小さな成長(4)
サターンの登場で広場の空気が固まった。
剣を抜き、構えるエレックと、それに相対するウォレス。エレックの後ろで槍を握る俺と、さらに俺の後ろで呆然とするミア。
そんな中、広場につながる細い道から悠然と歩いてくるサターンのみが動いている。
「む?」
何かに気付いたのか、サターンはエレックの方を向いて足を止めた。
「君は確かニーグの子だね? エレックといったかな?」
「……よく判ったな」
嫌悪のこもったエレックの声。出会ってそう経っていない俺が思うのも違うのかもしれないが、エレックがここまで憎しみの感情をあらわにするのは珍しい。
だが、サターンはそれをまるで厭わずに表情を変えない。
「若い頃の君の父親そっくりだからな。……おっと。話がそれてしまった。君達、デミアンを連れてきてくれてありがとう。逃げ出していて困ってたんだよ」
彼はそう言って、俺の陰で怯えているミアをゾッとするような冷たい視線で見据える。穏やかな表情なんてわずかにも残ってない。
親が子に向ける顔じゃない、と思った。
「デミアン、来い」
「あ、う……ボクは――」
「――少年! ミアを連れて逃げろ!」
エレックがサターンの冷たい視線を遮るようにミアの前に出る。
「サターン。彼女はもう『デミアン』じゃない、今は『ミア』だ! もうお前の操り人形じゃないんだよ!」
エレックはサターンに斬りかかる。しかし、その剣撃はいとも容易くかわされていく。エレックが構える頃には剣閃から外れるサターン。彼は剣も抜いていない。腕を後ろで組んだままだ。見覚えがある光景だった。
……これは昨日の闘技大会のエレックとミアの試合と一緒だ。見切りじゃない。予め決まっている演舞の様な避け方。
「頑張って崩したようだが、ケイロスの剣で、ダグラスに勝てるわけが無いだろう」
「くっ! 少年! 早く!」
エレックが叫ぶ。昨日と一緒なら、エレックはサターンには勝てない。でも――。
俺は歯を食いしばってミアの腕を掴む。
――それがエレックの望みなら、俺も応えるしか無い。
「行くぞミア! ……うおっ!」
走り出す刹那、目の端に鋭い剣撃があらわれた。首元に迫るそれを俺は慌ててミアの腕から手を離して槍で受け止める。
「止まれ、と言ったはずだ」
剣撃の主はスキンヘッドの男、ウォレス。彼はその大きな図体に似つかわしい重たい一撃を俺に打ち付けたまま、押し切ろうと体重を乗せてくる。こっちは両手で受け止めているというのに、向こうは片手。ペンダントの力を使っているというのに、ここまで差があるなんて!
「く……ミア、走れ!」
「でも!」
ミアが惑っている。俺と相対しているウォレスがその険しい顔を更に険しくさせる。
「これを受けるとは……魔法使いか?」
「だったら、どうした!」
俺は槍を握る拳の先に銀色の風を集めて竜巻を形作っていく。風の刃だ。今は両腕両足の身体強化にほとんどの力を割いているから威力は出ないだろうが、この至近距離から当てれば隙の一つくらいは作れるだろう。
しかし、ウォレスの表情には焦りが微塵も現れなかった。
「魔法を使えるのは、お前だけじゃねえ」
彼は空いている左手を引いて、俺にかざす。手のひらの先に徐々に炎が集まっていく。彼も魔法使い……これは、炎の、魔法だ。
「燃えろ」
「――させるか!」
声とともに、エレックがウォレスに体当たりを仕掛けて突き飛ばした。ウォレスの集めた炎は火球となって、俺の左肩をかすめて飛んでいく。
「熱っ!」
俺は後退りしてからペンダントに手を触れ、左肩の火傷を治癒していく。
「エレック! サターンは!」
エレックは視線をウォレスから外す。その先には無傷のサターンがいた。
「済まない、少年。俺では、どうあがいても一太刀も入れられない」
そう話す声は震えている。だが、俺の方を向いたときの表情は、その眼は死んではいなかった。
「引き返すぞ。他の道から逃げる方法を探る。やっとここまで辿り着いたんだ……諦めてたまるか」
「いいや、ここまでだ」
声がして、俺は振り返る。いつの間にかサターンがミアの背後をとって、腰の剣を抜いていた。
「鬼ごっこは終わりだ」
「ミア!」
エレックが叫んでサターンに向かっていく。しかし直後に起き上がったウォレスがエレックに斬りかかり、エレックもそれを受け止めた。
