湖の街(7)
俺は小刀を握って試合場を走る。
三回戦……第七ブロック準決勝の相手は着物の様な独特な服を着た女性だった。手には重そうな長い太刀。ティアという名前の女性剣士だ。
女性を相手にするのはやり辛さもある。でも、ここまで来た剣士だ。油断も手心も容赦もありえない。俺は弱いんだ。だから本気で戦う。……最初から、『本気』だ。
「いくぞっ!」
俺は走って間合いを詰めながら、胸元のペンダントに一瞬触れる。身体が軽くなり、普段の自分以上の動きができるようになる。
身を屈めて懐に潜ろうと試みた。何にせよ小刀は短い。対する相手の太刀は長い。だったらどうにか距離を詰めなくちゃ話にならない。
ラーズに教わった突進と、その心構えがこの大会では活きていた。姿勢を低くして飛び込むだけのシンプルな技ではあるが、大きな勇気が必要だ。自分の身を危険に晒すのだ。当たり前の話ではあるが。
「てえい!」
剣士ティアは俺の低い突進に合わせるように、その女性の細い腕には似合わない太刀で斬りつけてくる。
すかさず後ろに飛んで回避。鼻先寸前を太刀の切っ先が通りすぎる。俺はもう三歩、素早く後ろに下がった。
着物女は黒い髪をなびかせ太刀をもう一度構える。間合いが広い。しかも単純に左右に振り捌かれるだけでも充分な脅威なのに、ペンダントで底上げした脚力にもしっかり狙いを定めてくる。
だけど、俺には突進(これ)しか無い。次は『見切り』で受け流しながら突っ込もう。
落ち着いてペンダントに触れて、もう少しだけ力を引き出す。まだ光は漏れてこない。チキンレースだ。ギリギリまで力を引き出した上で戦うんだ。
俺は小刀を握り直し、再度相手の太刀の間合いへ入っていった。
「たぁっ!」
掛け声と同時に太刀の鋭い突きがきた。俺は太刀の先端を見切って小刀でずらす。銀色の刃が左肩のすぐ横をすぎてゆく。
「くっ……まだだ!」
突いた太刀を間髪入れずに引きながら右に薙いでくる。太刀の重さは小刀じゃ、受けきれない。
「……う、お」
俺は沈むように低く低く半ば伏せて、太刀をくぐって避ける。太刀を振り切ったティアに大きな隙ができる。……今だ!
片手両足で地面を押して、飛び込むように一気にその首へ小刀を突きつける。
「降参し――痛っ」
突きつけた小刀を持つ俺の右手。それをティアが太刀から手を離して、手刀で叩(はた)いてきた。小刀を取り落としはしないが、その威力でバランスを崩す。
「マズ……!」
瞬間、彼女は俺の襟を掴んで――俺は勢い良く投げられた。だが、悲鳴を上げたのはティアの方だった。
「――く!」
「うぐ!」
投げられた俺は受身を取ってすぐ立ち上がる。目の前でティアが太刀を放ったままうずくまっている。
投げられる直前、俺は彼女の両手を斬りつけた。深い傷は与えられなかったが、これならもうあの太刀は持てまい。
「うぐぅ……」
痛みで涙を流し、うずくまる彼女に俺は血で濡れた小刀を突きつけた。
「はあ、はあ……降参しろ」
息は上がっている。でも、つとめて冷静に。威圧感を与えるように。
「……くっ、降、参よ」
首元に突き付けられた小刀を見た彼女は勝機が無い事を認めて降参してくれた。
「勝者! 久喜輝!」
審判が試合終了を告げる。
勝った。その安堵感と共に、全身に回していた力も抜けていく。
「……強い、です、ね」
「ああ、いや、ありがとう」
痛みを堪えて必死に喋る彼女を見ていられず、お礼もそれなりに俺は試合場を逃げるように後にした。
○
控室に戻ると、エレックの姿はなかった。これからデミアンとの戦いなのだろう。俺も後で見に行こう。もしもエレックが勝てなくて、デミアンが残ってしまったら……そのときは棄権するつもりだ。
周囲を確認してから銀のペンダントに触れる。数秒で疲労や痛みが無くなっていき、代わりに少しだけ、精神的な疲労感が蓄積する。
卑怯と言われようが、これも含めて俺の力だ。最後まで立っている人間の勝ちだ。でも――。
彼によって死を迎えてしまった戦士がフラッシュバックする。
――デミアンと戦ってしまったら、最後まで立っていられないかもしれない。
「勝ってくれよ……エレック……」
