月の精霊(5)

「……あれ?」


 ふと気がつくと教室にいた。俺の通う高校の教室だ。周りには誰もいないが、俺は自席でぽつんと座っていた。

 窓の外からは夕日が差し込んできている。黒板の上にかかっている大型モニターに反射した陽光が一瞬目に入って眩しい。


「教室……。あっ……!」


 俺は右手を机の上に出す。ちゃんとくっついている。ソラに斬られた痛みは今もすぐに思い出せるが、今、現実としてくっついている。


「長い夢……なわけ、無いよな」


 俺は腕を見て、そのまま服の袖に目を移した。

 学校の教室で長い夢を……異世界に行った夢を見ていた。というわけでは無さそうだ。制服じゃなくて、ハリアで調達した服を着ていることからも明らかだ。

 とりあえず席を立って周囲を見渡す。何の変哲もない教室の様に見えるが、これもきっと俺の記憶から取り出された景色なのだろう。


 ……こういう唐突さは二回目だからか、少し俺も落ち着いていた。


「いるんだろう! フル!」


 教室に俺の声が響く。狭い空間に反響した声が消えてから教卓に銀色の光が浮かび上がり、人の形になっていく。銀色の光が弱まっていき、制服姿の過去の俺が……フルが、不遜にも教卓に腰掛けた状態で姿を現した。


「……やっぱりか」


 フルは足を組んで、例の厭らしい笑みを浮かべる。


「ま、二回目じゃわかって当然か。個人的には、戸惑っている君の姿を見たくもあったけどね」


 前回コロッセウムで対峙した時はフルの手のひらから出てきた妙な銀色の光で、俺は『嫉妬』という大きな力に気づくことが出来た。

 それでも……ソラには敵わなかった。それはやつに仲間がいたからだ。あのタイミングであいつらさえ現れなければ、俺は勝てたんだ。

 だから。


「フル、もう一度力をくれ。次は負けない……負けたくない。四対一だろうが勝てるだけの力が欲しい! お前なら、出来るんだろ! 人智を越えたような……精霊と呼ばれる存在なんだろ!」


 次は勝てる。次は油断しない。最初、ソラをいたぶっていたからつけ入る隙を与えてしまったんだ。今度はそんなことはしない。すぐにあいつを倒す。

 しかしフルはゆっくりと首を横にふる。


「ボーナスタイムはもうお終いだよ、輝」


「そんなっ」


「しっかし。綺麗に溺れたなあ。……『嫉妬』に」


 フルが俺を指さした。同時に身動きが取れなくなる。

 何故だ。フルは俺のペンダントに宿っていて、だからこそ力を貸してくれた、味方じゃないのか!


「何を、するんだ……!」


「君は良くやってくれた。君が『嫉妬』に溺れてくれたおかげで、オレが表に出られるようになった」


「表、に……?」


「そう。表だ」


 フルは俺に向けていた指を、今度は黒板の上の大型モニターに向ける。

 暗い画面が切り替わり、青い空が映し出されていた。


「これは……俺の、視界?」


 王都の晴天がモニターに広がっている。さっきまで見ていた景色だ。

 フルは「その通り」と頷いてから教卓を飛び降りる。


「ここからはオレがこの体の主だ。このモニターはサービス。これから先、この狭い教室で永遠を過ごすのは暇だろうからね。……俺が『久喜輝』として生きていく様子でも見ていると良いよ」


 フルは話しながら、教室の扉の方へと近づいていく。俺は追いすがろうとしたが、体が動かなかった。


「待て! フル! どこへ……!」


 フルは教室の扉をスライドさせて廊下へ出ていく。「さよなら」という言葉を残して。


 直後、モニターの映像に動きがあった。


 青空に二度、暗い幕がかかる。まばたきであると瞬時に理解できた。

 上体を起こしたのか、視界が移り変わっていく。血に濡れた剣を持ち、呆然としているソラが起き上がった『俺』……いや、フルに気づいて、驚いた顔をしている。


「輝、動かない方がいい。舞は回復魔法を使える。……腕は戻らないが、血は止めてやる。死にはしないだろ」


 次いで、背後から駆け寄る足音と「輝っ!」と涙声で呼ぶミアの声が聞こえてきた。ソラは再び剣を構える。


「近づくな、デミアン。お前には後で話がある。……俺たちに従うなら、輝の傷も治してやる。だから、そこで動くな」


 ミアの足音が止まる。視界には入っていないから、どんな顔をしているのかわからない。それでも彼女は、本当は優しい人間だから、俺のことを心配してくれているんだろうということはわかった。


