからです。しかし……今のあなたは本気で焦っているように見える」


 眼鏡の奥で、彼は目を細めた。


「魔法が、使えなくなっているのでは?」


 ハッタリだと思った。速人が言っていた理由だけで、俺が魔法を使えなくなっていると見抜けるとは思えない。だが、事実として当たっている。

 もちろん、俺のポケットには『魔導石』がある。こいつを使えば何度か魔法は使えるだろう。だが、今この状況においては、俺は魔法を使えなくなったとしたほうが良いように思えた。


「……そうだ。俺は魔力を失った。王都の戦いの、その代償だ」


 認める。すると、速人の後ろで白石さんが弓矢を下ろしたのが見えた。速人はそれを一瞥して、今度は俺の奥にいるソラへ言葉を投げかける。


「ソラも剣を下ろしなさい。今の所、あなたが一番心配です。少し休んだほうが良い。この男の対応は、私たちの方でやっておきますから」


「速人……。……分かった。そうしよう」


 ソラが素直に剣を引いて腰の鞘に納めた。それから彼は俺の脇を素通りしていく。無視をされたような気持ちになり不愉快だったが、助かったのも事実だ。


「綾香、あなたももう大丈夫です。ソラについていてください」


 速人がそう言うと、白石さんは頷いてソラと一緒に潜伏場所の家へと入っていく。残された俺は、速人と天見さんを前にして立ち尽くす。


「た、助かったよ」


 何を言えば良いのかわからなかったが、何とか絞り出した言葉をぶつけてみる。だが、速人はしかめっ面のままで、天見さんは困ったような表情をするだけだった。

 もう、ここから去りたくて仕方がなかった。見つかってしまった以上、俺にできることは無い。強いて言えば『俺に敵意はない』とアピールしまくって、今日の夜、変に警戒されないようにするくらい。……いや、わざわざそんなことをするのも怪しいか。


「……じゃ、じゃあ。もう、戻る。あんまり話ができる雰囲気じゃ、無いみたいだし」


「待って!」


 引き止める言葉を放ったのは天見さんだった。彼女は困った顔のままで続ける。


「私は、言いたいこと、聞きたいこと、沢山あるよ。逃げないでよ、久喜くん」


「だ、そうですよ。尤(もっと)も私は――」


 天見さんの言葉を引き継ぎつつ速人が目の笑っていない笑顔を見せる。


「――あなたみたいに臆病で卑怯で自分勝手な人間の話など、全くもって興味はありませんがね」


「あ……う」


 純粋な侮蔑を受けているのに、それでも俺は言い返す方法を思いつけなかった。ただ間抜けに口を半開きにさせて、心拍数が上がるのを感じるのみだった。

 臆病で卑怯で自分勝手。俺を表すのにこれ以上無い言葉だと思った。


「反論もありませんか。……それで、どうします。舞が話したいのなら、私もここで聞いてますよ。卑怯者はいつ襲ってくるかわかりませんしね」


 速人は笑顔で皮肉を交えて天見さんの判断を仰ぐ。話を向けられた彼女は、それとは反対に口角を下げた。


「……速人くん、言い過ぎだよ」


 少し怒気が込められていた。だけど、これは俺を庇ってのことではないだろう。ただ彼女が優しい人間なだけだ。……勘違いは、しちゃいけない。


「言い過ぎじゃ無いよ」


 俺を庇ってくれた天見さんの言葉を否定した。


「俺は確かに臆病で卑怯で自分勝手だ。だから、天見さんからも逃げるんだ」


 そして俺は踵を返す。


「そんな……!」


 背後から天見さんの声が聞こえる。でも、一刻も早くここを離れたい。俺だって人間だ。いくら俺が悪いってわかっていても、悪し様に言われれば傷つく。


「もう、現れないようにするよ。じゃあ」


 後は振り返らず、そして溢しそうになっている涙を見られないようにここから消えるだけだ。

 歩く、歩く。うつむいて、砂地を踏みしめて、自らの立場を噛みしめて。追ってくる足音は無い。通りを出て、ミアとエレックの居る村の外れの野営地へ爪先を向けることにした。

