追跡(2)
闘技大会が開催されていた頃の雰囲気はどこへいってしまったのだろうか。闘技場にあった華々しい垂れ幕や飾りはなくなってしまい、楽しげな声も聞こえてはこない。
しかし、それは静寂を意味するものではなかった。
物々しい雰囲気の男女が闘技場に詰めかけている。俺もそれに混じって、闘技場の中に入り込んでいた。
俺は周囲を見渡す。広大な闘技場だ。所狭しと言うほどではないが、大勢の武器を持った屈強な戦士たちによって空気が重苦しい。ここでこれから行われるのはハリアの三貴族が率いる義勇軍の決起集会だ。彼らは志願兵たちなのだろう。
……だから、この中にはソラたちもいるかも知れない。こっちから一方的に存在を察知できれば最高だが、先に見つけられてしまうのは避けたい。
王都での戦い――とは言っても、ほとんど戦っていたのはフルだが――のこともある。まず良くは思われていないだろう。いきなり攻撃されることはないかもしれないが、逃げ隠れられてしまったら困る。
「ん……?」
視線を感じ、ふと、顔をあげる。視界の中にいる戦士たちの中に、俺を凝視する若い男がいた。訝しげな表情をしている。
また、俺の服装かなにかに文句がある人間か。毎度のことだけど、失礼だな。……でも、揉め事を起こしたいわけではない。俺はすぐに視線をずらして、視界の端で彼を捉える。
「おい。あいつ……確か……」
俺を凝視していた若い男は、その隣にいる熟練者っぽい中年の男戦士に話しかけていた。
「……闘技大会中に消えた、久喜輝じゃないか……?」
「何だと……?」
中年の戦士までもが、俺に向き直る。俺は咄嗟に二人に背を向けて、場所を移動するべく再度人混みに紛れ込んだ。
「あ! ちょっと!」
後ろから俺を追いかける声がしたが、身を小さくして戦士の集団を素早く抜けて、なんとか追跡を振り切る。近くから彼らの声が聞こえてこないことに安心してから、今度は闘技場の端の方に移動し、なるべく目立たないように俯いて佇む。
ガルムさんの話では、俺が闘技大会の決勝に現れなかったことは別に非難されているわけではないみたいではある。だけど、騒がれるのは避けたい。
ここまで来るのにやましいことをしてない訳じゃないんだ。それに、ここにソラたちがいる可能性もある。見つかってしまわないようにしよう、と思ったばかりだ。
「はあ……」
目を細めて闘技場の人混みを見る。俺を見失って周囲を見回している若い戦士と中年の戦士の二人組を見届けて、俺はため息をついた。
「……逃げて隠れてんのはどっちだ、って話だ」
独り俺は、自身を嘲る皮肉をこぼしてから笑う。
今の俺はソラたちを追う追跡者でもありながら、彼らに気づかれないようにしていなければならない潜伏者だ。まるで缶蹴りをやっているような気持ちになりながら、もう一度大きいため息をついた。
「お、来たぞ!」
闘技場の中の誰かがそう言った。次々にそれを祝福する声とどよめき、「どこにいる?」「観客席だ!」という言葉がないまぜになって俺の耳に届く。
俺は喧騒の中で観客席を見上げた。『来た』と言うからには誰かが観客席に現れたのだろう。そしてそれは……俺の知る人物のはずだ。
「……やっぱり、な」
観客席の中央、闘技大会の時にはバルク王が座っていた席。それを台のように踏んで、三人の若者が立っていた。
「マーカスさん、ユリウスさん、そんで、エリスさんか……」
向かって右。白い鞘の長剣を腰に帯びている、背の高い短髪の男はユリウスさん。今度は左。腰と背に短刀を二本帯びており、長髪を後ろで纏めている男はマーカスさん。そして、その二人に挟まれて立っている金髪の少女がエリスさん。
全員、闘技大会の時にお世話になった人達で……今回のサターンの蜂起を跳ね除けたハリア三貴族だ。
「皆、聞いてくれ!」
ユリウスさんが競技場に集まっている戦士たちに大きな声で呼びかけた。