ウォレスのざらついた低い声が響く。
「お前はこっちだ。久しぶりに遊ぼうぜ」
「ウォレス……てめえ……!」
エレックはウォレスと鍔迫り合いになっている。これでは彼は動けない……動けるのは、俺だけだ。
再びサターンの方を見ると、ミアの後ろで剣を抜いた彼が振り下ろすところだった。ミアは咄嗟に振り返って、転がるようにして避ける。
「ミア! 大丈夫か!」
「う……」
俺はミアをかばうように、サターンとの間に入った。その際一瞬見えたが、ミアの服の肩の部分が切れていた。
サターンは今までと同じ穏やかな表情でため息をつく。
「何だ。腕の一本くらい、良いだろう。うちには回復魔法使いもいる。一度取れようがすぐに帰ればくっつけられるのだぞ」
「この……!」
胸糞が悪くなって、怒りが湧いてきた。
こういう人間だ。人を人と見ていない人間が、いつも誰かを傷つける。
俺は『戸上』を思い出す。人を人と見ていない人間。過去の俺を弄んだ人間。
槍を握る手に力が入る。サターンはそれを一瞥して、笑みを消した。
「戦うのかね。私と」
一言だった。
全身に鳥肌が立ち、汗が吹き出す。首筋に刃物を当てられているかのような、眉間に銃を突きつけられているような、体中の体温が冷えていく感覚。
彼のその手に持つ剣の切っ先が厭に意識させられる。それが俺を貫くイメージが勝手に湧いてくる。
……俺は、恐怖した。
「たた、か……」
喋って初めて気がつく。戦慄していた。歯が震えていた。
サターンが今までの穏やかなものではない、冷たい笑みを浮かべた。
「そこまで怖がることはない。デミアンを渡してくれたら、見逃してあげよう」
俺は言葉を失った。
今、ここで逃げれば生き残れる。その選択肢が出てきた。
「わ、渡すって……いうのは……」
視線をそらしてエレックの方を見る。未だウォレスと切り結んでいる。こちらに気づいてはいない。
……俺が逃げても気づかないかもしれない。それに、彼は俺が逃げても責めはしないだろう。だってそんな資格など無い。俺はお願いを聞いてあげた側だ。本当は決勝トーナメントがあるのに、ここまでしただけで充分だろう。
サターンが言葉を重ねてくる。
「そこを退いてくれるだけでいい」
「ど、退く、だけ……」
俺はミアを振り返る。彼女は肩を抑えて地面にしゃがみこんでいた。もしかしたら服だけではなく、肩を少し斬られてしまっているのかもしれない。
ミアは俺の視線に気がつくと、しばらく目をつむってから頷いて、「いいよ」と言った。それは、『逃げてもいいよ』ということだろう。
確かに彼女は過去の俺と被る。殴られてなぶられて、人を人とも思わぬ人間に追い詰められている。……でも、俺はもう充分やったんじゃないのか?
魔法で傷も癒やしてやった。ここまで守ってやった。ここで命をかける価値がどこにある?
俺は再びサターンへ視線を戻す。彼は相変わらず、冷たく笑んでいる。
「お、俺は……」
自分のために、自分の身を危険に晒す覚悟はある。でも今戦ってしまったら、それは俺のためじゃない。誰かのためだ。俺がシュヘルで別れたソラのような。過去の俺を救った『藤谷カズト』のような。
サターンがまた口を開く。
「さあ、選び給え。覚悟も力も無き愚者よ」
「俺は……」
両手で持っていた槍。ゆっくりと左手を離し、右手だけで持つ。
サターンは鼻で笑う。
「ふん……」
「俺は」
それから左手で俺は、腰の小刀を抜いた。
サターンの顔から笑みが消え去る。俺は逆に、口角を無理やり上げてみせた。
「俺は退かない」
そして、頭の中でイメージして、ペンダントから力をどんどん引き出していく。
「どれだけ逃げる理由を作ってみても、どうにも腑に落ちないんだ。ここで逃げたら、駄目な気がするんだよ。……俺が、俺じゃなくなってしまいそうなんだ」
それから、不意に気がつく。俺が、自分のためにしか動けない俺が今この場でこうして覚悟を持って立っていられる理由に。
「自分が自分であるために、自分の身を危険に晒す。そのくらいの覚悟は、持っているつもりだ!」
所詮自分のためだ。全ては自分のためだ。だから、俺は、ここでミアを見捨てて逃げたら自分がおかしくなりそうだから、戦う。自分のために、戦う覚悟だ!