「……やっぱりな」
控室の入り口から声がした。驚いて振り向くと、腕を組んだユリウスさんが立っていた。
「あ、ユリ、ウスさん……」
回復魔法を使っているところを見られたか? いや、今は試合中じゃない。試合中には魔法を使ってはいけないというルールは聞いているが、試合外については聞いていない。今の魔法だったら見られたって、やましくはないはずだ。
ユリウスさんは厳しい表情のまま控室に入ってくる。
「試合中も、使っていたな?」
「……使っていたっていうのは」
「魔法だよ。とぼけるな」
俺は言葉を失う。俺の試合も、見られていたんだ。
何か証拠を掴まれているなら、否定するのは意味がない。逆に、カマをかけられているのであれば、否定しなくてばならない。ユリウスさんの表情と口ぶりからはそれが読み取れず、沈黙する。
ユリウスさんはそのまま、控室入り口近くの壁に寄りかかって身体を預けた。
「最初に使ったのは二回戦。ゾニとの戦いだな。最後、本来のお前の能力以上の動きを見せて勝利した」
沈黙を守る俺を見てユリウスさんは続ける。
「さっきの三回戦に至っては、はじめっから魔法を使っていただろう。ティアは俺の知り合いだが、今の輝では苦戦する相手だ。それをああも容易く下せるなんて、魔法ってのは凄いな」
もう、沈黙していても意味がないと悟った。
そもそも小刀の訓練をしてくれたのはマーカスさんとユリウスさんだ。実力以上のことをしていたらバレたっておかしくはない。
「……すみません。少しだけ、力を使いました」
謝る。こんなに大きい大会での不正だ。罰はどの様なものが待っているのだろう。
……逃げ出そうにも、控室の入口近くにユリウスさんがいる。彼の実力を考えると――風の刃を使ったとしても――俺の力じゃ簡単には通り抜けられないだろう。
しかし、ユリウスさんは意外にも、「何故謝るんだ?」と吐かした。
「俺は咎めに来たわけじゃない。魔法も、バレないように使えるのは才能だ。大会には不正防止のための感知魔法の使い手だって大勢きている。それを躱しながら上手くやってるんだ。問題ないだろう」
「へ……? じゃあ、何でここに……」
「別の用件だ。マーカスが今試合中でな。このタイミングでしか動けなかったんだよ、俺が」
するとユリウスさんは懐から紙を取り出す。
「これは、王都にある王立図書館の場所を記した地図だ。図書館に入れるのは貴族だけだが、様々な文献が蔵書されている。……世界を渡る方法もあるかもしれない」
世界を渡る方法。それはつまり、この異世界から元の世界へと戻るための方法のことか!
……いや、何故彼は俺が別の世界の人間だと知っているんだ。旅人だとしか伝えていないはずだ。
俺の表情から疑問が伝わったのか、ユリウスさんは説明を続ける。
「俺たちの先祖は、イッソスという大魔法使いに仕えていた。彼は輝が身につけているペンダントと同じものを……『銀の首飾り』を持っていた」
「これ、を」
右手で触れる。ヒヤリとした触感のそれは、元の世界で……あの、不気味な老紳士に渡されたものだ。それが、過去においてはこの異世界にあった? このペンダントは、幾度も世界を渡っているということか。
「イッソスは、異世界人だった。多分、同じなんだろう? 輝も」
「……はい。そうです」
肯定すると、ユリウスさんは満足そうにうなずいた。
「図書館は貴族しか入れない。だが、闘技大会で決勝トーナメントまで進んだ戦士には貴族待遇がなされる。……だからここに来た理由は一つ。『何をしてでも勝て』と言いに来たんだ」
ユリウスさんは俺のすぐ側まで来ると、地図を差し出してきた。俺は受け取り、開く。見慣れない地形の地図だ。王都とやらの地図なのだろう。
「……なんで、ここまでしてくれるんですか?」
「それは、俺とマーカスとエリス、三人の問題だ。多くは語れない。だが、このままだと、デミアンから逃げそうだったからな。輝が」
言葉に詰まる。そうやって考えていた面もあったからだ。
「……でも、まだデミアンが勝つと決まったわけじゃ……」
「いや、勝つだろう。エレックという男の剣では、歯が立たない」
