26話 闇に潜むもの
「オラァアアアアア!!!!!!!!」
キッドを取り戻すために、エルマはアイズの助けを得て毒の霧の中に突っ込んでいく。
その様子を、国王ツェペシュは相変わらず興味なさげな表情で見ていた。まるで結末の分かりきった劇でも見るかのように。
「……ずいぶん余裕そうな表情ですね。あなたが招いた事態だというのに」
怒気を孕んだ声でアンナが国王に詰め寄る。ツェペシュは依然、無表情を貫いている。
「なぜ、エリーゼ姫を殺そうとしたんですか!?なんでキッドも巻き込まれなくちゃならなかったんですか!?あなたの目的はいったい何なんですか!?」
アンナの感情が爆発する。ツェペシュはようやくアンナの方を向いて口を開いた。
「……話したところで言い訳にしかならぬさ」
「いや!聞きたいね!」
横からアイズが口をはさんできた。二人を守るように立ちながら、顔だけをこちらに向けている。
「昔の、国王になったばかりの君は、このヴァーニア王国を守ろうという気概に満ちていたよ。それが一体全体どうしてこんなことをするようになったんだい?」
アイズが少し悲しい顔をしてそう尋ねる。ツェペシュはしばらくしたのちポツポツと話始めた。
「ならば話そう。愚かな私のしでかした罪を」
*
始まりは一通の親書であった。
その親書には、丁寧な文体で長々と様々なことが綴られていたが、要約すると一言で表されるものでった。
『従え、さもなくば滅べ』
親書の送り主はヴァーニア王国の東に位置する国。大国、大華帝国であった。
大華帝国には別名がある。──
そのことを知っていたツェペシュは頭を抱えた。人間相手に負けるのと吸血鬼相手に負けるのとでは訳が違う。奪われるのは金や領土だけではない。
──国民が
服従し、月に何百人かを
そして
滅びるのが遅いか早いかの違いでしかない、だがその日までは自分は王でいられる。それに、もしかしたらどこかのヴァンパイアハンターがネロを倒してくれるかもしれないし、ネロがまた別の国を従わせれば、
「他の国と力を合わせて、大華帝国と戦うべきです」
そう力強い声で言ったのは第一王妃、マリアンヌであった。
「このヴァーニア王国はいわば人間界への関所、ここが落ちれば瞬く間に他の国々も大華帝国の手に落ちるでしょう」
「だが、戦えば真っ先に犠牲になるのはヴァーニア王国の国民だ!」
「服従するよりも、人間としての尊厳を持って戦うべき、そうでしょう?人類の未来のために、国民とともに剣を取るべきです」
マリアンヌとツェペシュは共に人々を守りたいという思いは共通していたが、その範囲は違った。マリアンヌは人類全体を見ていたのに対し、ツェペシュが守りたいと思っていたのはヴァーニア王国の人間だけであった。
「たとえ人類が生き残っても、そこにヴァーニア王国の民がいなければ戦う意味など……」
自室で一人、ツェペシュはそう項垂れる。つい先月、娘のエリーゼが生まれたばかりだというのに。心労にツェペシュは胸を押さえた。
その病んだ心に、『
「ならば他の国の民を差し出せばよろしいかと」
いつのまにか自室に一人の男が入り込んでいた。
一目で人間でないことが見て取れた。顔の半分は端正な顔立ちを、もう半分は骨を露出させていた。
まるで白骨死体に直接顔面を貼り付けたようであった。
「吸血鬼だと?貴様、何をしに……」
「あなたの力になりたくて来たのです」
その男はうやうやしく頭を下げて言った。
「私の名前は──」
*
「──ヴラドと、申します」
ヴラドはそう言って英雄二人の前で手を胸に当てておじぎをする。ニールがヴラドを睨みながら尋ねた。
「……『炎血』の真祖、アグニが言っていた『
ニールの質問に、ヴラドは半分の顔で笑みを浮かべながら答えた。
「はい!その通りです!もっとも貴方達の村を焼き尽くした者とは別の個体ですが──」
言い終わる前にネールが『
「……お前、何を知っている?答えれば痛みなく殺してやる。答えなければ全身を刻みながら殺す」
ネールは殺気を露わにしながら尋ねる。
対照的にヴラドはケラケラと笑いながら答えた。