「……わかった。従う。何でもする。だから、輝を助けて」


「最初からそうすれば、誰も傷つかなかったのに」


 ソラはそう言って剣を下ろす。そして、舞を呼ぶつもりなのか、フルに背を向けた。


「なるほどねえ。やっぱり目の前で見ると、むかつく餓鬼だなあ。……輝の気持ちもわかるよ」


 フルの……『俺』の声が聞こえたと思ったら、視界が動いた。無残にもちぎれた俺の右腕が地面に転がっているのを見つけると、フルは立ち上がってそれを拾う。


「あーあ。ぐちゃぐちゃ。斬るならもっと綺麗に斬ってほしいもんだ」


 そして右腕を肩にあてがう。銀色の光が溢れて、くっつく。ソラはまだ気がついていない。フルはぼそりと呟いた。


「なあ、輝」


 俺に語りかける声なのだろう。俺は返事出来ないが、フルはそのまま続ける。


「あいつを殺せば良いんだよな。あいつと……あと、他にも何人かいたな。あの餓鬼の仲間が。そいつらも殺そう」


 フルは治したばかりの右腕で槍を拾う。


「そしたら次は君の世界に戻って『藤谷カズト』を屈辱的な方法で貶めてやろう。ああ、そうだ。『山吹桜華』や『新山ヒカリ』を上手いこと利用してやるのも良さそうだ」


 左手に銀色の風が集まっていく。


「聞いてるか? 見てるか? 楽しんでくれよ、輝。俺は『嫉妬』だ。お前の本質だ。お前の出来なかったことくらいは、叶えてやるよ」


 俺はその言葉を聞いて、どこかで安堵していた。

 俺の想いも、願いも、全てフルは理解っている。そうだ。目的が果たせるならば、誰がやったって同じことだ。むしろフルだったら、俺よりももっと上手くやってくれるだろう。

 ここで、この教室で、俺はゆっくりとこのモニターを眺めていればいい。


「頼むよ、フル」


 呟いた。きっとフルには届かないだろう。それでもフルは「それじゃあ、始めるか」と言って、ソラの背中に左手をかざす。


「ソラ、危ない! ……させるかっ!」


 白石さんの声が響く。同時に撃ち出される風の刃。ソラのすぐ後ろまで迫ったそれは、突如地面から生えてきた樹によって防がれた。


「樹……魔法だな……」


 フルは警戒して周囲を見渡している。モニターに映る視界が動き、一人の少女の姿を捉える。……白石さんだ。

 彼女の耳元にあるイヤリングが緑色に輝いている。地面から生えてきた樹に手をかざしていた。

 あの樹は白石さんの魔法なのだろう。俺が風で、ソラは光。一樹は炎で天見さんは水を扱っていた。同じ様に白石さんは樹、もしくは植物を扱えるのか。


「綾香、助かった!」


 ソラが木の陰から出てくる。そして剣を構えた。


「輝! まだやるのか! 勝負は……」


 威勢よく怒鳴っていたソラ。しかし、声の勢いがしりすぼみになっていく。


「……お前、本当に、輝か?」


「勘のいい餓鬼だね。厄介そうだ」


 一気に視界が動いた。俺では扱えないような速度でソラの背後に回り込む。そして、槍を引いて、構える。ソラは気づけていない。これなら確実に仕留められる!