ペンダントからの力が回ってきて全身が軽くなる。怖いのは変わらない。それでもさっきまでの鳥肌と震えは無い。
「サターン……! 退くのはお前だ! 通してもらう!」
俺は槍を持つ拳の先から風の刃を放つ。サターンに向かって一直線に飛んでいくそれを、彼は手に持っている剣で弾く。
これで仕留められるとは思っていない。これが駄目なら直接槍と小刀を叩き込むまで――。
「――成る程。『所有者』か。面倒だな」
サターンは呟くと、「ウォレス! 帰るぞ!」と怒鳴った。
ウォレスはエレックと睨み合っていたが、サターンの命令をきくとすぐに彼の左脇に駆けつけて控える。
残されたエレックは訝しげな表情で彼らに剣を向け直した。
「どういうことだ」
「エレック。『そこの女』を見てみろ」
サターンは肩を抑えてしゃがんでいるミアを指さした。
「他人の手助けがなければ死んでいるような弱者だ。そのような弱者が、ダグラス家のデミアンであるはずがない。連れ戻すべきデミアンはもう居ないというのが、私の判断だ」
勝手なことを言う。人の心をないがしろにしておいて、その言い方は無いだろう。こんな人間を許したらいけない!
「うおお!」
俺は両手の武器を手に、魔法で強化した脚力で一息にサターンに斬りかかる。今の俺の速度は、これまでの魔法による身体強化での動きよりも速い。常人には追いつけない速度だ。
そのはずだった。
「面倒だと言っただろう」
俺の槍はサターンの剣によって止められ、小刀は腕で止められていた。いや、違う。小刀の刃先を、袖の金属ボタンで受け止めたんだ。
「嘘だろ……!」
「邪魔だ」
サターンが俺の槍を受け止めていた剣を強引に振り抜く。俺は吹き飛ばされて尻もちをついた。彼は俺を見て「無様だな」と呟く。返す言葉もなく、俺は無言で立ち上がる。
サターンの左に控えていたウォレスがゆっくりと歩みだした。
「それでは、参りましょう」
彼がそう言うと、サターンも歩き始める。俺もエレックもミアも身動き一つ取れぬまま、彼らが去っていくまで見守るしかなかった。
○
それから俺たちは魔法で傷を癒やした後、エレックの先導で再び路地裏を進み、街の出口まで来ていた。人通りは殆ど無い。まだ闘技大会をやっているのだろう。
エレックとミアも疲弊していたが、俺もだいぶ消耗していた。
「ミア、大丈夫か」
話しかけると、ミアは小さい声で「うん」と頷くだけだった。
嘘だ、と思った。大丈夫な訳がない。実の親にあそこまでの仕打ちを受けたんだ。辛いに決まっている。それでもそれを表現しないのなら、それはミアの気遣いなのかもしれない。
「……これから、二人はどうするんだ?」
街の門を出た後で俺は訊いた。すでに時刻は夕方に近づいている。エレックの荷物を見ても、長旅が出来るようには見えない。
エレックは「一応、考えはある」と言う。
「ミア、俺と来ないか。ここから少し外れた村に荷物を預けてある。そこに向かってから、ハリア以外の場所を……。安全に暮らせる場所を探そう」
エレックがそう持ちかけると、ミアは頷いた。
「……うん。ついていくよ。……あと、その……」
ミアの様子を見て、エレックが「ああ、そうだな」と笑う。そして彼は俺に目を向けた。
「少年も、どうかな。何かの縁だと思うし、恩も返しきれてない。一緒に来ないか?」
「え、俺? 俺は……」
少し迷ってしまう。彼らなら、俺の王都の旅についてきてくれるだろう。一人じゃなくなるのは旅をする上では心強いし、かなり楽になる。
……それでも、怖いと思った。それは、ソラたちのことを思い出したからだ。誰かといれば、ぶつかる可能性がある。そんなのはもう沢山だった。
「ありがとう。でも、止めとく。俺は、独りが楽だから」
「そうか……残念だ」
エレックはため息とともに言った。嘘だとしても、そう言ってくれるだけで嬉しい。俺は足を止めて、留まる。遅れてミアとエレックも止まった。