少しムッとした。ユリウスさんには恩もあるし、今だって元の世界に帰るためのヒントを与えてくれた。だけど、そうまで言い切られるのはあまり愉快ではない。
「なんでそんなことわかるんですか」
「わかるさ。――そういうものなんだ。彼の剣は」
不愉快に思ったが、俺の中で別の懸念が湧いてくる。ユリウスさんは剣の達人と言っても差し支えないような使い手だ。そんな彼が言い切っている。それに……彼は決して意地悪でこんなことを言うような人間ではない。だとすると、何か根拠があるのかもしれない。
心の中に泥のような不安が巻き上がってくる。
「ちょっと、試合、見てきます」
俺は控室の入り口に向かって走り出す。
顔見知りレベルの人間だけど、エレックは俺に優しくしてくれたんだ。彼がもし、デミアンに殺されてしまうというなら……それは、避けたいことだと思った。
○
俺は闘技場内部の廊下を駆けて、試合場の並ぶ広場へと出る。
嫌な予感がしていた。デミアンがまた、一つの命を奪おうとしている。次のターゲットはエレックだ。
別に俺は二人と何か深い関係があるわけではない。彼らの生死で俺に損得の影響が及ぶことはない。それでも、ただ見過ごすことは出来ない。なぜかと問われても答えは出せない。『自分のために』。そう思ってきた俺の考え方とは、違うところから来る感情だからだ。
「六番の試合場……あそこか!」
エレックとデミアンが戦う会場を見つけるのは容易だった。人だかりが出来ていたからだ。人の死は惨たらしいものだと分かっているのに、いつの世にも、それを見たがる人間はいる。そして、その数は決して少なくはない。
観客を掻き分けて前に出る。試合場を覗き込むと、エレックは剣を腰に帯びたまま、試合場の真ん中で対戦相手のデミアンを待っていた。……まだ始まってないのか。
「……来たぞ、デミアンだ……」
突然観客の一人が興奮を覚えた声で、しかし静かに呟いた。一気にざわめきが広まってゆく。エレックとは反対の方向から一人の少年が試合場に入ってきた。
「……デミアン」
彼の容貌は、俺が元々『人殺し』というイメージから抱いていたものとは逆の、少女のように線の細い少年だ。腰に差しているのは俺やマーカスさんの小刀と同じような長さの短剣。
ただ異常なのは、服には返り血が大量についていること。そして、それを気にも留めない無表情。
両者が揃ったのを確認した審判が腕を高く上げ、そして振り下ろす。
「……始め!」
審判も緊張した表情をしている。ここまでの二戦どちらも相手を殺すまで至った少年の試合だ。緊張しないほうがおかしい。
「エレック……!」
始まってしまった。ここまで急いでたどり着いて、俺はどうするつもりだったのか。試合を止めるでもなくて、デミアンを倒しに行くでもなくて……ただ、見守るしか無いのか。
エレックは真剣な顔つきで抜刀した。対するデミアンは無表情で抜刀すらしない。
ユリウスさんが言っていた『エレックの剣ではデミアンに勝てない』というのが引っかかる。それは武器の質のことではないだろう。剣術のことだ。でも、エレックもここまで勝ち残った剣士なのは間違いないし、デミアンに対する何らかの強い目的を持ってここまで来た人間だ。
そんなに容易に負けるとは思えない。
両者が向き合う沈黙。その中でエレックが剣を持ったまま、口を開いた。
「……デミアン、何でこんなこと、やってんだよ」
彼はデミアンに語りかける。しかしデミアンは反応しない。エレックは諦めたように剣を構えた。
「やっぱり、うんともすんとも言わないか。……なら、ここで倒して、連れ帰る!」
先に動いたのはエレックだった。彼は剣を握ってデミアンとの距離を一気に縮めて斬りかかる――。
「え?」
――それは、一瞬の出来事だった。
デミアンは何でもないようにエレックの剣を避けながら短剣を抜刀した。そしてそれと同時に、まるですれ違うようにその剣で彼の脇下を斬りつけた。
横で冷静に観ていた俺でも辛うじてわかる動きだ。対峙していたエレックには何が何だか解らなかった筈だ。
「ぐっ!」
観客もデミアンの無駄のない流れるような一瞬の動きに息を飲んでいる。脇下の傷の痛みからかエレックの剣を握る手に力が入っていない。腱をやられたのかもしれない。