「まず、一人――」


「――止めろっ!」


 聞き覚えのある声。フルの視界が声の方へ動く。左右に一本ずつ剣を携えた短髪の少年、一樹が走ってきていた。


「また増えたか」


 一樹は両手に持った剣に炎を纏わせて、斬りかかってくる。フルは槍を器用に操って弾き返した。


「輝。どうした。らしくないぞ。……今の、本気で殺す気だったな」


「あれ、君も輝の知り合いなのか」


 フルがとぼけたような声で言う。一樹は一瞬混乱したような表情を見せてから、何かに気がついた様子で剣を構え直した。


「お前、輝じゃないな……? ……憑き物の類か」


「ふうん。君もあの餓鬼の味方のようだね」


「――残念ですが、あなた以外は全員、あなたの敵です」


 速人の声。フルは振り返りながら槍を横薙ぎに振り抜く。しかし、視界に速人の姿はない。……否、視界の上の方に、速人がいる。振り抜いた槍の一撃を、魔法で強化した脚力によるジャンプで避けたんだ。


「少し大人しくして貰いましょうか!」


 速人は右手をかざしてきていた。その右手に嵌っている指輪が黄色い光を放つ。直後、視界を奪う光と弾ける衝撃音。フルは二歩三歩と後ずさる。


「電撃か……効くねえ……」


 速人の魔法は電撃だった。フルの視界に映る『俺』の両手がところどころ焦げている。回復魔法を使ったのか、焦げている部分はすぐに治っていくが、フルはすぐには反撃に移らない。


「ちょこまかと……。君らに構ってはいられない。『オク』が目覚める前に仕留めないと行けないんだ……まずは、あの餓鬼が先だ」


 視界が動く。ソラを見つけるが、その側に一人の少女がいた。天見さんだ。

 傷だらけだったはずのソラだが、天見さんの手から溢れ出てくる青い光を浴びて、全身を回復させていっている。


「鬱陶しい……!」


 フルは槍をソラに向かって投げる。いくら回復していようが、あの銀色の槍で首でも心臓でも貫いてしまえば一撃で致命傷だ。

 だが、槍は再び生えてきた樹によって防がれてしまう。


「だから、させるかっての!」


 また白石さんだ。厄介な能力だ。

 ……分が悪い。一樹も来て、五対一になってしまった。しかもそれぞれが魔法の使い手ときた。


「ありがとう、みんな。……助かった」


 ソラが天見さんの魔法によって全快し、前に出てくる。他の四人もソラの周囲に集まっていく。それぞれが強い意志を感じさせる眼で睨みつけてくる。

 ……こんな風に助け合って、想ってくれる仲間というのが、俺にはいなかった。羨ましい。妬ましい。


「わかるよ。輝」


 フルは五人を前にして、両の手のひらを見下ろし、そして握り込む。


「ずりいよなあ。羨ましいよなあ。……こんなの、認められないよなあ!」


 そして、フルは両手をソラたちに向けてかざした。


「月の精霊、フルを舐めるなよ……。『嫉妬』を司るものとして力を行使する!」


 両手の前に、小さな銀色の球体が現れた。それは周囲の空気を飲み込みながら徐々に大きくなっていく。同時に、周囲を風が吹き荒れ、小さな石や塵芥の類が宙を舞う。

 一樹が地面に剣を片方突き立てて、吹き飛ばされないように耐える。


「何をする気だ!」


「大きいのが来ますよ……!」


 速人が両腕で顔を覆い、風から身を守っている。いつもの彼よりも焦りの感じられる語調だった。

 その横でソラが白石さんに指示を出す。


「綾香、壁を!」


「わかってる! 舞も手伝って!」


「……うん! ……久喜くん……」


 白石さんの言葉に頷く天見さん。

 大きな樹と、その隙間を埋めるように水の壁が現れる。俺が使っている『風の刃』ではびくともしなさそうな頑丈な壁だ。


「頑張るねえ、でも」


 しかし、フルの声からはそれを危惧するような感情は全く感じられなかった。むしろ、あの厭らしい笑みを浮かべているのが簡単に想像できてしまう。


「そんなチャチな壁じゃ、どうにもならないさ! ……『風爆破』!」

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