 どうして俺は傷ついているのだろう。俺が彼らに嫌われていることなんて元々わかっていたことだ。それとも、彼らと話して何かが変わることを心のどこかで望んでいたのか。

 ……くだらない。俺は彼らを殺す人間だ。下手に話をして彼らのことを理解してしまっては罪悪感が生まれる。そうだ、話なんか通じなくてむしろ良かったんだ。


「輝」


 角を曲がり、石造りの館の前まで差し掛かったところで声をかけられた。振り向くとそこに居たのは白いローブマントを着た男。……橋山一樹だった。


「……一樹」


 まだら模様になっている茶色い短髪を掻きながら、苦虫を噛み潰したような渋い表情の彼は「入れ違っちまったみたいだな……」と呟いた。


「その様子じゃ、あいつらに会ったんだろう? 全員と会ったのか?」


「ああ。手ひどくやられたよ」


 無理矢理に笑顔を作ってみせる。だが、一樹はバツの悪そうな様子だった。


「先に俺がお前に会ってからにするつもりだったのにな……。いや、考えることは同じってことか」


「会ってからって……。俺が義勇軍に居ること、知ってたのか」


 率直な疑問だ。先にハリアを発った一樹に、俺が義勇軍に居るという情報は渡らなはずだからだ。

 一樹は「偶然知ったんだ」と言う。


「ジュエル家のエリスって分かるか? この軍のトップの一人なんだけど。……俺が村の外に防衛柵を立てている時に、作業の指揮を執っている彼女と会ったんだ。『義勇軍の本隊にいる久喜輝という人があなたたちを探している』って言っていた」


 エリスさんが情報元だったのか。確かにハリアのユリウスさんの家で『狛江ソラを探している』と話した時に彼女も居た。どういうつもりでそれを一樹に伝えたのかは知らないが、それでも多分、悪意あってのことではないだろう。彼女は真面目で、あまり人に敵意を持たない人間だったはずだ。


「エリスさんが……。ああ。そうだ。俺はお前らを探してここまで来たんだ」


 肯定して、話を続けようとしたら一樹が片手を上げて制して割り込んできた。


「……目的は?」


 彼の言葉からわずかに棘のようなものを感じ、背筋に冷たいものが走る。彼の表情に強張りが見える。でも、完全な敵意じゃない。これは『疑い』だ。

 ……最後に会った時、俺は嫉妬(フル)に身を操られていた。その様子を見ていた彼が疑念を持つのは当たり前のことだ。分かってはいても悲しい気持ちになりつつ、俺は再び口を開く。


「元の世界へ帰る方法が分かった。そのことについて、一樹に相談しにきた」


「それは……本当か」


 一樹が目を丸くして、息を止めたのが分かった。俺は話を続ける。


「鍵は、やっぱり『こいつ』だったんだ」


 俺は光を失った銀のペンダントを胸元から取り出した。


「このアクセサリーには世界を渡る魔法が込められている。それを発動させることが元の世界に帰るための方法だ。……答えはずっと、俺たちの直ぐ側にあったんだよ」


 相対している一樹が喉を鳴らした。


「それは……俺だって考えた。でも、そうだとして、その魔法を発動させる方法なんてあるのか? 俺も――ソラたちだって――何度も魔法を使って検証してきたけど、それぞれに与えられている属性の魔法しか使えなかったんだ。どれだけ、イメージをしてみたって」


 彼の言うことは本当だろう。アクセサリーを持った魔法使いが五人もいて、何の検証もしてなかったわけがない。ただ、彼らは図書館で調べ物をしたりはしていないとみえる。

 ……アクセサリーの所有者が過去にも存在していたこと。そして、彼らがこの世を去った後、そのアクセサリーがこの世界には現存していないこと。それを知らないんだ。何よりも、イッソスが残した本の内容を知っているのは俺だけだ。


「確かに俺たちは自由に世界を渡る魔法を使うことはできないかもしれない。でも、魔法が発動する『条件』がわかったら、どうだ」


「確かに、それさえわかれば……まさか」


「そうだ。俺はそれを調べたんだよ」


 一樹がため息をつく。彼は「輝がここまでやれたなんて、驚いてるよ」と呟いた。


「……それで、その『条件』ってのは」


 問われて俺は一度ためらった。これから話すことが一樹にどう捉えられるかがわからない。止められてしまうかもしれない。

 それでも、俺は一樹に相談したかった。このことを一人で考え続けるのは、……答えを出すのは、結局俺にはできなかったからだ。


「一樹。……アクセサリーは、持ち主が死んだ三日後に元の世界に帰るんだ。そこに魔力増幅の魔法陣を噛ませる。それが俺の探しだした答えだ」


 一樹も俺のその言葉だけで全てを理解したのだろう。彼は俺よりも賢い。特にオカルトや超常的なものに関しては勘もいい。だから俺が話したことが何を指し示すのかもわかっているはずだ。


「輝……それは……。考えたくもないけど、お前が俺たちを追ってきたのって……」


 一樹の表情が驚愕から恐怖へと変わっていく。俺はどう返せばいいのか分からず、相槌すら打てないまま沈黙した。


「……そんなこと、考えてるわけじゃねえよな、輝」


 縋るような話し方に、俺は安堵してから後悔する。

 一樹が『まとも』な人間であるという安堵。そして『まとも』な彼は俺の意図に気づいて、それを阻止してくるだろう後悔だ。

 一樹は、俺の服の襟を掴んだ。


「答えろよ。本気か、輝」


「……昔、中学生の頃、一樹から聞いた話だ」


 俺は一樹の腕を掴む。


「人が人を殺して良い状況として、『カルネアデスの舟板』を教えてくれたことがあったよな」


 一隻の船が難破したときに、一人の男が壊れた船の板切れにしがみついて助かった。しかしそこへもうひとり、同じ船板につかまろうとするものが現れる。船板は二人がつかまったら沈んでしまう。それ故、男は後から来た人間を突き飛ばして水死させてしまった。

 その後、救助された男は殺人の罪で裁判にかけられたが、無罪になった……という話だ。


「今の俺たちはこの異世界って場所に投げ出されていて、帰るためには誰かの犠牲が必要だ。……これは、一樹が言っていた『カルネアデスの舟板』と、同じ状況じゃないのか」


 自分で話していて、最低なことを言っていると思った。だから一発二発殴られてもおかしくない。そう思っていたのに、逆に一樹は俺の襟を離した。


「……確かに違うとは言えない。だけど、わざわざそんな話を俺にしてくる輝も、まだ迷ってるんじゃないのか」


 図星だった。俺は一樹の腕から手を離し、うつむく。

 俺は、自分のために何でもやれる人間だと思っていた。胸に抱く罪悪感だって、自分のためであれば直ぐに越えられると思っていた。でも、こんなにも悩んでいる。

 準備だけし続けているのに、まだ俺は――。


 ――彼らを殺すことを決心できていなかった。


「変わらねえな、輝は」


 ふ、と一樹が笑う。


「できるわけないんだ。俺も、輝も。……燕がいなくなった悲しみを覚えている。葬式に出て、空虚な気持ちを抱いたことを覚えている。だから俺たちに殺しはできない」


「だったら、……どうすればいい。俺は、どうすれば良いんだよ、一樹……」


 舟板にすがりつく男のように、俺は一樹を見上げる。彼は視線を逸らした。


「それは、すまん。俺もわからない。でも輝の調べてくれたことが手がかりだということには違いない。……そうだな」


 彼は地面を指差して、俺を見た。


「今日の夜、日付が変わる頃にここで落ち会おう。俺たちには相談する時間が必要だ。輝が色々あったように、こっちにも色々あった。それも含めて、今後のことを話そう」

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