「いやぁ怖い怖い!ネロの介入などで計画が狂わされて、だいぶイラついていたのですが……そこまで気持ちよく反応してくれると嫌な気分も吹き飛びますね!」
もう一度斬りかかろうとしたネールの前に、ニールが飛び出してきて『
「いやぁ流石にお兄さんは冷静ですねぇ、器に向いているのはそっちかな?」
刃物の攻撃が終わった後、英雄二人はヴラドの方を見る。そしてヴラドの顔を見て愕然とした。
ヴラドは瓶を咀嚼していた。バキバキとガラスの割れる音が聞こえる。そして口内に溢れる血はガラスで出血したものと最初は思ったが、そうではなかった。
ヴラドは血の入った瓶を咀嚼していたのだ。
「『毒血』、『凍血』、そして──『鉄血』。
ヴラドの両手から血が吹き出すと、それは次第に手を覆いブレードを形作った。
「一人の吸血鬼が複数の『血』を使えるだと……!?まるでキッドと同じ……」
ニールが驚愕の声を上げる。
ヴラドは目を大きく見開いて英雄二人を睨む。
「何を知ってるって?なんでも知っていますとも!知りたかったら教えてあげますよ。あなた達が死ぬ前に、冥土の土産としてね!」
ヴラドはブレードを構えて突進する。ネールはそれに『滅鬼の鉄剣』で応戦する。
甲高い金属音が王宮に響いた。
*
王宮の上空、二人の真祖を月の光が照らしていた。フリーダは二対の巨大な羽ではばたき、ネロは6対の小さな羽をパタパタと動かしている。
「かかかっ!まさかアイズではなくお主が来るとはのう。フリーダ。このわしに負けに来たのか?まさかお主に被支配願望があったとは思わなんだ」
「アイズが相手だとお前は無様に逃げ回るだけだからな。お前の慢心を誘って返り討ちにするには私のほうが適任だということだ」
『毒血』の真祖にして『支配』を求める者、ネロ。
『鉄血』の真祖にして『自由』を求める者、フリーダ。
二人の間には浅からぬ因縁がある。幾度となく争いを繰り返してきた。そしてフリーダは──一度としてネロに勝ったことはない。無論負けてもいないが、フリーダに勝ち星を渡したことのない真祖は、依然ネロだけなのである。
「何をぬかすか、お前こそ、わしの下につけば手厚く迎えてやるぞ?わしは今大華帝国という巨大な国家を統べておる。お前ならそこの大貴族に任命してやる。どうだ?」
ネロは無邪気な少女のように、屈託のない笑みを浮かべて言った。
「くだらん、そんな話はアイズにでもしていろ。私が望むのはただ一つ……私の家族の幸せだけだ!」
フリーダが蛇腹剣を作り出し、ネロに向かって全速力で突っ込む。
「『鉄血』が『毒血』に弱いということを忘れたか!?最強の名が泣くぞ!?」
直後、ネロの身体を中心に、紫色に輝く球状の空間が展開された。作り出した蛇腹剣が錆びてボロボロに崩れていく。
「『
その瞬間、フリーダが口から血を吐き出す。
「ぐぶっ!……これは、空間そのものが毒性を持っているのか!」
フリーダは対毒血用のコーティングを薄く身にまとっていた。だが
フリーダは体勢を崩して落ちてゆく。ネロはそれを哀しそうな顔で見つめた。
「……フリーダ、おぬしは弱くなったな。眷族を作って弱くなり、キッドとかいう人間の子供を育ててまた弱くなった。おぬしが最強だったのは、何者をも拒んで、常に一人だったあのときだけじゃ」
フリーダは王城の屋根に激突した。その衝撃で再び吐血する。
「わしは……
ネロはフリーダを追って下降する。そのとき、仰向けに倒れていたフリーダが笑みを浮かべていることに気付いた。
「弱くなった、だと?……ふふっ、ネロ、どうやらお前の目は自分自身の毒でやられてしまったようだな」
フリーダはよろよろと立ち上がる。そしてその手には一本のナイフが握られていた。鉄でできているはずなのに、この
「逆だ、エルマが、キッドが、アンナの存在が、この私に決して錆びない心を作り上げさせる。家族を持った私は、今までのどの私よりも……強い」
フリーダはナイフをネロに向け、高々と宣言する。
「かかってこい『
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