ざわざわとしてまとまりのなかった集団は、その声を受けて徐々に静かになっていく。次の一言を待っている。話を聞く体勢だ。
すぐにでも直接話を聞きに行きたいところだけど、とりあえずはこの集会が終わるまで待つほかはないだろう。
仰ぎ見たユリウスさんがゆっくり口を開けた。意志を持った顔つきで、言葉を紡ぎ始めた。
「皆、もう知っていると思うが、ヤマトだけではなく、ヒュルーまでもがあのラルガの手に落ちた。先にハリアを発った第一陣からの情報では、ラルガはこの街を狙って軍を整えているという話だ」
彼の言葉に続けて、エリスさんが一歩前へ出る。
「王国に伝令を飛ばしましたが、まだ、返答はありません。正規軍の助けを待っていたら、私達の街はラルガの反乱軍に飲み込まれてしまいます。……ですから、皆様のお力を、どうか私達に貸してください! 私達の街を、ラルガから、守るのです!」
そして、エリスさんは頭を下げる。同時に、闘技場を震わせるほどに大きな閧の声が上がった。周囲の戦士たちが両の拳を天に掲げて、一心不乱に雄叫びを上げる。「ハリアを守れ!」「ラルガの好きにさせるな!」「俺たちの力で平和を守ろう!」……そんな言葉がこの場を一気に埋め尽くす。
俺は周りの熱気に包まれながらも、ただ立ち尽くしている。何となく自分が場違いな人間のような気がして、居心地の悪さを感じてしまう。
「いや、実際、場違いか……」
俺とは正反対に盛り上がる戦士たちのボルテージが臨界まで高まると、観客席でマーカスさんが静かに手を高くあげた。それを見て戦士たちはまた静まる。
「これからあなた達を二つの隊に分けます! まず第一隊は……」
「直接話すには、もうちょっと時間がかかりそうだな……」
マーカスさんが実務的な指揮をし始めるのを聞き流しながら、俺は群衆をかき分けつつ、闘技場の出口へ向かう。出口には鎧に身を固めた、おそらくマーカスさんたちの家の私兵と思しき見張りがおり、俺は会釈しながら素通りする。
そして闘技場から出た俺は入り口から離れて、街路樹の一つに寄りかかって腕を組んだ。先程の競技場の熱気に当てられて火照った頬が湖の涼風でおさまっていく。
「……三人とも、凄かったな」
ハリア貴族の三人とは、闘技大会の練習で沢山話をした。でも、今日の三人は違う。まるで別人のような精悍な顔つきで、その目は鋭く輝いていた。
彼らの年齢が幾つぐらいなのかは知らないが、せいぜい二十歳(はたち)前後だろう。成人の日に浮かれて騒いでいる元の世界の二十歳とは似ても似つかぬ様子に、俺は素直に感心してしまった。俺だって、彼らと同じ年齢になったとして、同じようになれる自信はない。
……それが良いことなのか、悪いことなのかはわからないけれど。
「どうしよっかな」
マーカスさんたちは今頃細かい指揮を戦士たちに行っているのだろう。
決起集会とやらはどれだけ時間がかかるのかわからないので、エレックがとっておいてくれているだろう宿屋に戻ってもいいけれど、今を逃すと次にマーカスさんたちに会えるのかわからない。
義勇軍とはいえ、ひとつの軍のトップになっているんだ。
「待つしか、ないか」
それから、小一時間程そうしていると、闘技場から戦士たちがぞろぞろと出てきた。決起集会が終わったんだ。
俺は街路樹から離れ、闘技場から出てきたばかりの戦士のひとりに声をかける。
「すみません。マーカスさんたちは、まだ中にいますか?」
「へ? まだ居ると思うけど。てかアンタ、どっかで……」
訝しげな顔をして答える戦士。その表情が、俺が『闘技大会の決勝に欠席した久喜輝』であると気づいた若い戦士のものによく似ていて、俺は慌ててお礼を言って話を打ち切った。
「あ、ありがとうございます! 失礼します!」
先程の彼に追求されないように駆け出して、闘技場から出ていく戦士たちとすれ違って中に入っていく。