「……これも、駄目なのか……! でも……!」
しかしエレックは剣を左手に持ち替えて、再びデミアンに斬りかかった。二度、三度……だが、デミアンは二歩、三歩身体を揺らすだけで避けていく。左手はエレックの利き腕ではないのだろう。それでもきれいな太刀筋と凄まじいスピードで振り抜かれる剣は、ひと目見ただけでは熟練のそれに見える。それを全てデミアンは紙一重で避けている。
だが、違和感があった。
「動きが読まれてる……?」
俺は違和感の正体に気づいて呟いてしまった。
エレックの攻撃は放たれる前から避けられている。エレックが構えをとる前からデミアンは体を揺らし始め、剣を振り始める頃には完全に剣閃から外れている。
俺がマーカスさんに教えてもらった様な『見切り』ではない。『見切り』はあくまで相手の動きをよく見てから避ける技術だ。でもデミアンがやっているのはもう、あらかじめどこに剣を振るのか分かっているような……予知だとか、演舞や殺陣のようなものだ。
デミアンが無表情のまま、短剣を構える。そして傍目には凄まじい嵐のような斬撃の間をくぐり抜けて、エレックの左の脇を斬りつけた。
「ぐあっ」
エレックの左手から剣が落ちる。彼の目はまだ死んでいないが、両腕をだらりと垂らしていて、戦える状態ではない。審判が鐘に手をかけようとするが、それよりも早くデミアンがエレックとの距離を詰めるために踏み込んでいた。止めを、刺す気なんだ。
俺の身体がピクリと反応する。助けようとして、足を踏み出す。……しかし、踏みとどまった。
待てよ、誰かのためになにかしたところで、良かったことはあったかよ。そういう事はしない。俺は、自分のためにしか動かない。そうすることを選んだんだろう。俺は。
……でも、エレックを助けたいと思ったこの気持ちも、『自分』じゃないのか?
「くそっ!」
俺は足を再び踏み出した。そして胸元のペンダントに触れて試合上に飛び出す。デミアンがエレックに短剣を振りかざす。
鞘から刀身を抜く暇はない!
俺はデミアンの振り下ろした短剣を、鞘に納めたままの小刀で受け止めた。
「勝負、あっただろ、もう!」
鍔迫り合いの形になって、デミアンと視線が合う。彼はその顔を機械のような無表情のままで変えず、短剣に込める力を増してくる。
戦いをやめるつもりはないのか。だったらこっちも、『風の刃』を――。
「――ここまでだ」
デミアンの首筋に長剣の刃先が添えられる。刃の持ち主の方を見ると、ユリウスさんだった。
「久しぶりだな。デミアン。……少し雰囲気、変わったか」
「……邪魔。まだボクの勝負は終わってない」
デミアンが初めて喋った。変声期前のような、か細い声。ユリウスさんは「そうかい。本当に変わったな」と引きつった笑いを浮かべてから、「審判! 早く!」と叫ぶ。
ユリウスさんに急かされた審判は慌てた様子で鐘を鳴らし、「勝者! デミアン・ダグラス!」と裏返った大声で宣言した。
「ボクの、勝ちだ」
デミアンは短剣を鞘に納め、何事もなかったかのように試合場を出ていく。俺は鞘を持つ手の痺れを感じながら、すぐにエレックを振り返った。
「エレック! 大丈夫か!」
彼は地面に横たわり、返事はない。痛みに唸り声を上げている。そして、両の脇から大量の血を流していた。どっかで聞いたことがある。脇の下は血の集まる人体急所だと。背後でユリウスさんが回復魔法使いを呼ぶ声がする。間に合わないかもしれない。
俺の、回復魔法で……。
「やめておけ」
手をペンダントに持っていこうとしたところで、ユリウスさんに止められた。
「この男は大丈夫だ。血は流しているが、魔法使いがすぐに来る。これくらいでは死なない。……次にデミアンと戦うお前が、ここで消耗するわけにはいかないだろうが」
「……でもっ」
「聞け!」
ユリウスさんが怒鳴る。彼にしては珍しい大声を向けられて、俺は口をつぐむ。
「……俺はエレックを知っている。彼も輝に、同じことを望むはずだ」
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