93話 北安激震(後編)
北安を囲む騎兵達の中に、鉄の馬に乗ったヒュームが佇んでいる。そしてヒュームは、液体の入った桶を両手で抱え、その中を覗き込んでいた。
「ヒューム殿、何をされているのですか?」
ティムール・ハーンが声をかけてきた。ヒュームは桶の中をティムールに見せる。その中の水面には形、大きさが均一な泡が無数に浮かんでいた。
「これは……」
「泡模型さ」
「泡模型?」
「物質をどこまでも小さく分割していったとき、目には見えずそれ以上分割できない最小の単位に行きつく」
「原子論ですか」
「ああ、そしてこの泡のひとつひとつが鉄の原子を表している。泡模型は二次元的な金属結晶の模型として、実際の挙動をよく再現する。鉄の機械的性質の観察に優れているのさ」
「まさか泡でそのようなことができるとは……」
「泡の持つ性質のおかげさ。摩擦力が作用しない、大きさや性質の揃ったものをいくつも作れる、離れた状態では互いに引き合い、近づいた状態では互いに斥けあう」
「……似ていますね。あの『闇血』に」
「確かに、言われてみれば泡沫によく似ているな。離れると引き合い、近づくと離れようとする性質なんか特に」
泡沫のヴラドはまさに泡のようであった。中身は空っぽで、見かけだけは美しい。周囲に合わせて放たれる軽率な言葉遣いは風に煽られるシャボンのようであり、疎外されることも過干渉されることも嫌って、静寂を望む炎毒の下についていた。
「シャボンは生まれたが最後、後は割れるだけさ」
ヒュームは、泡沫の向かった北安を彼方に眺めながらそう呟いた。
*
北安の中は、泡沫の仕掛けた人間爆弾によって騒然となっていた。
「く、来るな避難民どもおおおおおお!!!!」
「俺は爆弾になんかされてねえよぉ!」
人々は互いに、相手が人間爆弾になっているのではないかと疑心暗鬼に陥り、対立し合っていた。
「仕掛けたやつによれば、爆弾する前に殺せば爆発しないみたいだぞ!」
「避難民ども!俺たちから離れろ!でないと……!」
「やめろ!そっちがその気なら……」
北安の住人と、避難民達が睨み合い、互いに武器を突きつける緊張状態となる。
「やめてください!」
その間に、エリーゼが割って入った。
「爆弾を仕掛けた敵の狙いは、まさにこれなんです!人々が対立し、協力できない状態になるのが一番危険なんです!」
現れたエリーゼを見て、人々が次々に言葉を発する。
「なんだあの色目人」
「爆弾を仕掛けたやつの仲間じゃないだろうな」
「まて!あの人は怪我した人を助けて回っていた薬師だぞ!」
「本当か!?お願いだ!助けてくれぇ!」
その言葉と共に、避難民側の人々がエリーゼに詰め寄ってくる。人々が密集し始めた瞬間、その中の数人が爆発の前兆を見せる。
「ダメ……!爆発が……!」
エリーゼが次の瞬間の惨劇を想像し、顔を背ける。しかし、爆発音も人々の悲鳴も聞こえてはこなかった。
「殺さずとも、コールドスリープにさせれば爆発は防げるみたいだね」
アイズが、爆発しそうになっていた人々を『凍血』の力で凍りつかせていた。
「アイズさん!」
「私は人間爆弾にさせられた人々を凍らせて回ってくる。エリーゼ君は『闇血』を探してくれ」
「わかりました!」
そう言って、エリーゼは『闇血』を探しに、羽を広げてさらに飛んでいく。その姿を人混みの中から一人の男が眺めていた。
(俺っちはここだよぉ〜。真祖相手に喧嘩なんてやってられないね。ある程度人間を殺したら、大混乱を起こして北安からスタコラサッサだぜぇ)
泡沫は、自分の顔が二人にバレていないというアドバンテージを活かし、人々の中に潜伏していた。
(ここらの人間へのマーキング完了!他所へ人間爆弾を増やしにイクゾー)
泡沫が移動を始めた瞬間、──泡沫の背中に猛烈な痛みが走った。突然の刃傷沙汰に、辺りは騒然となった。
「見つけたぜえ〜〜〜〜〜〜〜人混みに紛れてこそこそやってたみてえだが、俺がお前の顔を見分けられないとでも思ってんのかアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!?」
「マ于″厶ヵ⊃<]ィ"/ぅ〜」
斧を手に持った