あんなに大勢の戦士たちがいた闘技場は今、静まり返っている。だが、人っ子一人いないわけではなかった。観客席に三人の若者と、数人の戦士たちが残っている。
おそらくは今回の義勇軍の中でも、指揮権を有する上位の人間たちだろう。あれだけの数だ。ハリア貴族の三人だけでは指揮をするのが困難なのは、俺でもわかる。
観客席に佇む彼らに近づいていくと、三人の若者のうち一人が俺の姿に気づいた。
「……ん? ……輝か!」
ユリウスさんが手を振ると、遅れてマーカスさんとエリスさんも俺に気づいた。その他の戦士たちは戸惑いを顔に出していたが、ユリウスさんが観客席から勢いよく闘技場まで飛び降りると目を丸くした。
「よっ、と」
目を丸くしたのは俺も同じだ。観客席からは地面まで三メートルくらいの高さがある。
「危なっ!」
だが、ユリウスさんは難なく着地。唖然とする俺に駆け寄ってきた。
「よう、輝。『王都の用事』はもう良いのか?」
「いや、あの……。まあいいか……」
気を取り直して、俺はユリウスさんに頷いた。
「……はい。王都ですべきことは、もう終わりました。それで、今日はちょっと訊きたいことがあって――」
「――待て。すぐに時間は作るから、その時にゆっくり聞かせてくれ」
ユリウスさんは振り返り、未だ観客席で呆れ顔をしているマーカスさんやエリスさんを仰ぎ見た。
「マーカス! エリス! 俺は輝をつれて先に家に戻る。話が終わったら来いよ!」
○
確か、田舎に住んでいる祖父の家がこんな感じだった。
畳、襖、欄間、木造、障子。敷地が広い日本家屋。でも、『元の世界』の日本家屋とは少しずつ違っている。
何故か畳の上に平気でソファーやテーブルを置いているし、障子には和紙ではなく麻のような手触りの布が張ってある。
やっぱり、違う世界だ。
「マーカスとエリスもすぐに戻ってくる。それまで座って待っててくれ」
ユリウスさんが腰の長剣を外して、壁の武器収納に収める。俺は彼の勧めるままに一人用のソファーに腰掛けて、彼を仰ぎ見た。
「抜け出してきて良かったんですか? 重要な話をしてたんじゃ……」
「ああ、ま。気にすんなよ」
俺は今、闘技場で再会したユリウスさんの家に来ている。以前訪れたときは神社のような外観の邸宅の庭先までしか入り込んでいなかったので、内装を見るのは初めてだ。
「珍しいか?」
俺の向かい側にユリウスさんが座り込んでから、訪ねてくる。俺は頷いてから「マーカスさんとエリスさんの家もこんな感じだと、前に聞きました」と返した。
「じゃあ、俺たちがハリアの古臭い家系だってことも聞いたか?」
「はい。確か、湖の孤島の怪物を見張ることを魔法使いにお願いされたって……あ」
不意に記憶が戻る。マーカスさんが言っていた魔法使い。その名前はイッソスだったはずだ。俺と同じ銀のペンダントを持っていた、建国神話にも登場した人物。そして、王宮の『イッソスの部屋』でフルを封印した人物。
そのイッソスなのだとしたら、彼らの家系はこのくにの建国神話まで遡れるほどの……王家と並ぶほどの由緒正しい旧家だ。
思索に耽る俺に、ユリウスさんが「どうかしたか?」と声をかけてくる。俺は余計な思考を振り切って、別の話題を振ることにした。
「サターンの蜂起があった話は、王都でも聞きました。大丈夫でしたか?」
ユリウスさんは苦い顔をする。
「まあ、な。俺はこれでも一応、剣で誰にも負けたことはないんだ。……でも、まあ、あんまり気持ちの良いもんじゃなかったよ。勝てたとしてもな」
「……そうですか」
「そういう意味では、マーカスのほうが凄かった。あいつがあんなに指揮をできるとは思わなかった」
ユリウスさんが微笑む。一度も戦場に出たことのない俺としては、なんて返せば良いのか悩んでしまう。彼の剣を褒めることが正しいのか、それとも戦争は間違ってるとでも言えば良いのか。戦争の実情を知らない俺に、戦争に言及する資格などないのかもしれない。