「じゃあ、俺はこのへんで。ハリアで旅の準備を整えてから、明日出発するよ」
「わかった。……ちなみに、どこに向かうんだ?」
「王都に行くよ。探したい情報があるんだ」
「王都か……わかった。また、会えたら良いな」
エレックは言いながら、ミアの頭に手を置いた。
「な、ミア」
ミアはうつむいて、うなずいた。
そしてそれから、俺の服の袖をつまむ。
「……輝のお陰で、ボクは、ボクになれた。ボクは『デミアン』じゃなくて『ミア』になれた。……だから、ありがとう」
そして、控えめに笑う。彼女のそんな笑い方は初めて見たような気がしたが――俺の主観だけど――悪くない笑顔だと、そんなふうに思った。
○
翌日の早朝、俺は再び王都バルクを目指すために、旅立ちの準備をして宿を出た。
背負う荷袋の中には干し肉や穀類など、旅のための補給をしてある。闘技大会中でどこの商店も閉まっていて大変だったが、何とか最低限は揃えられた。
昨日の闘技大会は夜中まで続いたらしい。その後にパレードもあったので街の住人も夜通し騒いでいたのだろうか。人通りは無い。さらに朝靄もかかって、なんだか幻想的な光景だ。
すり鉢状の街を出るために坂を上っていく。ふと振り返ると、霧立つ湖と、闘技場が見えた。
良かったことも、悪かったこともあった。そのどれもが俺にとって大切な経験だったように思う。
「『覚悟』、か」
呟いてから、また坂を上る。
「……ん?」
街の入り口の門の前に人影があった。他に人通りが無いだけに気になってしまう。靄がかかってよく見えないので、俺は不思議に思って近付いていった。
「来たみたいだな」
人影が俺に気づいて手を振ってきた。声に覚えがある。この声は……!
「……ユリウスさん!」
俺は駆け寄っていく。それから、昨日の闘技大会をさぼってしまったことを思い出した。そんな俺の罪悪感を知ってか知らずか彼は微笑む。
「行くんだな?」
ユリウスさんが簡潔に訊いてくる。俺はうなずいて、そのまま頭を下げた。
「……昨日は試合サボって、すみませんでした」
「ああ。楽しみにしてたんだがな。輝との試合」
そういえば、決勝一回戦の相手はユリウスさんだった。勝てるとは全く思えないけど、戦ってみたかった。
「これを届けに来たんだ」
ユリウスさんが一枚の紙を差し出してくる。羊皮紙というやつだろうか。この世界に羊がいるのかはわからないが……。俺はユリウスさんからそれを受け取って読んだ。
色々書かれていたが、要約すると俺が闘技大会で決勝まで進出したという証書であった。
「お前が闘って、その結果だ。大事にしろよ」
「……はい。……これで」
「ああ。これがあれば王立図書館での調べ物には困らないはずだ。……上手くやれよ」
「ありがとうございます……!」
もう一度俺は頭を下げた。今度は謝罪ではなく、感謝だ。その俺の頭を、ユリウスさんがくしゃくしゃと撫でてきた。
「お礼はいいさ。それより、元の世界に戻る方法が分かったら……一度ハリアに来いよ。試合しよう。……約束できるか?」
その頃には、俺ももっと強くなろう。教えてもらった練習方法も続けるし、次は槍で挑むのも良いかもしれない。
「ええ。約束です。マーカスさんとエリスさんにも宜しくお伝え下さい」
「わかった。伝えとく。……そろそろ戻る。寝てないんだ」
やっぱり、ユリウスさんも夜通し騒いでいたのだろうか。
彼はふ、と笑ってから、坂を下り始めた。
「それじゃあ、健闘を祈るよ」
背中越しにそう言って、ユリウスさんは湖の町へ帰っていく。
それをしばらく眺めてから踵を返す。目的地は王都バルク。長かった旅のゴールがようやく見えてきた。
俺は右手に持った槍と、腰に帯びている小刀を握った。
「よし、行くか」
もう一回振り返って幻想的な光景を目に焼き付ける。そして目を閉じて、王都へと続く街道を歩み始めた。
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