「つーかなについてきてるわけ?ストーカー?しつこい男は嫌われちゃうゾ☆」
「死ね」
イーラは純然たる殺意と共に、泡沫に襲いかかる。
「助けてぇーーーー!!!暴漢に襲われてまーーーーす!!!人間爆弾もコイツが犯人でーーーす!!たぶんね」
泡沫はそう叫びながら、一目散にイーラから逃げていく。
「何!?」
「犯人だと!?」
「斧だ!斧を持っているぞ!」
「取り押さえろ!」
斧を持って襲いかかるイーラの姿は、誰がどう見ても悪人にしか見えなかった。イーラを捕らえようと、人々の手が体を掴む。
「どけやオラアアアアアアーーーー!!!!」
人並外れたパワーを持つイーラは、その程度の妨害はものともしない。掴む人々を引き摺りながらも全く速度を落とさず向かっていく。しかし、掴む人々の中には人間爆弾にされたものがいた。彼らは、イーラの側でみるみる体を膨らませていく。
「鬱陶しい!」
イーラは、体が爆発する寸前に彼らの首を斧で叩き落としてしまう。それを見て、周りの人々は悲鳴を上げた。
「嫌ああああああああ!!!!!」
「ひ、人殺しいいいい!!!」
周囲の声を意にも介さず、イーラは泡沫を追って進んでいく。一連の様子を、泡沫は歪な笑みを浮かべながら見ていた。
「おーおーおー、一般人殺しとは。やってしまいましたなぁ、これは大変なことだと思うよ。さーつじーんしゃ!ハイッ!さーつじーんしゃ!ヘイッ!」
「あいつらを死に追いやったのはお前だ。お前が殺した」
「うわあ全く気にしてねえ。でもさぁ、周りの人はそうは思ってないみたいよ?」
周りの人々は、悪鬼を見るような目でイーラを見つめ、我先にとその場から逃げ出していた。
「他人がどう思おうが知ったことかよ。それより自分の命の心配でもしてな」
泡沫は必死に余裕を取り繕っていたが、実のところ、もうイーラに対抗できる力は残っていなかった。ヒュームの『再生の炎』で得られた鉄の肉体は錆始め、逃げ切ることは厳しい。そして、泡沫の首を切り落とそうと斧が振るわれる。
「──なにをやっているんですか!あなたは!」
泡沫とイーラの間に、エリーゼが割って入って攻撃を止めた。
「あなた!今のうちに逃げて!」
「うえっへっへっ、恩に着ますよぉ」
「馬鹿野郎!そいつは『闇血』だ!人間爆弾を仕掛けたやつもそいつなんだ!」
「えっ!?」
エリーゼが驚いて泡沫の方を振り向くも、すでに泡沫の姿は影も形もなくなっていた。
「まんまと騙されやがって!この斧についた奴の血を調べてみろ!」
「これは……『闇血』の血……すみません、早とちりをしてしまったみたいですね。ええと、あなたは……」
その時、エリーゼの間に十字のマークが目に入る。
「……
「そう警戒すんじゃねえ。今はあいつが優先だ」
「今から追えば……」
「間に合わねえよ。それに人混みに紛れられたら探さねえしな」
「……」
気まずい空気が流れていると、エリーゼは背後から凄まじくうっとおしい気配を感じとる。
「エリーゼ君!わかったぞ!起爆の条件が!」
ドヤ顔で、ビシっとポーズを決めたアイズがそこに立っていた。恥ずかしさのあまり、エリーゼは顔を背ける。
「あの、アイズさん、初対面の相手にですね、いつものノリを繰り出すのは、ちょっと」
「おい、起爆の条件がわかったと言ったな。さっさと教えろ」
対するイーラは、恥ずかしがるエリーゼを他所に、アイズのノリも無視して尋ねるのだった。
*
「うっ……ふぅ、いっけね、グースカピーしてたぜ」
イーラから逃げ出した泡沫は、路地裏に隠れてしばらく眠りこけていた。そして目を覚ました泡沫は、日が登るほど時間は立っていないことを確認すると大通りの方に歩き始める。
「ひひひ、さーて街はどうなってるかな?俺っちの予想では、疑心暗鬼の果てに人間同士が殺し合い!北安の中は阿鼻叫喚!ってところか」
そして、泡沫は表通りに顔を出す。
「は?」
泡沫の目の前に広がっていたのは、互いに間隔を広げて座る人々の姿だった。両手を広げて指が触れ合うくらいの距離を保っている。
「おかしい……こんなことは許されない……もっとドカーンでズババーンなウワー!ギャー!な状況になっているんじゃなかったのかよ……」
その後、泡沫が人々がこのような状況になっている理由を知る。
「繰り返す!人間爆弾の起爆を防ぐために互いに付かず離れずの距離をとれ!密になっても、人から離れても爆発するぞ!」
その声を発しているのは、北安の太守、珍であった。役所の屋根の上から、大声を上げて街中に声を響かせている。そしてその傍らには、イーラ、エリーゼ、アイズに劉将軍がいた。
なぜこのような状況になっているのか、時間は少し巻き戻る。
*
「起爆の条件、それはなんだ?」
イーラはアイズを真っ直ぐ睨みながら尋ねる。
「それは……人と人との距離さ」
「距離だと?」
「爆発しそうになっている人々を凍らせて回っている時に気づいたんだ。人々が密集しているときと、周りに誰もいない時に爆弾は起爆するとね」
「確かに……私たちが見た被害者の方々も、厠に向かって爆発した人と、助けを求めて兵士の集団に入っていた人とがいました。でもなんでこんな起爆条件を?」
「この爆弾は人々の恐怖や不安につけ込んでいるからさ。偶発的な要因で爆発が起こった後、人間爆弾が仕掛けられていると発表を行う。するとどうなるか、人々は爆発に巻き込まれないよう人を遠ざけたり、逃げ出したり、あるいは恐怖に身を寄せ合ったりするだろうね」
「そしてそのような状況になったら……爆弾が爆発する……」
「誰が爆弾にされているのかわからない状況では、協力なんてしようがない。この人間爆弾は、人々の信頼を嘲笑うような仕様になっているのさ」
「おぞましい……」
「だが逆に、離れず、近づき過ぎなければ爆発しないってことか、思ったより緩い条件だな」
「緩い?そうかな……この疑心暗鬼になっているなかで、付かず離れずにいれば爆発しないと信じてもらうには至難の技だと思うけどね……」
「いや、簡単だろ」
イーラはあっけらかんとした顔でそう言ってのける。
「この街で一番偉いやつにそれを言わせればいい」
「という訳で、この起爆を防ぐ条件を人々に伝えてもらいたいんです」
珍の目の前で、カンペを持ったエリーゼがそういう。その側では、イーラが斧を珍の首筋に突きつけ、アイズが劉将軍にコブラツイストをかけていた。
「ク、クルセイダーーーー!!!!」
珍はイーラの服についた十字のマークを見て震え上がっている。
「ええい!わしはお前らとはもう関わらんと決めたのだ!」
「うるせぇ。黙ってこれを言え。殺すぞ」
「ひぃ!」
「お願いです!人々を助けるためなんです!」
「うっ、……じゃが、外から左遷されてきたわしのいうことを人々が聞いてくれるかどうか……」
珍はそう言って落ち込む。すると、その様子を見た劉将軍が諭すように言う。
「ここ最近の北方騎馬民族への対策、間近で見させて貰いました。こちらから攻勢に出るような勇気ある行動はしなかったものの、降伏をせず、援軍が来るまで耐えるための準備をしっかりなさっておられましたね。……人々はその働きをしっかり見ていますよ。自信を持ってください、あなたは立派に北安の太守です」
「……将軍」
珍はカンペを手に取り、屋根の上に登り始めた。
*
そして今に至る。人々は珍のいうことに、半信半疑でありながらも従い、爆発は起こらなくなっていた。
泡沫はその様子をみてワナワナと震え出す。
「ふ、ふざけんなよ。なんでそうやって人を信じられるんだよ。なに協力しあってんだよ。もっと疑えよ!殺し合えよ!人間ってそういうもんなんじゃないのかよ!……ズルイよ。なんでお前たちだけぇぇぇぇぇ!!!」
泡沫は顔を歪ませ吠える。その時、背後から足音が近づいてきた。
「爆発が起こらず、人々に気を取られなければ斧についた血の臭いから貴方を追うのは容易なことでしたよ」
イーラ、エリーゼ、アイズの三人が泡沫を追い詰めていた。
「終わりだ。『闇血』」
泡沫は三人を前にして、歪んだ顔から気味の悪い笑みを浮かべる。
「人間爆弾!一斉起ば……」
そう言い終わる前に、泡沫の頭部に投げられた斧が叩き込まれる。
「今回は間に合ったな。敵は取ったぜ……ばあさん」
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