答えあぐねていると、勢いよく襖が開く。息の上がっているエリスさんと、額に汗をかいているマーカスさんが部屋に入ってきた。
「ユリウス! あんまり勝手な行動はするな!」
マーカスさんが苛立ちを隠さず言う。彼らの様子を見るに、慌てて追ってきたのだろう。ユリウスさんは「……悪かった」とだけ言ってから、「まあ、輝が来たんだ。お前らも座れよ」と、椅子を勧める。
「疲れたあ……」
間髪入れず、エリスさんが椅子に座る。彼女は大きく息を吐いてから、「久しぶりですね!」と笑顔で言ってきた。
相変わらずの整った顔立ちと綺麗な金髪に見とれそうになりながら、俺は闘技大会の決勝を挨拶も無しに欠席したことを思い出し、バツの悪い思いになって苦笑しながら「ご無沙汰してます」と返事をした。
「はあ……。今日は輝が来てるからこれ以上言わないが、気をつけろよ」
呆れた調子でマーカスさんも椅子に座る。それから、俺に向かって「元気にしてた?」と笑いかけてきた。
「まあ、なんとか……。闘技大会のときは、ありがとうございました。……お礼も言わず消えてしまって、済みませんでした」
「気にすんなよ、輝。……それに、そんなことを気にしてられる状況でもなくなった」
マーカスさんが椅子の背もたれに寄りかかり、中空を見つめる。
「もう知ってると思うけど、ラルガの反乱軍がハリアを狙ってるって話だ」
「……はい。先程の決起集会、冒頭だけ聞いていたので」
マーカスさんは「そうか……」とつぶやいてから、押し黙る。ユリウスさんもエリスさんも口を閉ざしてしまっていて、沈黙が流れる。
俺は気まずさもあって、さっさとここに来た目的を達成することにした。
「あの、今日、皆さんに声をかけたのは、聞きたいことがあったからなんです」
「聞きたいこと?」
エリスさんが小首をかしげるのにうなずき、俺は話を続ける。
「……今回のラルガの反乱軍に対抗するための義勇軍。その中に、『狛江ソラ』という人物はいませんでしたか?」
「え、ソラさんですか?」
俺の問いに反応したのはエリスさんだった。俺は身を乗り出して、彼女に訊く。
「知ってるんですか? じゃあ、居場所も……!」
「え、ええ。ソラさんなら、今は――」
「――待ってくれ、エリス」
答えようとしたエリスさんの言葉を遮って、マーカスさんが俺に視線を向けた。
「俺から話させてほしい」
妙な威圧感を感じ、俺は「お願いします」とだけ伝えた。エリスさんも口を閉ざした。
なにか理由がありそうだが、情報が得られるのであれば何でも良い。おとなしくマーカスさんの話を聞こう。
「狛江ソラと彼の仲間は、既に義勇軍の第一陣としてヒュルーに向かってハリアを出発した。彼らは強力な魔法使いだ。第一陣の主力と言ってもいい。……輝は、その狛江ソラを探しているんだよな?」
「……はい。そうです」
「そうか、じゃあ、輝」
マーカスさんが背もたれに寄りかかっていた背中を起こし、俺を見据える。
「輝も、義勇軍に入ってみるのはどうだ? 今日決起集会を行った第二陣は明日の正午、ハリアを出る。その後第一陣とはヒュルーで合流する手はずになっているんだ。輝が狛江ソラの居場所を掴むのなら、これが一番いいと思う」
「俺が、軍に……」
即答はできなかった。俺の目的は狛江ソラたちの居場所を突き止めて、命とアクセサリーを奪うこと。そのために戦争に参加する……そのくらいの覚悟は持てるかもしれない。
でも、それは俺がひとりきりだったら、の話だ。今はミアとエレックがいる。彼らに相談もせずに勝手に決めることはできない。
「……考える時間を、もらえませんか」
絞り出した言葉はひどく情けない言葉だった。
それでもマーカスさんはうなずく。
「わかった。もう一度言うが、出発は明日の正午だ。それまでに決めてくれ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます